雀の手箱

折々の記録と墨彩画

冬をいただく

2009年11月18日 | すずめの百踊り
 大津絵を何とか仕上げたくて模索しています。本来の軽妙な洒脱さが表現できず、絵に描いた詞どおりの「ひょうたんに似たる思案の猿智慧で、いつ本心のなまず押さえむ」の有様です。

 「思考の整理学」で最近人気が復活中の外山滋比古先生も二十数年前にインプットしたものが突如蘇り花開くこともあるといわれていました。
 凡夫にも可能かどうかは計りがたいのですが、いつの日か鯰を抑えることができる日もくるかと諦めて、今は差し迫っては締め切りに間に合わせてねばなりません。
 寒さの到来とともに、味を増した冬の野菜を“いただく”ことにして、白菜、蕪に下仁田葱と手当たり次第です。
 あと1週間あまり、何を提出するか迷うことにします。まだ落款を押せない道の途中で模索中の野菜たちです。おいしいうちにいただかねばと焦っています。










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2 コメント

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食べ尽くす ()
2009-11-20 22:10:27
 やさいは萎びても絵に描くといつまでも残ります。うれしいですね。瑞々しい色も独得の甘いかおりや土の匂いまで、おいしさはふくら雀さんの絵の中にあります。
 白菜の甘さ、重量感。なめらかな蕪の瑞々しいこと、これはみごとな大蕪主ですね。ほんのりツヤツヤ新鮮さが伝わりました。

 下仁田の葱の白さが目に沁みます。やわらかそうな葉は青いところも料理して。白和え、教えて頂いた梅味噌などあいます。
 美味しそうな作品は、りっぱな大津絵です。

 鯰は退蔵寺。ヒョウタンから駒… いえ、実力です。いつもながら大きい、人物の大きさが(器量、才能)どうしようもなく作品に出るのです。 それに泰然として、うらやましい。小心な蛙は、チマチマした絵になります。
 20年前のに、期待します。
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豊澤の冬野菜 (ふくら雀)
2009-11-21 17:24:56
常に大きく見えることを目指しています。それで大きく場所をふさいで描いてしまいます。
蛙さんの批評にどれほど励まされているか。いつもありがとうございます。

どうにも纏りが付かないときは、手の不自由にかこつけて、止めてしまおうかと思うときもありますが、また元気をいただいて、一つ鯰を押さえんものと腕まくりして水の中に入っています。

下仁田葱は、こちらでは何処にでもとは参りませんが、目にしたときは必ず買い求めています。焼きねぎが好みです。

冬の野菜の味は格別な豊かな恵みを齎してくれます。その豊潤に絵ごころを触発されて描いています。
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