先日に続いて踏切のお話。
道路側には柵に踏切名が掲載されているが、JR東日本秋田支社管内の場合、列車から見える線路側の架線柱にも、踏切名の看板が設置されている。
以前は、縦書きで「○○踏切」と名称だけ書かれていたが、(ここ5~10年くらいの間にだろうか)通し番号(踏切番号)が大きく表示されたものに代わっていて、踏切名は番号より小さく表示されている。
秋田支社が踏切番号を採用するだいぶ以前から、隣の盛岡支社が同様の表示をしていた。
JR内部にしても、通行人や周辺住民が連絡するにしても、難読地名だったり、言い間違い聞き間違いしないよう、確実性が高い番号を使っているのだと思われる。
今回はこの踏切番号に注目。
82 館の越踏切
踏切番号には次のような法則があるようだ。
1.路線毎に割り当てられており、秋田支社管内の上り側から下り側に向かっての通し番号。
2.踏切が廃止された場合は、その番号を欠番にする。(秋田市土崎の松田踏切の例。また、立体交差が一般的になったので、今後踏切が新設されるケースはまずないと思われ、番号が増えることはないだろう)
館の越踏切
この「館の越踏切」は、秋田駅の南、東通館ノ越(たてのこし)と楢山大元町を結ぶ踏切。秋田駅から奥羽本線上り方面で最初の踏切に当たる。
奥羽本線の秋田支社の管轄は湯沢市の院内駅以北なので、館の越踏切は院内から数えて82番目の踏切ということだ。
このすぐそばで、奥羽本線と羽越本線が分岐していて、その羽越線側が以前紹介した「99番・袋小路踏切」と「100番・土取場踏切」で秋田駅から数えて2番目と3番目の踏切。
そして袋小路踏切の北隣(秋田駅側)の踏切が、「酒田から数えて101番目」かつ「羽越本線最北端」の踏切ということになる。
101番目の踏切
羽越楢山踏切
院内-秋田間と酒田-秋田間では、踏切の数が82と101で20ほどの差があるが、秋田までの距離は院内が104.3キロ、酒田が104.8キロ(営業キロ)とほぼ同じ。
おそらく、羽越本線は海沿いで平地が多く、全区間に渡ってほぼまんべんなく踏切が存在するのに対し、奥羽本線は山間部の区間があって元から集落や踏切が少ないことに加え、大曲以北で秋田新幹線が走行するため、新幹線開業時に安全のために閉鎖(または立体交差化)された踏切があるためではないだろうか。
ところで、奥羽・羽越線が合流した後、秋田駅までは現在は踏切がないが、1980年に明田地下道が開通する以前は、“開かずの踏切”と言われた「明田踏切」が存在した。
もし、明田踏切に番号が振られていたら、83番、102番どっちだったんだろう? 両方かな。
最後に、秋田駅を越えて土崎・青森方面の奥羽本線下り。秋田駅を出て最初の踏切は、
手形陸橋の下の「第二手形谷地町踏切」
秋田駅以南から引き続いて奥羽本線だから、「83番」と思いきや…
「1番」!
この先にある5番の泉踏切の記事で昨年触れたとおり、JR内部では、秋田駅を境に奥羽本線を分け、上り(東)の大曲方面を「奥羽南線(もしくは単に南線)」、青森へ向かう北の下り方面「奥羽北線(北線)」と区別しているようなので、踏切の番号も秋田を挟んで別の扱いということだ。
かつては、奥羽本線の終点、青森駅まで(正確には青森駅構内の直前まで)が秋田支社の管轄だったが、現在は東北新幹線の延伸を控え、1駅手前の新青森駅までに変更されている。距離にして180キロもあるが、踏切は何番まであるだろうか。
※新青森駅付近の踏切番号についてはこちら
※盛岡支社仕様(青い森鉄道三沢駅)の踏切番号についてはこちら
道路側には柵に踏切名が掲載されているが、JR東日本秋田支社管内の場合、列車から見える線路側の架線柱にも、踏切名の看板が設置されている。
以前は、縦書きで「○○踏切」と名称だけ書かれていたが、(ここ5~10年くらいの間にだろうか)通し番号(踏切番号)が大きく表示されたものに代わっていて、踏切名は番号より小さく表示されている。
秋田支社が踏切番号を採用するだいぶ以前から、隣の盛岡支社が同様の表示をしていた。
JR内部にしても、通行人や周辺住民が連絡するにしても、難読地名だったり、言い間違い聞き間違いしないよう、確実性が高い番号を使っているのだと思われる。
今回はこの踏切番号に注目。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b4/c669392d87b44b74b9bf4a4251709ab0.jpg)
踏切番号には次のような法則があるようだ。
1.路線毎に割り当てられており、秋田支社管内の上り側から下り側に向かっての通し番号。
2.踏切が廃止された場合は、その番号を欠番にする。(秋田市土崎の松田踏切の例。また、立体交差が一般的になったので、今後踏切が新設されるケースはまずないと思われ、番号が増えることはないだろう)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/e3/47e011b2e466e2e65d62b1d50948d11f.jpg)
この「館の越踏切」は、秋田駅の南、東通館ノ越(たてのこし)と楢山大元町を結ぶ踏切。秋田駅から奥羽本線上り方面で最初の踏切に当たる。
奥羽本線の秋田支社の管轄は湯沢市の院内駅以北なので、館の越踏切は院内から数えて82番目の踏切ということだ。
このすぐそばで、奥羽本線と羽越本線が分岐していて、その羽越線側が以前紹介した「99番・袋小路踏切」と「100番・土取場踏切」で秋田駅から数えて2番目と3番目の踏切。
そして袋小路踏切の北隣(秋田駅側)の踏切が、「酒田から数えて101番目」かつ「羽越本線最北端」の踏切ということになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/44/ea48c28d2d766043f2c9fd284b30516e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/56/4811aea2c6aa9507fcb3a57e045c7e94.jpg)
院内-秋田間と酒田-秋田間では、踏切の数が82と101で20ほどの差があるが、秋田までの距離は院内が104.3キロ、酒田が104.8キロ(営業キロ)とほぼ同じ。
おそらく、羽越本線は海沿いで平地が多く、全区間に渡ってほぼまんべんなく踏切が存在するのに対し、奥羽本線は山間部の区間があって元から集落や踏切が少ないことに加え、大曲以北で秋田新幹線が走行するため、新幹線開業時に安全のために閉鎖(または立体交差化)された踏切があるためではないだろうか。
ところで、奥羽・羽越線が合流した後、秋田駅までは現在は踏切がないが、1980年に明田地下道が開通する以前は、“開かずの踏切”と言われた「明田踏切」が存在した。
もし、明田踏切に番号が振られていたら、83番、102番どっちだったんだろう? 両方かな。
最後に、秋田駅を越えて土崎・青森方面の奥羽本線下り。秋田駅を出て最初の踏切は、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/80/d901199d6bd0ba7735d9046c7d1c034a.jpg)
秋田駅以南から引き続いて奥羽本線だから、「83番」と思いきや…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/31/ef51031a0fac97ce87947fadfb02b712.jpg)
この先にある5番の泉踏切の記事で昨年触れたとおり、JR内部では、秋田駅を境に奥羽本線を分け、上り(東)の大曲方面を「奥羽南線(もしくは単に南線)」、青森へ向かう北の下り方面「奥羽北線(北線)」と区別しているようなので、踏切の番号も秋田を挟んで別の扱いということだ。
かつては、奥羽本線の終点、青森駅まで(正確には青森駅構内の直前まで)が秋田支社の管轄だったが、現在は東北新幹線の延伸を控え、1駅手前の新青森駅までに変更されている。距離にして180キロもあるが、踏切は何番まであるだろうか。
※新青森駅付近の踏切番号についてはこちら
※盛岡支社仕様(青い森鉄道三沢駅)の踏切番号についてはこちら