広く浅く

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たかしまあきひこ氏逝去

2016-11-13 23:49:38 | 昔のこと
作編曲家のたかしまあきひこ氏が10月16日、73歳で亡くなった。
ここ数十年の日本のテレビ番組を見ている人は、意識していなくても、ほぼ全員が、たかしま氏が手がけた音楽を耳にしている。
以前からたまに触れているように、僕にはたかしま氏の作品には思い出のあるものが少なくない。近年になって、たかしま氏のお姿をテレビで見ることができ、こういう方だったのかと親しみが増していた。ところが、今春、それまでほぼ隔週で担当していたNHKの音楽番組(詳細後述)でお見かけしなくなり、どうされたのかと心配していたところの訃報だった。
※音楽に関する知識は乏しいので、以下、憶測や勘違いがあると思います。お気づきの点があればご指摘願います。

亡くなったことが明らかにされたのは週末で、登山家の田部井淳子さん(週刊とうほくゼミナールにも出ていた)の訃報と重なったことがあるとはいえ、報道での扱いは大きくなかった。
全国紙には載ったが、秋田魁新報ではなし。自局の番組に多くたずさわった(後述)NHKテレビやフジテレビのニュースでも見なかった。越部信義氏の時もそう感じたが、作曲家の死はその程度の扱いなのだろうか。

訃報記事は、山本直純氏に師事し、TBS「8時だョ!全員集合」の「ヒゲダンスのテーマ」や「盆回り」が代表作、他にもテレビの音楽を多数手がけたといった内容。
たかしま氏は、作曲よりも、既存の曲をアレンジする編曲のほうを多く手がけたようだ。「ヒゲダンス~」も外国の曲のリズム部分を抜き出したそうだ。
「編曲」という仕事の内容は素人には想像しづらいけれど、音楽に関する総合的な知識が必要で、テレビの場合は時間などの制約も多いと思われる。作曲とはまた違う苦労がありそう。

「~全員集合」は秋田では放送されなかったので、僕はその曲については大人になるまで知らなかった。
最初にたかしま氏を知ったのは、小学生の頃見たフジテレビ「ドリフ大爆笑」。音楽担当者としてテロップが出て、全部ひらがなの名前なので、小学生ながら印象に残ったのだ。
「隣組」や「いい湯だな」をアレンジしたオープニング(♪ド・ド・ドリフの大爆笑)とエンディング(♪ババンババンバンバン)もそうだし、「毎度おなじみ『もしも』のコーナー(正しくは「もしもシリーズ」らしい)」のBGMは作曲か。

その後、2000年代以降にNHKの番組で音楽を担当しているのを見るまで、たかしま氏のことを特に意識しなかったが、今振り返れば、その間の昭和末期から平成初期には、特にたくさんの音楽を作っていて、僕はそれを聞いていた。例えば、
・アニメ「パーマン」1983年、テレビ朝日 ※TBSのモノクロ版とは別
テレビ朝日・シンエイ動画によって多数の藤子不二雄作品(A氏とF氏の独立前)がアニメ化された時期で、「ドラえもん」「忍者ハットリくん」と並ぶ代表作で「ドラ・ハッ・パー」と称された。
ドラ、ハッは、菊池俊輔氏が音楽を担当(BGMの作曲)したのに対し、パーマンだけはたかしま氏が担当【この記事最後も参照】。主題歌や挿入歌は、別の人が作曲し、たかしま氏が編曲。

そう思って聞けば、他の藤子アニメとは違った雰囲気の音楽。うまく表現できないけど。
パーマンがのんびりとパトロールしている時の曲とか、学校帰りのカバ夫とサブが「カバ夫くん、お父さんの入れ歯見っかった?」「ううん。まだ」と話しているシーンでよくかかっていた曲とか、好き。
サントラ集は出ていないが、たかしま氏の方針なんだとか。

この作品では、パーマンのバッジの呼び出し音が印象的。
Wikipediaによれば、TBSのモノクロ版とは音が違うそうだけど、この音もたかしま氏の“作曲”なんだろうか?

余談だけど10月20日は声優の肝付兼太さんも亡くなった。
「ドラえもん(テレ朝版としては初代)」の骨川スネ夫が代表作とされたが、この頃の藤子アニメではほぼ全作品に出演していた。「パーマン」ではパーヤンことパーマン4号。

・アニメ「Dr.スランプアラレちゃん」1981~1986年、フジテレビ
今もCMで使われることがある「ワイワイワールド(♪きったぞきたぞアラレちゃん)」など、歴代のオープニング、エンディングの編曲。
作曲はほとんどが菊池俊輔氏(一部サタンタ名義の子門真人氏)、当時の藤子アニメを別々に担当していた2人が共作。【14日追記】パーマンよりアラレちゃんのほうが2年早いから、作られたのはたかしま氏がまだ藤子アニメに関わる前か。
なお、番組の音楽担当(BGM)は菊池俊輔氏。

・「FNNニュース」1984~2015年
フジテレビの報道番組のテーマ曲をいくつか作曲。
2015年まで31年に渡って使われた曲(差し替えにより流れなかった系列局あり)もあった。

・「FNNスーパータイム」1984~1997年
たかしま氏のホームページではプロフィールの代表作として「10年以上も使っていただきました」と紹介している。
逸見政孝、幸田シャーミン、安藤優子などがキャスターを務めた、フジテレビの夕方のニュースを作曲。
音を聞いたら条件反射で「Super time」と言ってしまいたくなるオープニングだけでなく、「今日お伝えする主な項目」のBGM、各項目の見出しで流れる音、スポーツコーナーのBGMなど、番組全体の音楽を総合的に作ったようだ。音楽を積極的に流す報道番組は当時はとても斬新だった。

ちなみに、秋田テレビでは1989年までは平日は「テレポートあきた」という番組名だったので、その間は「Super time」のかけ声(?)がなく、「シュッ」という効果音だけが流れる、ちょっと間抜けなものだったかも。
僕は、全国版とローカル版の境界で流れる、オープニングを軽めにした曲が好きだった。
また、途中のある時期(平成に入った頃? もしくは末期の1995年頃?)から、若干アレンジされて、オープニング曲の終わりの余韻がカットされてしまい、尻切れとんぼになってしまったのが、いただけなかった。


この頃は、TBSやフジの番組の作曲が多かったようで、他にも秋田ではやってなかったけどTBS「クイズダービー」、ドリフつながりなのかいずれもフジテレビ「志村けんのバカ殿様」「志村けんのだいじょうぶだぁ」なども。

・NHK「みんなのうた」
いろいろな人が歌ったり作ったりする「みんなのうた」。
番組公式ホームページのデータベースによれば、たかしま氏もいくつかを作曲または編曲していた。
1983年の坂本九が歌った「馬のシッポ ぶたのシッポ」という曲の編曲が最初。作曲が師匠山本直純。
以後、1990~2010年にかけて、作・編曲2曲、編曲のみ2曲(うち1曲は小林幸子作曲)を担当。
僕はタイトル覚えがある曲がいくつかある程度で、どれも残念ながらメロディは思い浮かばない。

ところで、たかしま氏は、本名の「高島明彦」名義で活動する場合もあった。それで検索したら、1991年と1992年にさらに2曲を編曲していた。
1992年の「エトはメリーゴーランド」。歌のほか作曲も田中星児だった。この曲は知ってる! 僕が干支を完璧に覚えたのはこの歌のおかげかも。今も十二支を順に言う時は、なんとなくこのメロディーになる。【17日追記】作詞は子ども向けの歌を多く作った人によるものだが、それぞれの干支の扱いが不公平なのと、終わり方が唐突なのがなんだか… 十二支を順に言う部分のメロディーは覚えやすい。【この後、2016年12月から2017年1月にかけて、「エトはメリーゴーランド」が再放送された】
したがって、作・編曲2曲、編曲のみ5曲の計7曲。

ちなみに、越部信義氏は39曲、山本直純氏は30曲。(データベースの検索結果数。リメイク曲は重複してカウント)
※みんなのうたホームページのデータベースでは、編曲者が登録されていない曲もあるようなので、他にもあるかも。

・CM
Wikipediaによれば、CMもいくつか手がけている。
どうも、あの「♪エバラ焼肉のたれ」のジングルも作曲したらしい。これこそ代表作品と言えるかもしれない。
「セブン-イレブン」も挙げられているけれど、「♪セブン-イレブンいい気分」のこと?(秋田では印象が薄いけど)


そして、僕が久しぶりにたかしま氏のお名前をテレビで見たのが、2000年代中頃のNHKの歌番組だったと思う。
NHKでは「音楽 たかしまあきひこ」と表示することが多いので当初の僕の知識ではよく理解できなかったが、歌手が既存の歌を歌う番組だから、放送用に「編曲」を担当したということだろう。
2010年代になると、担当する番組が増えたように感じられた。他の作曲家とともに「紅白歌合戦」も担当しているはず。
火曜20時の「NHK歌謡コンサート」も、いつの間にかほぼ隔週で担当していた。これは、「三原綱木とザ・ニューブリード/東京放送管弦楽団」が指揮・演奏するための譜面を作っていたのだろう。
さらに、BSプレミアムの「新・BS日本のうた」も、数週に1度程度担当。(「新」がつかない前番組は不明)Wikipediaによれば番組のテーマ音楽の作曲もたかしま氏らしい。
こちらは、バンドの指揮者が誰かは表示されず、数名がローテーションしていた。研究したら、どうも「音楽」担当者が指揮もしているらしい。
ということで、たかしま氏が音楽を担当している回に、指揮をしている人自身がたかしま氏であることが判明。(名前はエンドロールで表示されるので、そこで知っても遅いけど)
お名前を存じ上げて20年以上経ってから、お姿を知ることができた。雑誌や他の番組などに出ることはあったようだけど。

三原綱木氏がそうであるように、この手の指揮者は、指揮棒を持たずに手だけで指揮する人が多いようだ。
指揮者の口元に付けたマイクでの指示や、クリックというリズムを刻む音が、各奏者のイヤホンで聞こえる仕掛けになっているそうで、しかも演奏するのもプロだから、実際のところ指揮の動作自体はそんなに重要でないのかもしれない。
たかしま氏は、指揮棒を使って、わりとはっきりと指揮をしており、かっこよかった。


今春、歌謡コンサートが終了して「うたコン」になり、指揮の三原綱木氏が降板。
3月15日の歌謡コンサート最終回の音楽担当はたかしま氏だった。
さらに、この日の裏番組では「志村けんのだいじょうぶだぁ新作春祭りSP」が放送されていた。おそらく、こっちの音楽もたかしま氏。たかしま氏担当の火曜ゴールデンタイム番組としては、ドリフ大爆笑のフジのほうが先で、NHKが後だけど。ちなみにこの時、北島三郎は、なんとだいじょうぶだぁのほうに出演。

4月からの「うたコン」では、BS日本のうたと同じく、編曲者が指揮もすることになり、当初は引き続きたかしま氏と栗田信生氏が交代で担当していた。お2人ともBS日本のうたもかけもちしていて、大変そう。
そんな中、たかしま氏は、4月19日(PUFFYが出演)、26日、5月24日を担当した後、出なくなった。BS日本のうたは5月29日放送(事前収録)が最後【12月18日追記・それ以降に担当した回があったかもしれない】。きっとその頃から体調が悪くなってしまったのだろう。
8月27日放送の「第48回思い出のメロディー」では、多数の音楽担当者の1名として、たかしま氏も表示されていた。この時の指揮は久々に三原綱木氏。


三原氏の降板とたかしま氏が出られなくなったことにより、NHKでは指揮者不足になったようで、現在は、新たな人も加わって指揮をしている。
BSでは丸山和範氏という方が出るようになったが、「古畑任三郎」のオーケストレーション(編曲とほぼ同義?)をした人。
また、近年たかしま氏が担当する番組では、音楽担当者に「KANTA」なる人物も連名で表示されることが多かった。KANTA氏はたかしま氏のご子息。たかしま氏が出なくなった後、BS日本のうたの指揮を1度したこともあったが、父と同じく指揮棒を持って、どことなく似たお姿だった。
【2017年6月5日追記】KANTA氏は、その後のBS日本のうたも引き続き担当。2017年6月4日放送分では「たかしまかんた」に改名していた。なお、BS朝日の「日本の名曲 人生、歌がある」の音楽も担当しているが、名義は未確認。


最後に2つ。
まず謎。
指揮棒を持って指揮をされていたたかしま氏。指揮棒は、コルクなどでできた太い握り部分がありそこを持って、とがった先端を先にして振るもの。
ところが、たかしま氏は、場合(曲?)よっては逆に握るほうを先にして(持つ位置は反対側のとがった所でなく、握りに近い棒の中間辺り)指揮することがあった。番組1回につき1曲くらいの割合。
4月19日のうたコンでは、まさに「アジアの純真」がそうだった。
5月29日のBSでは、地元の吹奏楽団による「錨を上げて」~「憧れのハワイ航路」、それ以前の回では石川ひとみ「まちぶせ」など。
照明とか曲調の関係で、指揮がはっきりと見えるように、握り側を見せていたのだろうか?
他にそんな持ち方をする指揮者っているのだろうか?
【2018年4月29日追記】上記の通り、新BS日本のうたに新たな指揮者が何人か入ったが、その中の中尾唱氏(大阪周辺で収録する場合は、バンドがまったく別メンバーになり、その回の音楽は中尾氏固定。反対に東京のバンドの回を中尾氏が担当することはないようだ)という人も、指揮棒を逆さまに持って振ることがある。ただ、たかしま氏と違って、棒を持たずに振ることも多いし、逆さの持ち方もたかしま氏とはちょっと違う。


ほんとに最後は、テレビ朝日・シンエイ動画への苦言。
CSやケーブルテレビの「テレ朝チャンネル」では、昭和の藤子アニメを放映してくれている。(無料放送期間しか見ないけど…)
多くが、往時とは主題歌やクレジットの表示が異なっており、再放映に当たって編集が加えられたと思われる。それは、脚本家や声優の名前が毎回同じものが表示されてしまうなど、やり方が雑な気がする。手間なのも分からなくはないけど、2話しか放送しない回に、脚本家が10人もダーッと出るのは…
その最たるものが「パーマン」の音楽担当者の表示。

上記の通り、「パーマン」はたかしまあきひこ氏担当で、現在のシンエイ動画のホームページにもそう掲載されている。
シンエイ動画ホームページより
ところが、テレビでは
「音楽 菊池俊輔」
ドラえもんやハットリくんと混同してしまったのだろうか。
Wikipediaなどインターネット上にも、(制作側とは無関係の人によって)誤りであることが記載されているが、もしかしたらテレ朝側では把握していないのかもしれないと思って、1年ほど前、テレ朝チャンネルのご意見フォームから間違いを指摘させてもらった。
ところが、今なお、直っていない。

間違ったのはしょうがない。大元の原盤みたいなのを修正しなければならず、大変なのかもしれない。
でも、失礼じゃないでしょうか。その方が亡くなってしまった今なら、なおさら。
もし、これが小林亜星氏だったら、激怒するかもしれませんよ。(←寺内貫太郎一家と記念樹事件による偏見?)
コメント
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