40年前にできて、約10年前になくなった「秋田ニューシティ」の続き。
今回は、外観を改めて記録しておく。
前回の冒頭の再掲写真もそうだが、ネット上に残るニューシティの写真は、北東側から撮影したものがほとんど。こちらが「正面」ととらえられるデザインだったこともあるだろう。
※外壁が白くなる前、当初の肌色(ペールオレンジ)だった頃の写真は見当たらない。あれば貴重だ。
東辺が大町通りに面し、秋田駅方向でもあるため、出入りする客は多いのは間違いないが、北東角としたのは小さいながら信号機付き交差点(2000年代に入ってからスクランブル化)があって、比較的開けていて目立つからだろうか。
大町通りを少し北・通町方向へ進んで、旧・秋田魁新報社跡地、サンパティオ付近から。
東辺と北辺が見渡せる
外が見えるガラス張りのエレベーターが、この角に設置されていて特徴的。ガラス張りエレベーターは当時流行りで、秋田駅前のジャスコとヨーカドーもそうだが、いずれも角ではない位置。
エレベーターの上の壁にも、辻兵マークと、その左右にNEWCITYマーク。
ここから見ても、前回の通り屋上の辻兵の箱看板が鉄骨に載っているのが分かる。
今初めて気付いたが、写真右・北辺の外壁は、4階から上は少し引っこんだ構造になっていて、ちょっと格好悪い。東辺は5階まで平らなのに、何か理由があるのか。日照権ってほどでもなさそうだし。
さらに北、通町との丁字路手前、ねぶり流し館前から。
右に「辻兵」の頭が見える
往時は、通町の商店街やバス停(神田線や将軍野線利用者)とニューシティを行き来する人でにぎわったはず。
大町通りの1本東側、星辻神社のある川反通り、今、旧大島商会が移築された付近からは、こう見えた。
あくらやサンパティオに隠れて、てっぺんだけ
右に屋上の辻兵も見えた。オープン当初は魁の建物があったので、すべて隠れて見えなかったはず。
北辺の道路は、大町二丁目と一丁目との境、東・一丁目橋から西・新国道方向への一方通行。その通りの少し一丁目橋寄りから。
オープン時は、百貨店「本金(ほんきん。駅前に移転し、現・西武秋田店)」があったので、また違う風景だったはずだけど記憶にない。秋田ワシントンホテル(現・イーホテル秋田)が建つと、狭苦しい雰囲気で、近づくまでニューシティは見えない。
大町通りの1本西側、茶町通り~上肴町。北側は通町の鮮魚店寄りの地元スーパー(?)「せきや」の横と言うか裏。
辻兵看板と建物裏側が見える
裏側ではあるが、せきやと掛け持ちで買い物する人もいたはずで、行き来する人は少なくなかったはず。
上の位置から南へ進むと、ニューシティ北西角、一方通行路との小さな交差点。ここに、
(再掲)2002年8月
「ミスタードーナツ秋田大町ショップ」があった。ショップNo.0360。
ニューシティ本体とは別の平屋。鎌田会館運営で秋田県内では2店舗目か?
1983年頃オープンらしく【下の追記も参照】、2007年8月末で閉店。ニューシティの最初と最後には存在しなかった。
ニューシティより遅れてミスドができたのは記憶している。できる以前はこの部分がどうなっていたか記憶にない。あと店舗前のタイルが滑りやすい材質【6日追記・若干の傾斜もあった】で、冬は怖かった。
閉店後は、
2010年。先に解体されて空き地に
当初はどうしてここをこう空けて建てたのか。2年後にミスドを作る計画があったのか。
【6日補足】ここも土地所有者はニューシティと同じだったのだと思うが、建物と歩行者通路で、敷地のほぼめいっぱいを使っている中、ここだけが何もないスペースだったことになる。
【7日追記】いただいたコメントによれば、ここは所有者が違う建物があり、ニューシティオープン時点では土地を購入できなかったらしいとのこと。
【7日追記】ミスド閉店時の張り紙に24年目で閉店と記載されていたとの情報から、1983年オープンと推測した。
一方、店番号360とミスタードーナツ公式サイトの「ミスタードーナツの歴史」を照らし合わせると、1981年に337、1982年に400がオープンしている。番号と開店順が完全に一致しない可能性もあるが、それだと360番目は1981~1982年の開店の可能性もある。
茶町通りを南・竿燈大通り方向へ進むと、ニューシティ西辺。こちらは裏面の趣。
2010年。左端の車のいる位置がミスド跡
搬入口や従業員出入口。搬入口らしきシャッターは2つ。左・北側がやや広く白いシャッター。
右は「NEW CITY」ロゴ入り、「専門店街搬入口」と表示もある。白いほうはダイエー用だったのかも【7日補足・いただいたコメントによれば、白いほうがダイエー搬入口で内部も分かれていたとのこと】。
搬入口の南隣、日本銀行秋田支店裏との間は、
2010年。第1駐車場
本体屋上駐車場へもここから出入りするが、そのほかの立体駐車場部分は別棟のようだ。こちらは肌色なので、白く塗り替えられなかったらしい。
南西角・日銀裏から竿燈大通りに背を向けて、駐車場の西面と南面。
2002年8月。ダイエーの箱看板が見える
ここで正面側・大町通りに飛んで、日本銀行秋田支店前から、南東角。
2010年9月。日銀前では音楽イベント
本体塗替え後は色が違って分かりやすい。この面は本体と立体駐車場が入り組んだ構造のようだ。
車で行くことがなかったので、意識しなかったが、真四角な箱の建物ではなかったのか。
【7日補足】日本銀行の敷地は長方形ではなく、裏・茶町通り側では少し狭くなっている。その分、ニューシティの土地が飛び出している。そんなこともあって、こちら面が複雑な作りなのかもしれない。
大町三丁目以降や交通公社前(現・川反入口)でバスを降りて来店する人には、こちらが最初に見える。向かいの名店街(AD)と向かい合う横断歩道もこちら寄り(上の写真で白い車のいる位置)なのだが、こっちを正面にしてもよかったようにも思う。
では、東・秋田駅方向から広小路を通ってきた場合。秋田ワシントンホテル・ADが建った後は、それに隠れてニューシティは一切見えなかったはず。若干低かったであろう本金・名店街時代は、どうだったろう。
少し南へずれて、二丁目橋交差点・旧協働社横の土手長町横断歩道橋からは、ダイエー看板が見えた。
2002年8月
↑今と比べると、周りの店の入れ替わり、建物の建て替えもある。スカイホテルも見える。
夕暮れのダイエーから飛び立つカラス
外観だけで1回使ってしまいました。さらに続く。
今回は、外観を改めて記録しておく。
前回の冒頭の再掲写真もそうだが、ネット上に残るニューシティの写真は、北東側から撮影したものがほとんど。こちらが「正面」ととらえられるデザインだったこともあるだろう。
※外壁が白くなる前、当初の肌色(ペールオレンジ)だった頃の写真は見当たらない。あれば貴重だ。
東辺が大町通りに面し、秋田駅方向でもあるため、出入りする客は多いのは間違いないが、北東角としたのは小さいながら信号機付き交差点(2000年代に入ってからスクランブル化)があって、比較的開けていて目立つからだろうか。
大町通りを少し北・通町方向へ進んで、旧・秋田魁新報社跡地、サンパティオ付近から。
東辺と北辺が見渡せる
外が見えるガラス張りのエレベーターが、この角に設置されていて特徴的。ガラス張りエレベーターは当時流行りで、秋田駅前のジャスコとヨーカドーもそうだが、いずれも角ではない位置。
エレベーターの上の壁にも、辻兵マークと、その左右にNEWCITYマーク。
ここから見ても、前回の通り屋上の辻兵の箱看板が鉄骨に載っているのが分かる。
今初めて気付いたが、写真右・北辺の外壁は、4階から上は少し引っこんだ構造になっていて、ちょっと格好悪い。東辺は5階まで平らなのに、何か理由があるのか。日照権ってほどでもなさそうだし。
さらに北、通町との丁字路手前、ねぶり流し館前から。
右に「辻兵」の頭が見える
往時は、通町の商店街やバス停(神田線や将軍野線利用者)とニューシティを行き来する人でにぎわったはず。
大町通りの1本東側、星辻神社のある川反通り、今、旧大島商会が移築された付近からは、こう見えた。
あくらやサンパティオに隠れて、てっぺんだけ
右に屋上の辻兵も見えた。オープン当初は魁の建物があったので、すべて隠れて見えなかったはず。
北辺の道路は、大町二丁目と一丁目との境、東・一丁目橋から西・新国道方向への一方通行。その通りの少し一丁目橋寄りから。
オープン時は、百貨店「本金(ほんきん。駅前に移転し、現・西武秋田店)」があったので、また違う風景だったはずだけど記憶にない。秋田ワシントンホテル(現・イーホテル秋田)が建つと、狭苦しい雰囲気で、近づくまでニューシティは見えない。
大町通りの1本西側、茶町通り~上肴町。北側は通町の鮮魚店寄りの地元スーパー(?)「せきや」の横と言うか裏。
辻兵看板と建物裏側が見える
裏側ではあるが、せきやと掛け持ちで買い物する人もいたはずで、行き来する人は少なくなかったはず。
上の位置から南へ進むと、ニューシティ北西角、一方通行路との小さな交差点。ここに、
(再掲)2002年8月
「ミスタードーナツ秋田大町ショップ」があった。ショップNo.0360。
ニューシティ本体とは別の平屋。鎌田会館運営で秋田県内では2店舗目か?
1983年頃オープンらしく【下の追記も参照】、2007年8月末で閉店。ニューシティの最初と最後には存在しなかった。
ニューシティより遅れてミスドができたのは記憶している。できる以前はこの部分がどうなっていたか記憶にない。あと店舗前のタイルが滑りやすい材質【6日追記・若干の傾斜もあった】で、冬は怖かった。
閉店後は、
2010年。先に解体されて空き地に
当初はどうしてここをこう空けて建てたのか。2年後にミスドを作る計画があったのか。
【6日補足】ここも土地所有者はニューシティと同じだったのだと思うが、建物と歩行者通路で、敷地のほぼめいっぱいを使っている中、ここだけが何もないスペースだったことになる。
【7日追記】いただいたコメントによれば、ここは所有者が違う建物があり、ニューシティオープン時点では土地を購入できなかったらしいとのこと。
【7日追記】ミスド閉店時の張り紙に24年目で閉店と記載されていたとの情報から、1983年オープンと推測した。
一方、店番号360とミスタードーナツ公式サイトの「ミスタードーナツの歴史」を照らし合わせると、1981年に337、1982年に400がオープンしている。番号と開店順が完全に一致しない可能性もあるが、それだと360番目は1981~1982年の開店の可能性もある。
茶町通りを南・竿燈大通り方向へ進むと、ニューシティ西辺。こちらは裏面の趣。
2010年。左端の車のいる位置がミスド跡
搬入口や従業員出入口。搬入口らしきシャッターは2つ。左・北側がやや広く白いシャッター。
右は「NEW CITY」ロゴ入り、「専門店街搬入口」と表示もある。白いほうはダイエー用だった
搬入口の南隣、日本銀行秋田支店裏との間は、
2010年。第1駐車場
本体屋上駐車場へもここから出入りするが、そのほかの立体駐車場部分は別棟のようだ。こちらは肌色なので、白く塗り替えられなかったらしい。
南西角・日銀裏から竿燈大通りに背を向けて、駐車場の西面と南面。
2002年8月。ダイエーの箱看板が見える
ここで正面側・大町通りに飛んで、日本銀行秋田支店前から、南東角。
2010年9月。日銀前では音楽イベント
本体塗替え後は色が違って分かりやすい。この面は本体と立体駐車場が入り組んだ構造のようだ。
車で行くことがなかったので、意識しなかったが、真四角な箱の建物ではなかったのか。
【7日補足】日本銀行の敷地は長方形ではなく、裏・茶町通り側では少し狭くなっている。その分、ニューシティの土地が飛び出している。そんなこともあって、こちら面が複雑な作りなのかもしれない。
大町三丁目以降や交通公社前(現・川反入口)でバスを降りて来店する人には、こちらが最初に見える。向かいの名店街(AD)と向かい合う横断歩道もこちら寄り(上の写真で白い車のいる位置)なのだが、こっちを正面にしてもよかったようにも思う。
では、東・秋田駅方向から広小路を通ってきた場合。秋田ワシントンホテル・ADが建った後は、それに隠れてニューシティは一切見えなかったはず。若干低かったであろう本金・名店街時代は、どうだったろう。
少し南へずれて、二丁目橋交差点・旧協働社横の土手長町横断歩道橋からは、ダイエー看板が見えた。
2002年8月
↑今と比べると、周りの店の入れ替わり、建物の建て替えもある。スカイホテルも見える。
夕暮れのダイエーから飛び立つカラス
外観だけで1回使ってしまいました。さらに続く。
スターハウスの時にこち亀でそう言っていたと取り上げましたが、実は1980年代前半の建築トレンドなのかも。
私が研究した仁井田小学校管理特別棟(1980)・四ツ小屋小学校(1983)やtaik氏が研究してくださった学校なんかにもあちらこちらに角が目立ってまして、1980年の秋田ショッピングセンタービルや、ニューシティビル、1984年の本金西武・ビューホテル(西武・秋田ホテル)もそれ。
そのあとは地下も無い、広く低いビルにどんどん変わっていきますよね。1986年の中央交通ビル(長崎屋→ドンキホーテ)が過渡期かと。
あと、コレは1995年の秋田サティビルにもありますが、立体駐車場と売り場階が対応してないため、一部階はエレベーターで売り場に繋がる階まで出ないとならないとこがありました。
かつて週末には駐車場待ちの渋滞ができた街区だったとは、今やとても思えません。
搬入口のうち、広いシャッターの方は、ご推察の通りダイエーが専用で使っていて、内部も専門店側とは分かれていました。
バスの車体などもそうで、カキッとしたデザインが好まれた時代だったようです。
市街地では土地の有効活用で高層化し、郊外では建物はコストダウンというのもあるし、バブル前~バブル中は、ちょっと豪華なデザインみたいな傾向もありそうです。
駐車場は、分かりづらくても極力詰めこみたかったのでしょうかね。ニューシティ本体側は、他の商業ビルと比較して、フロアごとの高さは余裕があったのかもしれません。
>Unknownさん
だだっ広い空き地を見ると寂しいですね。一方で、この範囲にあれだけのものと人が収まり、賑わっていたのかと、不思議な気持ちもします。
他の店や施設も変わって寂しくなりましたが、中でもニューシティの存在感は抜群でした。
やはり当時は車の通行が多く、裏側はあまり通らないようにしていたので、はっきりとは記憶がありません。言われてみれば、朝にダイエーマークのトラックが荷降ろししているのは見たような記憶はありました。
ミスドがあった場所ですがビルがオープンした時には以前からのお店のような建物があったと記憶してます。
私の親の話ではニューシティ建設時にその土地を売ってくれなかったと聞いております。
1986年の夏にはミスドが開店してたのは覚えてますが、いつ開店かは不明です。
あの角はもともとは辻さんの土地ではなかったのですか。まったく記憶がないです。
閉店時の張り紙に24年目での閉店とあった、との情報があり、1983年頃と判断しました。
ところが今改めて、店舗番号360からミスドの店舗展開を調べると、番号順に開店したとすれば1981~1982年に当たり、微妙なところです。
自分の記憶でも1980年代前半には存在していたはずなので、ニューシティオープンから3年以内にはミスドができたのではと推測します。