雀の手箱

折々の記録と墨彩画

描き初め

2017年01月22日 | 塵界茫々

 今年は病院通いで、なかなか絵筆を手にできずにいました。
、折尾駅の高架工事が最終段階で、大きな踏切が昨年12月から通行できなくなっているので、立ち寄ることがなくなっていた「梔子の池公園」の方に薬局に行くコースの回り道をしました。

 池を覆っていた夏の日の白蓮は、今は枯れ蓮の無惨な姿です。この風景に会わないと私の「冬」は完結しないようです。思い切り放恣に乱れ、池水に沈む姿は痛ましくも悲しみの中に強い線を見せています。それは戦いの果ての古戦場もかくやと幻想させ、風に吹き寄せられた実を飛ばした蓮のうてなは、いくさに敗れた亡者たちのされこうべとさえみえて、全く人の気配もない公園の昼下がり、しばらく声もなく佇んでいました。







 枯れ蓮のおどろおどろの姿に触発されて、今年の手すさびの初めは枯れ蓮にすると決めました。ただし、例年のように、最初の一枚は「南天」です。これも年老いての縁起かつぎでしょうか。
 庭の水仙を供花のつもりで、刀折れ、矢つきた枯れ蓮への挽歌を描いてみました。