旅にしあれば

人生の長い旅、お気に入りの歌でも口ずさみながら、
気ままに歩くとしましょうか…

2007北海道・秋~神々しい夜明け・緑岳早朝①

2007-10-14 22:25:58 | 旅鴉の唄
17日(月)は予報に反し、お山は一日中雲が多くがっかりです。
明日もたぶんダメだろうと期待せず寝袋に入りましたが、
真夜中突然風が強くなり、その音で目が覚めたほど、これが天気の変わり目?
翌18日(火)4:00前に起きると、すでに起きていたOさんが「いい天気だよ」と
ぼそっと囁かれる。用を足すついでに外へ出たら満点の星空、この旅随一です。

仕度して4:15頃、事前に申し合わせたわけではないのですがOさんと同行、
板垣新道を緑岳へ向かいます。小屋前ではNHK取材班が撮影準備中です。
何度通っても真っ暗なこの道は苦手ですが、二人連れ心強いです。
ただしOさんはもうすぐ定年とはとても思えない健脚!ついて行くのが大変です。

分岐へ到着。昨夜「もし晴れたらここで写真を撮りたい」と
Oさんに言っていた場所です。見事な雲海が広がっています。
しかし、トムラウシがくっきり見え、緑岳の斜面も気になるところ。
まだ夜明けまでには時間があると小走りで山頂へ様子を見に行きますが、
やはり紅葉はまだ早く、雲海も入り込んでおらず、
撮るなら先ほどの場所と急いで引き返します。

三脚にカメラをセット、息を呑むような神々しい夜明けと対峙します。

(上は日の出直後、下は少し時間が経って雲海にも日が差している。
バックは音更、石狩、ニペソツ等東大雪の山々)




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2007北海道・秋~ベース・キャンプ作戦④

2007-10-14 22:11:44 | 旅鴉の唄

テントを放置するなどこれまでで初めてのこと、ちょっと不安はありました。
(かなり前に張ったままヒサゴ小屋に逃げ込んだことはあったが)
I大先生に話すと「なんも心配いらないよ」とのことでしたのでちょっとは
心強く思ったのですが…

万が一浸水した場合に備え、寝袋等濡らしてはいけないものは
防水バックに入れ、ザックに仕舞いましたし、風に備え、
ポリタンクに水を満タン入れたものを四隅に置いてきました。

いよいよテン場が見え始めました…が、あるべきはずのところにテントがない!
影も形もないんです!!
「目がテント」なんてしゃれてる場合じゃありません。ドラマなどで我が目を疑う時、
大げさに目をこすったりしますが、冗談でなくこの時はマジ目をこすりました。
「確かあの青いテント(NHK取材班のですが)の横にあったはずだが…」
「自分のテントのフライシートの色はオレンジだったよな」とか
わかりきっているはずのことを頭で反芻、今目の前で起こっていることは
現実ではなく、何かの間違いなのだと必死で打ち消している自分がいます。
「遠いのでよく見えないだけだ」と自分を勇気付けますが、
頭の中はパニック状態、「なぜの嵐」です。

半場放心状態で避難小屋へ。ここで初めてテントやフライ、マットなどが
柵のロープに干されていることを確認できました。
さらに小屋前では私のザックも天日干し。

恐る恐る小屋の管理人さんにそのテントの所有者であることを告げ、なぜ
そういう事態になったのかをお聞きしました。



(折れたポールと切れた張り綱がついたままのペグ)

下でいるとわからなかったのですが、15日(土)夜、山は台風並の暴風雨で
テントの方も小屋へ避難するほどだったようです。
私のテントはあえなくポールが折れ、張り綱が切れ、ぺしゃんこになったようです。
ところが寝袋等入れた大きなザックが中に入っていたために
ちょうど人が寝ているように外からは見えたそうで、
動かないので「死んでるのでは?」と大騒ぎ、
隣のNHK取材班の方々をはじめ多くの方が心配してくださったそうです。

16日(日)になっても誰もやってこない。これはいよいよ一大事、すわ遭難?
今日17日に現れなかったら、地元へ連絡することになっていたそうで、
あわや遭難騒ぎとなったところでした。
「一時下山します、心配しないで下さい、おとんちゃん」とメモ書きは
置いておいたのですが、水浸しでわからなかったようなのです。

ついに今朝になってテントを撤去、濡れたままだったのを干してくれていた
ところだったのです。それまでぺしゃんこ状態のまま放置されていた
私のテントは多くの方の注目を集め続けていたようです、惨め…(続く)



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