今年は珍しく親族には新盆を迎える家がありません。ただ私は今年二人の友人を見送ったので、お参りに出かけることになりました。
遺された方々とありし日の思い出話にしみじみとした時を過ごしながら、身につまされるものがあります。思わず「散る桜、残る桜も散る桜」と胸の内に反芻したことです。
学徒動員先の小倉造兵廠で、空襲警報の鳴り響く中を、防空壕へと手を取り合って走った友です。戦後の苦しい生活を生き抜いた生涯は若い人たちには到底理解しがたいものがあることでしょう。
明日は67回目の終戦記念日がめぐってきます。昭和はすでに遠い存在になりつつあるようです。
オリンピックの賑わいを楽しんだ日々も、数々のドラマを刻んで幕となり、やっと平常が戻る今日、枯れはじめて衰えたヒマワリが目にしみました。