これまで、2001年まで使われていた先代(=初代)の秋田大橋、秋田大橋の北隣にある(あった?)「秋田小橋」、秋田小橋のたもとにあった自転車屋さんが更地になったことを記事にしてきた。
今回は、それらに関連した、2001(平成13)年12月29日15時過ぎ、右岸・茨島側で撮影した写真を紹介。
2代目秋田大橋は2001年11月22日供用開始。
初代の橋は、通行止めされたもののしばらくそのままにされ、2002年度と2003年度にかけて解体された。
(再掲)現在。東側歩道から南(小橋・大橋)方向
大橋が下流側(西・上の写真右)に架け替えられたため、接続する道路もそれに合わせて右へ付け替えられた。その分、東側歩道の外にスペースが生じた。
2001年。上の写真よりは若干、南(先方)で撮影
今、松が植えられている植樹帯は整備されたばかり。そして、自転車屋さんは営業中。

かつての道路脇ギリギリ、というか道路外に当たる位置には、
「秋田小橋」の看板。端が折れている
幹線道路の大きな橋の手前にはよくあるヤツ。道路管理者管轄の案内標識で、信号機に設置される、いわゆる交差点名と同じ「主要地点」ということになるのか。
現在は大橋にしか設置されていないが、以前は小橋にもあった。
(再掲)2代目「秋田大橋」の標識
初代秋田大橋にも「秋田大橋」。これも道路外側に設置
先日取り上げた、長野市の交差点名と同じような、昔は普通だった手書き文字。


大橋と小橋で筆跡がそっくりなので、同時期かつ同じ人の手によるものだろう。
逆光ですが元道路のど真ん中。現役当時は無理なアングル
通行止めのバリケード際から、ぐっとズームすると↓
トラスの重なりが美しい
っていうか、廃止されて通行止めの橋を、買い物袋を下げて歩いて渡っている父さんが!!
この時点では、単に封鎖されたのみだったので、実質的に危険はない。
それに、この日の新しい橋の歩道は、積もった雪が凍結してツルツルになっており、滑りやすかった。古い橋は、ザクザク状態で歩きやすかったはずで、実態としてはむしろ安全ではあったのだが。
この人は、認知症ぎみで…とか、実は一休さんで…(「端」を渡っているけれど)とかではなく、歩きやすさ(+名残惜しさ)から、意図的にそうしていたのだと思う。ちょっとうらやましくも思えたが、決まりを守らないのはよろしくない。
この翌年度は、北側半分だけ撤去された。南側から渡っていくと、雄物川の真ん中に落下することになるわけだが、そこはさすがに、より厳重にバリケードが置かれていたと記憶する。
もう21年半も前の風景でした。
今回は、それらに関連した、2001(平成13)年12月29日15時過ぎ、右岸・茨島側で撮影した写真を紹介。
2代目秋田大橋は2001年11月22日供用開始。
初代の橋は、通行止めされたもののしばらくそのままにされ、2002年度と2003年度にかけて解体された。

大橋が下流側(西・上の写真右)に架け替えられたため、接続する道路もそれに合わせて右へ付け替えられた。その分、東側歩道の外にスペースが生じた。

今、松が植えられている植樹帯は整備されたばかり。そして、自転車屋さんは営業中。

かつての道路脇ギリギリ、というか道路外に当たる位置には、

幹線道路の大きな橋の手前にはよくあるヤツ。道路管理者管轄の案内標識で、信号機に設置される、いわゆる交差点名と同じ「主要地点」ということになるのか。
現在は大橋にしか設置されていないが、以前は小橋にもあった。


先日取り上げた、長野市の交差点名と同じような、昔は普通だった手書き文字。


大橋と小橋で筆跡がそっくりなので、同時期かつ同じ人の手によるものだろう。

通行止めのバリケード際から、ぐっとズームすると↓

っていうか、廃止されて通行止めの橋を、買い物袋を下げて歩いて渡っている父さんが!!
この時点では、単に封鎖されたのみだったので、実質的に危険はない。
それに、この日の新しい橋の歩道は、積もった雪が凍結してツルツルになっており、滑りやすかった。古い橋は、ザクザク状態で歩きやすかったはずで、実態としてはむしろ安全ではあったのだが。
この人は、認知症ぎみで…とか、実は一休さんで…(「端」を渡っているけれど)とかではなく、歩きやすさ(+名残惜しさ)から、意図的にそうしていたのだと思う。ちょっとうらやましくも思えたが、決まりを守らないのはよろしくない。
この翌年度は、北側半分だけ撤去された。南側から渡っていくと、雄物川の真ん中に落下することになるわけだが、そこはさすがに、より厳重にバリケードが置かれていたと記憶する。
もう21年半も前の風景でした。
怖がっていた人は、車道を通る車の振動が、ダイレクトに伝わることが原因のようでした。あと、柵の間隔がまばらで、隙間から落ちそうな気がするとか。
僕も、雄物新橋の歩道は怖かった。歩道の幅が狭い(今は少し拡幅)のに加え、下の川が深そう(秋田大橋も大差ないだろうけど)という二重の恐怖感がありました。
雄物新橋は、両岸の取付道路も窮屈で、車/歩とも積極的には渡りたくない橋です。今の秋田大橋は、おもしろみがなくて味気ないですけれど。
全国的にも、古い橋の保存の意味も兼ねて、歩行者自転車用に転用するケースがあると聞きます。
秋田大橋は長いし、雪や潮風の影響もあり、維持は難しかったのでしょう。
橋嫌いじゃないけどこのタイプはわたりたくない橋です。雄物新橋も車か自転車でないと通りません。
ちなみに火野様も先に美女がいても避ける橋だとか。
写真にはまだ標識ありましたが、歩道でしたか。
こりゃご法度当たり前ですな。
ちなみに、写真の爺さんのように公式に使わせた橋がありました。
神岡の旧旧玉川橋です。
神宮寺の商店街経由当時、まだバイパスがなく2車線だったのもあり車は新しい桁橋、歩行者と自転車は旧のトラス橋を渡らせておりました。
直後に県に移管されました。秋田県のことですから、小橋程度で表示板を設置するとも思えません。
旧大橋の歩道は、幅は比較的あるものの、後付けなのか、揺れて怖いという人がいました。バイクが走行したら大変だったかもしれません。
旧大橋時代は、まだ国道だったわけで、通行量や渋滞対策など、それに応じて規制が変わっていったのでしょうか。
八郎潟周辺などでは、トラス橋がちらほらありますが、市内では世代交代も終わりつつあるところですね。
貨物列車も走らないし。
ふるい橋だと「バイク禁止」の標識でしょうか。
老朽化ではしれないのか橋の詰に貼ってありました。
1980年代の車載を見るとすでにあったみたい。
当時は40キロ制限で追い越し禁止?(追い越し可能はいまのジェイマルあたりから、ただし航空では白ラインもある。40キロはタテの丸から土崎臨海まで続く)で規制は前より厳しかったみたいです。
秋田市で残るトラス橋は雄和水沢橋が閉鎖されたため、雄和の橋少しと雄物新橋のみになりました。