雀の手箱

折々の記録と墨彩画

豊後の国

2012年03月06日 | 雀の足跡

 3日は、久しぶりの快晴だったので、仲哀トンネル抜け、椎田道路経由で宇佐別府道路から大分ICで降りるコースを取りました。待ち合わせの大分東洋ホテルまで夫を送って、久しぶりの気ままな一人の時間を大分市内中心部を回ることにしました。
 ただ別府温泉の入湯にも、足のためにはたっぷり時間を取りたいので、2時間を車で回れるところに絞っての歴史散歩です。お猿の高崎山や水族館の海たまごが観光の目玉なのでしょうが、何度も出かけているので、割愛です。

 見違えるほど整備された市内は、府内城跡周辺にはやたら大分ゆかりの人の銅像が建っていました。車からの見物です。府内城跡は公園になっています。廊下橋も復元されて(平成8年)いて、お堀端では鷺が張り番を務めていました。
 
 
 古代には豊後の国衛が置かれ、中世には豊後の国の守護大名大友氏の拠点となった歴史ある府内の地ですが、私は明との交易や南蛮貿易で繁栄を誇ったキリシタン大友宗麟(21代)ぐらいしか知りませんでした。
 慶長2年、秀吉によって改易され、福原直孝が12万石で入封し新たに築城したもののようです。訊ねてみると大友氏館と呼ばれるものは2か所あり、どちらも今は記念の石碑があるぐらいというので、今回は府内城に限定してゆっくり回りました。

特に平成8年に復元された廊下橋が珍しく現存するものは堀と石垣、宗門櫓、人質櫓、天主台ぐらいです。


入口に設置されていた「大分県道路元標」の石碑



大手門




廊下橋入口




廊下橋




案内図



 宿泊は、遅く大分から戻る夫の便宜を考慮して、別府駅に近い北浜のホテル清風を予約していました。創設80年の老舗ホテルで、かつては菊池 寛や武者小路実篤などが定宿にしたとされていて、「実篤の湯源泉」などと表示が下がっていましたが、今では他に立派なホテルが多数建築されて昔の面影は薄くなっているようです。夫には新日鉄大分製鉄所建設のころ宿泊した思い出もある宿のようでした。いつもは観海寺や鉄輪、明礬地区の温泉をとるので、北浜は私には初めてでした。

 9階の和洋室から見下ろす窓の下はすぐ別府湾の波が寄せて、風を受けて走るセーリングのボートの群れや、ヨットハーバーの眺めは珍しいものでした。屋上の展望露天風呂の海風も心地よく、左に遠く延びる国東半島、右には高崎山を眺めて、寒さを忘れてくつろぎました。