雀の手箱

折々の記録と墨彩画

三年ぶりの九州国立博物館

2016年06月11日 | 雀の足跡


 テレビや新聞で、宣伝が行き届いていたので、兵馬俑展は、会期も終了間際だし、相当な混雑と覚悟して、博多駅に隣接のバスセンターから直行バスで太宰府に向かいました。
「始皇帝と大兵馬俑展」を目指す人でバスも満席でしたが、会場は予想ほどでもなく、修学旅行中の学生の姿も見えました。

 2013年の「尾張徳川の至宝」展以来、私には三年ぶりの九国博です。自分の車ではなくて九国博に行くのは初めてでしたが、駐車渋滞とも無縁でイライラもなく快適でした。 

 太宰府は子供の時以来という娘と天満宮境内を抜けて、虹の歩道のエスカレーターを案内して会場へ向かいました。
 途中の菖蒲園の菖蒲も盛りの時で、こちら目当ての人もいて、平日なのにかなりの人出でした。イベントが催されていると見え鳥居にはアジサイの下げもんが吊り下げられていました。











 兵馬俑展は、万里の長城を造営した人らしく、自分の死後も8000人の兵士にその陵墓を警護をさせ、生前の生活に劣らない暮らしを願ったようです。その夢は、沈む夕日を招き返そうとした我が国の権力者とは、スケールを異にした壮大で虚しく悲しさを伴う夢の展開でした。

 よく知られるように、一人一人の等身大の人物像はその特徴を精密に写し、指の先まで神経の届いた作りです。髷や冠、そして表情の違いでその役割や階級まで想像でき、今にも動き出しそうな迫力でした。
 何度か眼にしていたレプリカの兵士にも驚いていましたが、会場で間近に目にする実物は迫力が違いました。見えないところまで精密に写し取られています。当初は彩色が施されていたのだとか。
 1974年に偶然農夫に発見されるまでの2000年を超える土中にあって、さすがに今は色彩は見当たりません。

 歴史の時間に学んだ始皇帝では、思想の統一や、焚書坑儒の断行などのマイナス面を思い出させましたが、その一方、度量衡、文字、貨幣の共通化、道路の整備、そしてL字型の水道管などを目のあたりにすると、我が国の弥生時代の文化水準と思い合わせて、一般民衆にとっては功罪どちらの比重が重かったのか考えさせられました。

 会場は工夫されていて、緩やかなスローブの壇上から、広く兵馬俑坑を見下ろすかのような臨場感も感じられる構造になっていました。
 修学旅行生のためには、世界史的な年表や、関連する個々の事績が比較できるようなパネルでもあると、興味も増しただろうと思いました。











   正確な二分の一サイズに縮小された四頭立ての2両の彩色銅車馬

兵馬俑展の画像は、九州国立博物館より提供を受けたものです。