2023年10月20日の臨時国会開会式で、新たに就任した額賀福志郎 衆院議長が所作を誤ったことが話題になった。
演壇から議場に向かって「式辞」を読み上げた後、後方に座る天皇陛下へ振り返って一礼後、そのまま降壇するべきところ、階段を上がって天皇陛下の元へ歩み寄り、式辞の原稿を手渡してしまった。陛下は、若干困惑の表情を浮かべた後、立ち上がってほほえんで両手で受け取られた。
卒業式の答辞じゃあるまいし。まして今回のは「原稿」。見た感じ、賞状のような厚手で大きめの一枚紙を、軽く丸めて筒状にした状態。それを渡されても困る。議長が初めてで緊張したと釈明して、それはそうなのだろうけど、衆議院議員を13期もやっていて、知らなかったわけはないでしょう。
あと、演壇後方、階段左右には、4~5人ずつ、何者か知らないけど立っている(議長も式辞以外はその右側で待機するようだ)。その人たちだって、所作は知っているだろうから、階段を上がりかけた議長に「そっちじゃない。こっちへ戻って!」と声をかけて、やめさせることもできたのでは、と思った。
天皇陛下としては、そんなもんいらんと追い返すわけにもいかず、受け取るしかなかったとお察し申し上げる。後で議長が宮内庁長官へ謝罪し、「陛下は気にしていない」旨が伝えられ、まあ一件落着。
この一件を知って、「フィンガーボウル」を思い出した。フィンガーボウルが出てくる、とあるお話。
おそらく小学校4年生=1986年度の道徳の教科書に載っていて、授業で取り上げられた。
「フィンガーボウル」の名と用途を初めて知るとともに、女王が行ったことが果たして正しいと言えるのか、引っかかるような気持ちになったので、40年近く経った今でも記憶に残っている。
当時は道徳が正規の教科扱い(現在は「特別の教科」)ではなく、教科書も検定・無償給与(先日の記事)ではない、副読本のような扱い。秋田市立学校では、学校ごとに教科書を選定していたようだ。母校は道徳教育の研究指定校だったため、毎年、違う教科書を買わされており、どの教科書会社だったのかは失念。
このお話をネットで検索してみると、道徳の授業に限らず、大きなってから(おそらくマナー講習やサービス業界の研修等)知ったと思われる人もいて、そこそこ知られた話のようだ。
Wikipediaの「フィンガーボウル」の項でも言及がある。元となる実際のエピソードがあるとされるが、細部が異なって言い伝えられている。主催者はイギリス国王エドワード8世またはヴィクトリア女王で、招待客は外国人というのが多そう。場所を日本にして、陸軍大将主催の会とするバージョンも存在。イギリス版でも、客の出身はアラブだとかアフリカだとか、いくつかあるようで、そのバラツキ具合からすれば作り話っぽい感じもする。
ネット上の個人の思い出話では、客が「(なぜか招待された)一般庶民」とするものや、女王が「エリザベス女王」、さらに「サッチャー首相」だとするものも。それらは、勘違いあるいは、伝言ゲームのように/時には意図的に、作り変えられたのだと思われる。
そして、令和になっても、道徳の教科書に載っていた。ネットには、授業の展開をまとめた学習指導案が、いくつもアップされている。最近は、フィンガーボウルの説明や食事マナーと合わせて、栄養教諭とともに授業することも行われていた。
道徳教科書の掲載内容に限れば、「人権を大切にする道徳教育研究会(https://www.doutoku.info)」ホームページに、信頼性が高い参考になる情報があった。
同研究会によれば、現時点で3社が、いずれも小学校4年生用に掲載している。あかつき教育図書と日本文教出版は「フィンガーボール」、学校図書が「生きた礼ぎ」のタイトル。※「~ボウル」ではなく「~ボール」表記。この記事では一般的と思われる「~ボウル」も用います。
その他、光文書院の3年生用にも「生きたれいぎ」が掲載されているようだ。「礼」は3年生で習う漢字であるため、3年生向けはまだ「れいぎ」表記なのだと思う。過去も含めて、他社・他学年にも載っていた可能性がある。
出典については、
1965年に当時の文部省が出版した「小学校道徳の指導資料 第2集 第4学年」に「資料 読み物「生きたれいぎ」 」というのがあるらしく、それがこれだとすれば、原典出版直後から、およそ60年に渡って、道徳教育で使われてきたことになる。
教科書会社が違っても、同じ「あらすじ」が掲載されるが不思議だが、文部省が示した資料からの転載ということなのか。
研究会によれば教科書での終わりかたは2パターン存在。
僕が習ったのはどっちだったか。言われてみれば「生きた礼儀」という言葉におぼえがあるような。「~ありがたく思ったことでしょう。」のくだりがあったような。
フィンガーボールは、学習指導要領における「礼儀」、「礼儀の大切さを知り,誰に対しても真心をもって接すること」をねらいとした教材。
たしかに、女王のやりかたも、客を思いやった行動の1つではある。間違った客は、事実を知った時、女王の対応に感謝はするだろうけれど、そのほかに、女王は確実に自分の過ちを認識していて、そのことで女王に気を遣わせてしまったことを同時に知ることになる。自責の念というか申し訳ない気持ちが生じてしまわないだろうか。さらに、間違いに気付くのが遅れれば、次にフィンガーボウルに接した時は、また飲んでしまいかねない。
自分が間違った客の立場ならば、見て見ぬふりで淡々と手を洗ってくれたほうがいい。「自分の間違った行為を、ひょっとしたら女王は見て(気付いて)いなかったかもしれない」という、“淡い期待”も持つことができ、後悔も軽減される。
間違った客と女王以外の、他の客の立場になってみても、主催者が水を飲んでしまっては、自分はどうすれば…と葛藤することになるだろう。
可能ならば、客が飲みかけた時点で小声で「飲むんじゃないですよ」と止め、できないなら、見て見ぬふりで淡々と手を洗うのがいちばんではないだろうか。
つまるところ、相手を思いやった行動を、その場に応じて臨機応変にすればいいのだけれど、その行動は1つだけが正解ではないだろうし、相手の受け取りかたも1つではない。
37年前は、漠然とした引っかかりが残った程度だったが、今、37年ぶりに思い返してみたら、小学生にも大人にも難しい問題だと感じている。
ところで、お嬢様育ちの芸人(一時期、NHKディレクター)たかまつなな には、牛丼屋に初めて入って、水の入ったコップをフィンガーボウルと勘違いして、指を洗ったという、今回の話と真逆のネタがあるらしい。でも、いくらお嬢様でも、牛丼屋のコップはコップだと思うのでは… そもそも牛丼屋で指先はあまり汚れないだろうし… ネタだから作り話でもいいけれど。
演壇から議場に向かって「式辞」を読み上げた後、後方に座る天皇陛下へ振り返って一礼後、そのまま降壇するべきところ、階段を上がって天皇陛下の元へ歩み寄り、式辞の原稿を手渡してしまった。陛下は、若干困惑の表情を浮かべた後、立ち上がってほほえんで両手で受け取られた。
卒業式の答辞じゃあるまいし。まして今回のは「原稿」。見た感じ、賞状のような厚手で大きめの一枚紙を、軽く丸めて筒状にした状態。それを渡されても困る。議長が初めてで緊張したと釈明して、それはそうなのだろうけど、衆議院議員を13期もやっていて、知らなかったわけはないでしょう。
あと、演壇後方、階段左右には、4~5人ずつ、何者か知らないけど立っている(議長も式辞以外はその右側で待機するようだ)。その人たちだって、所作は知っているだろうから、階段を上がりかけた議長に「そっちじゃない。こっちへ戻って!」と声をかけて、やめさせることもできたのでは、と思った。
天皇陛下としては、そんなもんいらんと追い返すわけにもいかず、受け取るしかなかったとお察し申し上げる。後で議長が宮内庁長官へ謝罪し、「陛下は気にしていない」旨が伝えられ、まあ一件落着。
この一件を知って、「フィンガーボウル」を思い出した。フィンガーボウルが出てくる、とあるお話。
ある国で、女王主催の晩餐会(食事会? 宴会?)が開かれた。その招待客の1人が、汚れた指先を洗うための水が入った容器「フィンガーボウル」の水を、知らなかったのか緊張したためか誤って飲んでしまった。それを見た女王は、本来の用途を知っているのに、フィンガーボウルの水をためらいなく飲み干した。
そんな内容だっと記憶する。おそらく小学校4年生=1986年度の道徳の教科書に載っていて、授業で取り上げられた。
「フィンガーボウル」の名と用途を初めて知るとともに、女王が行ったことが果たして正しいと言えるのか、引っかかるような気持ちになったので、40年近く経った今でも記憶に残っている。
当時は道徳が正規の教科扱い(現在は「特別の教科」)ではなく、教科書も検定・無償給与(先日の記事)ではない、副読本のような扱い。秋田市立学校では、学校ごとに教科書を選定していたようだ。母校は道徳教育の研究指定校だったため、毎年、違う教科書を買わされており、どの教科書会社だったのかは失念。
このお話をネットで検索してみると、道徳の授業に限らず、大きなってから(おそらくマナー講習やサービス業界の研修等)知ったと思われる人もいて、そこそこ知られた話のようだ。
Wikipediaの「フィンガーボウル」の項でも言及がある。元となる実際のエピソードがあるとされるが、細部が異なって言い伝えられている。主催者はイギリス国王エドワード8世またはヴィクトリア女王で、招待客は外国人というのが多そう。場所を日本にして、陸軍大将主催の会とするバージョンも存在。イギリス版でも、客の出身はアラブだとかアフリカだとか、いくつかあるようで、そのバラツキ具合からすれば作り話っぽい感じもする。
ネット上の個人の思い出話では、客が「(なぜか招待された)一般庶民」とするものや、女王が「エリザベス女王」、さらに「サッチャー首相」だとするものも。それらは、勘違いあるいは、伝言ゲームのように/時には意図的に、作り変えられたのだと思われる。
そして、令和になっても、道徳の教科書に載っていた。ネットには、授業の展開をまとめた学習指導案が、いくつもアップされている。最近は、フィンガーボウルの説明や食事マナーと合わせて、栄養教諭とともに授業することも行われていた。
道徳教科書の掲載内容に限れば、「人権を大切にする道徳教育研究会(https://www.doutoku.info)」ホームページに、信頼性が高い参考になる情報があった。
同研究会によれば、現時点で3社が、いずれも小学校4年生用に掲載している。あかつき教育図書と日本文教出版は「フィンガーボール」、学校図書が「生きた礼ぎ」のタイトル。※「~ボウル」ではなく「~ボール」表記。この記事では一般的と思われる「~ボウル」も用います。
その他、光文書院の3年生用にも「生きたれいぎ」が掲載されているようだ。「礼」は3年生で習う漢字であるため、3年生向けはまだ「れいぎ」表記なのだと思う。過去も含めて、他社・他学年にも載っていた可能性がある。
出典については、
「“吉沢久子作「生きた礼儀と死んだ作法」”のあらすじである。 この作品が収められているのは、「美しい日々のために:少女の生活設計」(吉沢久子著、三十書房、1953年) 」。
吉沢久子は2019年に101歳で亡くなった、評論家・随筆家。1965年に当時の文部省が出版した「小学校道徳の指導資料 第2集 第4学年」に「資料 読み物「生きたれいぎ」 」というのがあるらしく、それがこれだとすれば、原典出版直後から、およそ60年に渡って、道徳教育で使われてきたことになる。
教科書会社が違っても、同じ「あらすじ」が掲載されるが不思議だが、文部省が示した資料からの転載ということなのか。
研究会によれば教科書での終わりかたは2パターン存在。
「作法通りに女王がフィンガーポールで指を洗ったなら、その客はどんな思いをしたことか。・・・(ここまでの内容は各社共通) そのあと【日本文教出版】と【学校図書】では、「お客はあとで自分の間違いを知ったとき、女王のとった態度をありがたく思ったことでしょう。」と続き、女王の行動を「生きた礼儀」の手本として評価している。これでは女王のやり方が唯一の正解であるかのように教えることになり、めざす「考える道徳」になっていない。一方【廣済堂あかつき】は女王の行動の評価までは記載せず、考える余地をつくっている。 」。
僕が習ったのはどっちだったか。言われてみれば「生きた礼儀」という言葉におぼえがあるような。「~ありがたく思ったことでしょう。」のくだりがあったような。
フィンガーボールは、学習指導要領における「礼儀」、「礼儀の大切さを知り,誰に対しても真心をもって接すること」をねらいとした教材。
たしかに、女王のやりかたも、客を思いやった行動の1つではある。間違った客は、事実を知った時、女王の対応に感謝はするだろうけれど、そのほかに、女王は確実に自分の過ちを認識していて、そのことで女王に気を遣わせてしまったことを同時に知ることになる。自責の念というか申し訳ない気持ちが生じてしまわないだろうか。さらに、間違いに気付くのが遅れれば、次にフィンガーボウルに接した時は、また飲んでしまいかねない。
自分が間違った客の立場ならば、見て見ぬふりで淡々と手を洗ってくれたほうがいい。「自分の間違った行為を、ひょっとしたら女王は見て(気付いて)いなかったかもしれない」という、“淡い期待”も持つことができ、後悔も軽減される。
間違った客と女王以外の、他の客の立場になってみても、主催者が水を飲んでしまっては、自分はどうすれば…と葛藤することになるだろう。
可能ならば、客が飲みかけた時点で小声で「飲むんじゃないですよ」と止め、できないなら、見て見ぬふりで淡々と手を洗うのがいちばんではないだろうか。
つまるところ、相手を思いやった行動を、その場に応じて臨機応変にすればいいのだけれど、その行動は1つだけが正解ではないだろうし、相手の受け取りかたも1つではない。
37年前は、漠然とした引っかかりが残った程度だったが、今、37年ぶりに思い返してみたら、小学生にも大人にも難しい問題だと感じている。
ところで、お嬢様育ちの芸人(一時期、NHKディレクター)たかまつなな には、牛丼屋に初めて入って、水の入ったコップをフィンガーボウルと勘違いして、指を洗ったという、今回の話と真逆のネタがあるらしい。でも、いくらお嬢様でも、牛丼屋のコップはコップだと思うのでは… そもそも牛丼屋で指先はあまり汚れないだろうし… ネタだから作り話でもいいけれど。
似たような話は中国の古い話や日本の寺子屋のおもらしの話にありました。
フィンガーボールですが、昔格付けチェックや高校生クイズなどで失格切りに使われたこともありますが実は中身がボウルに氷水というパターンでないんがあります。
紅茶みたいな色したレモンの浮かんだ水で、とりわけイギリス。
迂闊にお通しと勘違いして飲む人が続出。
多分それかと。
神社の手水の柄杓に口すらつけないけど、イートインや市役所の緑茶の機械なら遠慮なく飲む国民性でついやっちゃうとか。
日本人になじみが薄いアイテムを、あえて小学生の教材に起用したのは、興味深いところです。
中華料理でも、油対策ということでウーロン茶やプーアル茶を入れることがあるそうです。
日本では、極力、器用に箸を使い、おしぼりがせいぜいですね。