雀の手箱

折々の記録と墨彩画

しばらくのお休み

2013年06月05日 | 雀の足跡

 東北は仙台まで出かけるので、明日からしばらくお休みにします。

 夫の骨折の経過は遅々としてはいますが、医師は順調とおっしゃっていますので、留守中の世話のために帰省してくれた娘に任せて、親族一同一行10名での仙台入りです。末の妹の娘が奈良から嫁ぎます。最後の姪の結婚式ですし、もう東北までの旅は今回が最後と思うので、キャンセルせずに出かけることにしました。
 私には三十数年ぶりの東北です。大災害の後の東北に、どういう感慨が訪れるか、そして前回ゆきそびれた松島だけはと、芭蕉に倣って足の治療をしての旅立ちです。

花菖蒲  

                         その1

                        

 


                         その2


 

                                

                                その3


歴史散歩 織幡神社へ

2013年05月16日 | 雀の足跡

 宗像方面に出かけるときに、途中通過で気にかかりながらも、いつでも行けるとお参りしないままになっていた織幡神社(おりはた)です。

 あまりに心地よい初夏の日差しに誘われ、海辺の散歩を提案したあるじに付き合って、宗像市鐘崎、岬の突端にある織幡神社を目指して車を走らせました。美しい海岸線をドライブして遠賀郡との郡境を越すとすぐです。

 ここは宗像大社に次いで、延喜式にも登場する由緒ある式内社(補注1)です。現代の人は松本清張の小説「渡された場面」の事件の舞台として思い浮かべることでしょうが。
 地元では、「しくあんさま」と呼ばれていますが由来はわかりません。

 万葉集にも詠まれた「金の岬」は、今も多数の漁船が係留されています。鐘崎周辺はアワビ、サザエなどの豊かな漁場なのです
 ここ鐘崎の先祖は鐘崎海人と呼ばれ、航海術に秀でていて、その進取の気性から各方面で大活躍したそうです。特に潜水技術に優れた鐘崎海女は西日本の海女の発祥であり、出稼ぎ地であった能登、長門、壱岐、対馬などにはその分村が出来たと言われています。

 沈鐘伝説(補注2)で有名な巨石は、神社の鳥居のそばの参道に置かれていました。

 

補注 1 延喜式神名帖に記載されている神社の呼称

    2 「ちはやぶる神の御崎」には、1400年前に貢物として朝鮮半島から運ばれてきた大きな梵鐘が、 この岬の突端で大波のため沈んだという伝承があり、鐘崎の地名の起こりとされていました。鐘は竜神に守られ、風の強い日には澄んだ音色を響かせたので、この地から東の海を響灘と呼ぶようになったと伝えられています。過去3回、引き揚げが試みられ、失敗。大正時代炭鉱王山本菊次郎氏が巨額の費用を投じて引き揚げたものが巨石だったというわけです。人々は今もどこかに鐘は沈んでいると信じています。

    織幡の由来は『織幡宮縁起』(天和3年)に、神功皇后及び武内宿禰、洞の海より高津山に登られ、神々に祈られ、次いで波津(はつ)の浦で軍(いくさ)の旗を織らしめ給い、その所を名づけて「はたの浦、大旗、小旗という。今のはつの浦とは言いなまりなり。ここに織幡大明神とは号するなり。と記されています。波津はすぐ東の地です。

神功皇后の出兵の折、武内宿禰がこの地で紅白の旗を織らせたという伝承からも、宗像族は漁業や航海術だけでなく、高度な服飾文化を所有していたことがうかがえます。

  13日、月曜日の散策のあと、この記事を書いた翌朝、主人がベッドから起き上がろうとしてよろけ、転倒した折に左手手首を骨折し、痛々しいギブスで肘の上まで固定されました。足の腫れは減ってきていたのですが、当分はまた整形外科通いの毎日となりました。


藤とヒトツバタゴ

2013年04月28日 | 雀の足跡

 連休初日の今日は快晴で、気温も24度とありがたいお日和のうえに、病院行きも休みなので、家から20分以内、あまり歩かずにすみ、車の停めやすいところという条件で、選択したのが、宗像の浄光寺の藤ということになりました。

 お寺の駐車場に車を停め、天然記念物の境内の藤を心ゆくまで堪能しました。吉祥寺という藤で有名な場所が区内にありますが、高い石段と大勢の見物客で、駐車が困難なので、ここを選んだのは正解でした。地元の人々の心配りで椅子まで設置されていて、何よりも平地なのがありがたいことです。それに駐車も無料ですから。

 1時間ほど散策して、お昼近くなったので帰途につきましたが、途中の海鮮料理の店はどこも予約で満席と断られました。仕方なく時間も早いので、まだ花を見たことがないというあるじと、ヒトツバタゴの花を見に、芦屋に向かいました。岡湊神社の境内に植えられた200本余の木々はすっかり大きくなって、天然記念物指定の名に背かない存在感を示していました。

 なるほどこの群生で自生していれば、「海照らし」という対馬での呼び名も頷けます。あまり知られていないのか人出も少なく、お目当ての昼会席も口にできました。

 ヒトツバタゴは植物としての正式名称で、通称は「なんじゃもんじゃ」の木と呼ばれています。かの水戸黄門の言葉から生まれた名前とか。一度聞いたら忘れない愛称です。

浄光寺の藤

 

 岡湊神社のヒトツバタゴ


金山川のチューリップ

2013年04月14日 | 雀の足跡

        金山川のチューリップ

 金山川の川べりでは、葉桜に衣更えした並木の下で、この日曜日にチューリプ祭りが開催されているころです。

 お祭りの人混みを避けて、買い物の帰りに、一足先の花見をしてきました。ボランティアの方たちが、草を刈り払い、テントの設営のための下準備をしていました。

 チューリプはもう盛りを過ぎかけていて、伸びた茎の上に花弁を欠いたものが目立ちました。強い川風を敬遠して早々に引き揚げてきました。

 淡路島を震源とする地震で、近畿から四国、中国地方にまで広範囲に揺れて、怪我をなさった人も出ているようです。「忘れたころに来る」はずが、あの悪夢のような前回の地震の記憶も薄れないのに、どんなにか不気味な思いをされたことでしょう。
 亡くなった人がなかったのをせめてもの幸いとします。災害がこれ以上重なりませんようにと祈るのみです。


芦屋釜の里

2013年04月08日 | 雀の足跡

 かんぽの宿に泊まった帰り道は、海岸線を、若松ゴルフ場の中を走るコースを採りました。

 まだ見学したことがないという娘の希望で、「芦屋釜の里」に立ち寄りました。
 この地は、茶の湯釜の名品として一世を風靡した芦屋釜の生まれ故郷です。現在、国の重要文化財指定の茶の湯釜9個のうち8個までが芦屋釜です。

 この庭園が開設された当初から、お茶会や、同窓会の帰りなど、何度か訪れていますが、行く度に整備が進み、植栽も大きくなり、周囲の自然としっくり調和してきました。

 3000坪の庭園に点在する四阿(アズマヤ)、蘆庵、吟風亭、立礼席の建物、といった茶道にかかわる建造物と、芦屋釜を展示し、その制作工程や歴史をビデオや資料を用いて解説する資料館、工房などで構成されています。

 繰りかえし試みられてきた室町時代の国宝の芦屋釜の復元が、高い完成度で出来上がったとして、最近は、しばしば新聞でも取り上げられ話題になっています。
 立礼席でおいしい抹茶をいただき、心豊かな時間を過ごしました。

「芦屋釜の里」

芦屋釜に関心がおありでしたら、少々長いのですが資料「芦屋釜の特徴と歴史」が大変要領よくまとまっていますので、ご覧ください。 その2 テキスト画像の上でクリックし隅の資格を斜めに引いて拡大してください。

 


春を楽しむ

2013年04月06日 | 雀の足跡

 先月末か帰省している娘が加わって、いつもより賑やかな暮らしが続いています。久しぶりに,買い物にも気持ちが弾んで、余計なものまで買い込んでは愉しんでいました。

 主人の体調がいま一つなので、恒例の温泉一泊旅行は、一番近いところというので、「かんぽの宿 北九州」にしました。車で15分くらいの近くなので温泉に入りに行くことがあっても、宿泊したことはないので初めての宿でした。

 途中、主人の妹の家に寄り、昼食を誘って吉光で会食、おしゃべりに花が咲き、グリンパークでチェックインまでの時間を過ごしました。
 桜並木の桜は盛りを過ぎていましたがチューリップやポピーが盛りで、プロの育てるヒヤシンスなど見事な開花でした。熱帯生態園でウオータードラゴンや肩に止まるオオゴマダラの群舞、水槽に泳ぐ大鯰の姿に童心に返って声をあげました。オオハシは高い木の上でお昼寝中で尻尾だけしか姿を見せませんでした。

 グリーンパークにて

 岩屋は幼い日から遊びに来ていたところなので懐かしいとみえて、娘は海岸線沿いに千畳敷の岩場から妙見崎灯台への散策コースを歩いてきて、汗をかいて戻ってきました。

 玄海国定公園の、岩屋海岸は遠見の鼻岬に立つ宿は、玄界灘に沈む夕陽のショーを見ることができるので有名です。部屋の大きな窓越しに心行くまで落暉を堪能した後は、海の幸の「春のしおさい会席」の口福でした。

玄海灘の夕陽


文楽 桂川連理柵

2013年03月08日 | 雀の足跡

 今年の芸術文化振興基金による、文楽の地方公演は、昼の部は「桂川連理柵」(カツラガワレンリノシガラミ)のうち、下巻の六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川、が上演されました。「曽根崎心中」や「心中天の網島」などと違って、同じ世話物の心中ものでも、あまり鑑賞の機会がないので、夜の部の千本桜にも思いを残しつつ、昼の公演に出かけていきました。

 初々しいお半の人形を吉田蓑二郎が、帯屋長右衛門は吉田玉女が遣っていました。今年は浄瑠璃の人間国宝、竹本住大夫さんの姿がないのが寂しい事でした。

  アンケートで先年要望を出していた人形の展示が実現し、会場入り口で、若いお二人が夜の部の禿の人形を遣って、東日本の復興への募金をしていました。

 

 

 桂川連理柵に関して、興味とお時間がおありの方は、このサイトに写真や詳しい解説などがあります。


ボストン美術館の至宝 その2

2013年03月06日 | 雀の足跡

 東京展の折の、ブログ友の記事や、テレビの日曜美術館、新聞での絵入りの紹介記事などから推して、展示の量やその収集の規模を思う時、これは焦点を絞って見学しなければと覚悟していました。
 狩野元信の白衣観音、尾形光琳の松島図屏風、そして蕭白の雲龍図を中心とした一群の作品。これらを中心にと予期していました。

 目玉の呼び物のうち、三条殿焼き討ちの「平治物語絵巻」と、「吉備大臣入唐絵巻」も後ろ髪引かれつつも、これは人垣の後ろから眺めて、図録で見ることにして先を急ぎました。白衣観音はイメージしていたよりも強い線で印象も鮮烈でした。光琳の松島図屏風は波のデザイン化されたうねりがダイナミックでいて、色の層は細かに計算された変化を見せて躍動していました。写真で見るのとは違い、若々しい力の溢れる大きさのある絵でした。 写真 左隅

 

 白衣観音 狩野元信    宗祇像 元信   金山寺図扇面 伝元信

 お目当ての最終室は正面に威圧する10メートルを超える大きさでドンと出迎えていたのがチラシや図録の表紙にも用いられた蕭白の雲龍でした。

 ちょっと困ったような顔つきの醸すユーモラスと、龍の尾の鱗の描きこみ、それに対して爪の鋭い表現は簡略された線で描かれて、あくまでも強く、見るものに迫ってきます。夢の中まで、あの迫力で押してくるのではないかと恐れを抱くほどの線の勢いと鋭さが渦を巻いていました。

 

 同じ部屋の蕭白。右が、商山四皓図   左壁面は虎渓三笑図

 蕭白という日本でもて囃されることのなかった画人の持つユニークで、飄逸な面は、この室の仙人や文人の姿にも見ました。大和文華館で見た雲に乗る雪村の「呂洞賓図」を思い浮かべながら、同じ”奇想の画家“と呼ばれても、その仙人の捉え方の違いを面白いと見ました。評判通りぐるりと囲む蕭白オンパレードに、この雲竜図の前のベンチには半ば呆然とした表情の人々が腰を下ろしていました。

  展示されていた多くの作品は、国内にあれば国宝級のものが多く、国外流出を惜しみ嘆く一方で、フエノロサが持ち出したからこそ今日まで命永らえたとも考えられ、廃仏毀釈の嵐の中で、海を渡った作品の生まれ故郷への里帰りに、至福の時を過ごさせてもらいました。、4時を回って会場を後に、二人とも十分に堪能した鑑賞の一日でした。

                 写真はすべて九州国立博物館の提供によるものです。


ボストン美術館 日本美術の至宝展へ その1

2013年03月05日 | 雀の足跡

 東京展の記事を拝見していて、もう生涯に目にすることもない海の彼方に渡った至宝であってみれば、ぜひ見に行かねばと思っていました。

 虫ならぬ身でも、今日、啓蟄ともなれば、寒さに籠りがちで延び延びになっていた特別展へと重い腰をあげました。同行はKさんです。夫はどうせ人が多いなかを、時間をかけるのだろうから遠慮するというので、気心の知れた少し年下の女友達を誘っての念願の太宰府行きです。

 予想通り、九国博は、駐車待ちで25分の行列でした。苛立ちの気分を転換してからと、まずは梅が満開の天満宮に参詣して、梅林を散策し、梅の木の下で昼食。どの茶店も人で込み合っていました。

           満開の天満宮の梅

 トンネルを抜けて博物館に引き返した会場は、行列こそないものの、かなり混み合っているようなので、先に4階の「江戸の粋 印籠展」を見学しました。こちらは宣伝されていないので、人も少なくじっくりと見学できました。
 今年1月に、小倉城庭園で見た「印籠と煙草入れ」展とは規模の違う逸品ぞろいで、高円宮両殿下コレクションの根付けも14点が特別出陳されていました。

 今回の印籠展は、我が国初公開で、フィンランド・クレスコレクションです。印籠のコレクターとして、また研究者として世界的に有名なクレス夫妻の30年にわたるコレクションの中から124点が選ばれての里帰りです。画像のほかにも、牡丹蝶蒔絵印篭の宝石を思わせるブルーの鮮やかさや、葦舟蒔絵螺鈿のデザインなども印象に残っています。展示の工夫が素晴らしく、宙に吊るしたり、鏡を使っての立体的な見せ方など、ユニークなものでした。

 私が印籠に強い興味を持ったのは歴史も浅く、2010年京都国立博物館に、長谷川等伯展を見にいった折、相国寺の承天閣美術館で見た柴田是眞の漆の作品群を目にしたのがきっかけです。印籠や根付といった男性装身具の小さな工芸品に籠められたモダンで、粋なデザインに、その精巧な細工の見事さに開眼させられて以来、こうした展示があるごとになるべく出かけています。

 目当てのボストンでの時間を考えて、名残を惜しみつつ会場を後にしました。

江戸の粋 印篭展


印籠とたばこ入れ展

2013年01月11日 | 雀の足跡

 九州歯科大へ定期の検査に出かけたついでに、小倉城庭園出開催中の「印籠とたばこ入れ」展に立ち寄りました。

 ここは寄るたびに、小笠原流の礼法に関しての季節ごとの展示に教えられることが多いのですが、今回は正月に関しての武家の礼法や祝い膳に目新しいものがありました。

 印籠とたばこ入れは、いまは漆と根付制作に励んでいる娘の話についていくためもあって、「粋な男の洒落小物」の惹句を見せてそそのかし、連れ合いも誘っての見学でした。
 展示は175点ほどで、掛川市二の丸美術館所蔵のものが中心で構成されたこじんまりとしたものでした。

 今や肩身も狭くなった紙巻きたばこの殺風景とは違い、たばこ入れが男たちのステイタスシンボルでもあっただけに、“総合芸術”といわれる所以ももっともと納得しますが、それにもまして、江戸の職人達の工芸技術の技の高さとしゃれたセンスには目を見張るばかりでした。今の時代には已に不可能ではないかと思えるような卓抜した贅を尽くした細工のかもす異空間にほのぼのと満たされる思いで会場を後にしました。