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プリンスホテルの白テレビ

2022-07-22 22:53:21 | 昔のこと
平成初め頃製造のテレビ、「番組」ではなく「家電製品」=テレビ受像機について。

2008年、岩手県の雫石プリンスホテルに宿泊した。JR東日本の懸賞が当たって。
リゾート地だけに、ちょっとゆとりのある部屋に置かれていたテレビが、目新しくもあり懐かしくもあった。

テレビ本体の下に、VHSビデオデッキと有料放送チューナーが一体化した装置(メーカー不明)があり、両者の色合いが同じでテレビと一体化して見える。
部屋に置かれていたリモコンは、テレビ付属品ではなく、ビデオ・有料チューナーも操作できる非純正品だった(今でもこのタイプのリモコンを置くホテルが多いが、無料放送を見るは使いにくいし、電子番組表など機能が制限される場合もあって嫌い)。

本題のテレビ本体は、白いボディーの画面アスペクト比4対3・21インチブラウン管式、ステレオ・音声多重対応。※画面の縦の長さを基準にすると、16対9の横長画面では32インチと同じ程度。また、昔は音声多重非対応のモノラルテレビも存在した。
テレビのボディーカラーは、1980年代前半辺りまでは、プリント合板の木目(家具調テレビ=サザエさん家のテレビ)とかプラスチッキーな赤とかのもあったが、以降は黒~濃いグレーがほとんど。カタログを見ると、一部メーカーや機種で赤とか青もラインナップされていたが、買うのはもの好きな人くらいだったと思われ、実物を見た記憶はなかった。
こんな白いテレビなど初めて見たので、目新しかった。

ブラウン管下中央には「Panasonic」ロゴ。※当時はPanasonicはブランド名。メーカー名は松下電器産業。
両脇にはスピーカーが少々幅を取り、それが側面にも少し回りこんで、金網(パンチングメタル)のカバーが付いている。その網も白い。
ブラウン管は、四隅のアールがなくて角があるが、湾曲はわりとある。
これと同系統の形の黒いボディーのテレビは、見覚えがあり、懐かしかった。ほぼ同タイプの25インチが中学校にあった(型式等は後述)。

1990年7-12月期製造。
雫石プリンスホテルは1990年12月31日開業なので、その時から置かれていたようだ。

Panasonicロゴの下には、当時のブラウン管テレビでは普通だった、操作ボタンを隠すフタがある。その右側には、
「PRINCE HOTELS」
ホテルのロゴ入りテレビとは初めて遭遇。
市販品のテレビにロゴだけ入れたのではなく、本体のボディーカラーを白くするところから特注した、プリンスホテル専用テレビのようだ。
情報は少ないが、ネット上には「かつてのプリンスホテルといえば白いテレビ」みたいな投稿があった。地デジ・薄型対応で、現在は雫石を含めて、普通の黒い液晶テレビに替わっているようだけど。

1993年開業の釧路プリンスホテルは、2010年時点で白いテレビ。Panasonic製で形も雫石のに似ているが、ボタンの配置が違うので別機種のようだ。ビデオはなし。
苗場プリンスホテルは2010年か2011年に、白から薄型へ交換されたとのこと。


雫石のテレビには、型番が表示してあった。
「TH-21XV1HE」
ナショナル~パナソニックのテレビの伝統である「TH-インチ数」の型番だけど、お尻が妙に長い。
他のメーカーでもそうかもしれないが、パナソニックでは、基本モデルと微妙に違う機能などを付けたモデルに、枝番のような型番を付けるようだ。例えば、街のでんきやさん・パナソニックの店での販売限定で、簡単リモコンも付いているテレビとか、大手家電量販店での販売限定のシェーバーとか。

調べると「TH-21XV1」という、いかにも標準的な型番のテレビが、1990年に発売されていた。
そのプリンスホテル向けカスタマイズ版が、TH-21XV1HEなのではないだろうか。

さらに、パナソニック コネクト株式会社「パナソニック業務用映像機器 サポート情報サーチ」というホームページを見つけた。業務用=一般向け販売されないナショナル/パナソニックの製品のサポート情報が調べられるようだ。
TH-21XV1HEが掲載されており、1990年12月販売開始、1991年5月生産終了。

そのサイトで「TH-21XV1」で検索(前方一致)すると、BとかCとか、HEを含めて、実に11機種が1990年9月から1992年6月にかけて製造されていた。わずか1か月しか製造されなかったモデルも。
モノラル専用とかテレビデオことビデオ一体型の場合は、XV1部分が別になるはずなので、11機種はどれも21インチステレオテレビという点では共通のはず。どこがどう違ったのだろう。プリンスホテル以外にも、独自仕様を発注した企業があったのだろうか。


以下、ベース機種であろう、TH-21XV1について。
平成初期のパナソニックのテレビといえば「画王(がおう)」である。津川雅彦が王様の格好でCMに出演していた。
今にすれば、バブリーな時代の象徴にも思えるが、衛星放送の本放送開始に合わせたBSチューナーや重低音に強い「ドームスピーカー」搭載、すっきりしたデザインなど、時代の最先端でもあったと思う。【24日補足・当時の他メーカーのテレビは、スピーカーが耳のように本体から飛び出て、ボディは角張ったものが主流だったと思う。パナソニックはいち早く、スピーカーを内蔵させ、やや丸みのあるボディにしていたはず。】

北斗の拳「ラオウ」を意識した命名だったのかは知らないが、ラ王(1992年、スパ王も)、モナ王(1995年)、小説ながら陸王、サキホコレの最終候補の1つだった稲王などは、画王のヒットにあやかった命名だと思っている。


画王は1990年10月発売開始とのこと。【23日補足・松下電器のカラーテレビ30周年の節目でもあったそうだ。】
しかし、TH-21XV1は画王ではない。画王は、上位機種(おそらく25インチ以上とか)限定のシリーズ名だから。
TH-21XV1は、画王以前のシリーズ名を引き継いだ「PANACOLOR X(パナカラー イクス)」シリーズ。ただ、“画王と同期(同世代)”らしく、ドームスピーカーは搭載し(後述)、デザインにも共通性がある。
Wikipediaの「パナソニックのテレビブランドの変遷」という項目には「1990年発売の「TH-21XV1」はAV入力に「ブリッジ接続」を採用。」とある。前面の外部入力端子と、背面のビデオ1端子がつながっていて、片方に入力された信号を、そのままもう片方から出力できるというものらしい。

オークションサイトや中古品やり取りサイトには、TH-21XV1がジャンク品として出品されていた。
1991年下期製造で、黒いボディ。写真を見る限りでは、白とボディの輪郭は同じ。
相違点もあり、白では、画面下のフタの右側に穴が開いていて、フタを開けずに前面ビデオ入力端子が使えるようになっているのに対し、黒ではフタの穴がない(端子は同じ場所にあり、フタを開いて使わないといけない)。宿泊客が持ちこんだホームビデオなどを、分かりやすくつなげるようにという配慮かも。
白では左側のリモコン受光部に記された型名は、黒ではその右側にあり、ほかに「DOME speaker system」「PANACOLOR X」のロゴ。
フタ内は、ビデオ(入力切替)、チャンネル、音量は押しボタン。ほかに、5個以上の回転する小さなツマミ(おそらく画質や音質の調整)、ほかにも押せそうなボタン(おそらくチャンネル設定)もある。そういう設定はまだリモコンではできなかったようで、付属リモコンはシンプルなもの。
上の写真のように、白では「主電源(赤) RED STANDBY」などと英語が併記されているが、黒は日本語のみ。ホテル向けならでは。

背面は、電子銃部分が飛び出ておらず、平ら。今の薄型テレビと比べればとても分厚い【24日補足・約40センチとのこと】が、昭和時代のテレビと比べると、いくらか薄いはず。
天面には通気孔が細かく開けられている。この後、1990年代中頃には、天面に通気孔がないテレビもあった。ゴミが落ちて中に入るのを防ぐためと思われる。
持ち手は、側面ではなく、裏面の上部。21インチ程度だと1人で持ち運べる(※)ので、側面よりも裏に手を入れるほうが持ち上げやすく、1990年代後半頃は三菱電機でも同じ作りになっていた。
※7月20日放送の「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」で、1999年生まれのジャニーズタレントが、民家の片付けを手伝っていた。その中で、ブラウン管テレビ(21インチくらいで側面に持ち手)を2階から下ろそうとしたのだが、持ち手に気付かなかったり、後ろや横から抱えようとしたり、危なっかしかった。年代的に知らなくて当然だが、ブラウン管テレビは前側が重いので、前から持つのが鉄則。階段は特に慎重に。

これより後では、裏面に大きな「Panasonic」ロゴが浮き彫りされていたものもあったが、ない。定格消費電力120W。


これより後のパナソニックのテレビでは、スピーカーが金網でなく布状のもので覆われたり、VHSビデオデッキを内蔵した「テレビデオ」こと「2-SHOT」がヒットしたりした。
ビデオデッキ「録画王」や横長画面の「ワイド画王」も出たが、1994年には後継の「ヨコヅナ」が登場、以降「美来(みらい)」「T(タウ)」を経て、今の「VIERA(2003年)」。

なお、バブル期のパナソニックの家電製品としてもう1つ象徴的なのが「コブラトップ」。仰々しくフタが開閉するCDラジカセで、これも1990年発売開始(最終機種は1999年)。

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2 コメント

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月日は流れて (あんなか)
2022-07-23 03:24:03
ブラウン管テレビ、すっかり懐かしい家電になりました。
白いテレビがまた珍しく。
ホテルってこの手の備品はkt興味があるのでついつい時間を立つのも忘れて見入ってしまいます。
唯一の海外体験のホテルは中国は80年代に天津の水上公園近くにあった当時天津最高級ホテルの天津賓館。
ところが私の泊まった部屋にはテレビが無く。
当時の中国ではテレビは高級品で最高級ホテルでも特等室で無いとテレビは置いてなかったのです。
その代わり置いていたのが青島でつくられた大きな真空管式五球スーパーラジオ。
スイッチを入れてから10秒経棚意図音が出ませんでしたが
音質が良く感度もわりに良く欲しくなりました。
このラジオに付いていたエンブレムが青島無線電二。
今のHisense社の流れを汲むメーカーなのでした。
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1980年代 (taic02)
2022-07-23 19:28:12
1980年代だと、日本の旅館では、今で言う地上波放送を見るだけでも、2時間100円とかコインを投入するテレビがありましたよね。今もごくごくわずかに存在するらしいですが。
今では、BS(NHKと無料民放)も見られて当然。映らないとケチな宿だと思ってしまうほどになってしまいました。NHK受信料が厳格化されて、宿の負担でもあるようですけれど。
また、古いビジネスホテルでは、「ナイトパネル」と呼ぶそうですが、枕元に時計や照明・空調スイッチとともにラジオ装置が内蔵されていたものですが、今は使用停止になっていたり、新しいホテルにはまずないでしょう。
メーカーも海外工場生産、統廃合、外国メーカー進出等々、バブル期、バブル以前とはかなり変わってしまいました。

1982年の井上陽水「リバーサイドホテル」の2番に、「シャレたテレビのプラグはぬいてあり」というフレーズがあるのを最近知りました。
どんなテレビで、なぜプラザがささってないのか、気になっています。
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