広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

故障中・旅行中

2009-02-10 23:01:10 | 機械モノ(デジカメ以外)
画像編集・ブログ作成を行っていたパソコンが故障しました。
また、かねてから計画していた北海道旅行にも行くため、しばらくブログ記事の更新頻度が落ちますのでお知らせします。
早くとも来週いっぱいまでは、この状態が続きますが、文字中心の記事は、旅行中も含めて更新できる環境にありますので、時々は何らかの更新はするつもりです。コメントのお返事もできると思います。

6年半もったパソコン、だいぶ前から不調は出始めていたけど、もうちょっとがんばってほしかった・・・
引っ張り出してきた古いパソコンでは、一眼レフの大きな画像を処理するにはとても追いつかないのです。
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雪に耐えて

2009-02-10 20:43:52 | 秋田の季節・風景
庭や公園の樹木を雪から守る「雪囲い」または「冬囲い」といえば、全国的には金沢の兼六園の冬の風物「雪つり」が有名だろう。最近は秋田でも大きな公園やお屋敷では見かけるし、弘前公園(弘前城)でも見た気がするが、北東北の文化ではないと思う。北陸の湿った雪に対応したもので、東北のやや水分が少なく、大量に長期間積もる雪には向いていなさそうだ。作業には技術が必要で時間もかかり効率が悪そう。見栄えの重視と、気候の変化で雪の量が少なくなったので実現できたものだと思う。

北東北では、一般庶民の家の小さな庭木や街路樹も雪囲いをすることが多い。津軽では、板で本当に“囲い”を作ることもあるが、それほど積もらない秋田市では、わら納豆のように「むしろ」で囲ったものも珍しいくらいで、枝をまとめて縄でしばるものが一般的だと思う。単純だが、作業が簡単で経済的。

秋田市の花はサツキ(ツツジの中の品種の1つという位置づけとのこと)であるからか、市内の道路の街路樹(車道と歩道の境の植え込み)にツツジが使われている所がある。
秋にイチョウの黄葉がきれいだった(いちばん上の写真)、秋田大学附属学校脇の保戸野原の町通りという愛称の市道。

1株ずつ縄を巻かれて雪に埋もれている。見慣れない方には乱暴に見えるかもしれないが、逆にこの処置がなければ、車道・歩道両側から寄せられた雪の塊を広がった枝全体で受けてしまい、積もって凍って硬くなった雪によって、花芽の付いた枝の多くが折れてしまうに違いない。でもここの巻き方はやけに厳重で、縄を1株あたり5回は巻かれてぐるぐる巻きだ。細長いタイプの「ちまき」みたい。
ほかの道路はどうなんだろう。この周辺はツツジの植え込みが多いので回ってみる。

ちなみに写真がないが、近くの秋田大学教育文化学部附属学校敷地内の植え込みも、縄を巻いた雪囲いがされていた。原の町通りほど厳重でない、ごく普通のタイプ。

同じく市道の千秋トンネル通り。原の町は25年ほど前に植えられたはずだが、こちらはさらに10年ほど古いためか、木が大きい。

箱型に刈り込まれているためか、1株ごとでなく、1つの植え込み単位でぐるっと縄で縛っていて、やけに簡単。木全体が車道側に傾いてはいるが、今年の雪が原因ではないだろうし、枝が折れたりはなさそうだから、それなりに効果があるのだろう。

原の町より数年先に開通した、保戸野みその通り。こちらも市道。

1株ごと縄を数回巻いて縛った、一般的な雪囲い。一般住宅の庭でもよく見るタイプ。原の町との巻き方の違いが分かるかと思うが、この程度でも充分。
街路樹も道路管理者の管轄だと思うので、上記3か所の市道の雪囲いは、市の委託を受けた業者がやっているはず。市道でも場所によって雪囲い方法が違うのは、請け負った業者が違っていて、各業者の“流儀”なのかもしれない。

実は、ここのツツジは非常に花が美しい。
市営バスが懐かしい2005年撮影
上とだいたい同じ場所。
雪の下にも木が埋まっている
単色でなく模様入りの花が咲く木も混ざっているのも目を引くが、どの木も街路樹にしては珍しいほどびっしりと大きな花がたくさん咲くのがとてもいい。手入れがいいのだろうが、その1つにはこの雪囲いの効果もあるはず。


通町の通り。この通りは、歩道のブロックなどが統一されているが、菊谷小路との交差点を境に管理者が違う。通町橋方面(旧町名での本当の“通町”)が県道、保戸野鉄砲町・新国道方面(大工町)が市道。
市道区間(みその通りとの交差点)

県道区間(せきや商店向かい)
県道も市道も何の処置もされていない!
以前の写真を見ても、過去も雪囲いはされていなかったようだ。
県道は今まで何度か紹介した道路管理体制からすればやっぱり・・・だが、市道は不可解。上で紹介したとおり、すぐ近くの別の市道がしっかり処置されている一方でこの有様とは。

ここに植栽がされたのは、原の町通りなどより最近の10年ほど前なので、まだ木が若くて、品種が違うかもしれないから、一概には比較できないが、通町は木が小さく枝振りが弱々しく見える。高山の樹木のように地面に這いつくばっている感じもする。雪囲いがされないので、雪に耐え切れずに枝振りがおかしくなったのかもしれない。
春には確かに花は咲くが、みその通りのように「写真を撮ろう」と僕が思ったことがないのは、それほどきれいに花が咲いていないからかもしれない。

植物という生き物、比較的中心市街地に近くていろいろな人の目に触れやすい地域の街路樹、秋田市の花サツキ(の仲間のツツジ?)ということを考えれば、植えっぱなしでなくて、もっと管理をしっかりしてやってほしい。現に住宅地的性格の強い他の市道はしっかり手入れされているんだから。
数か月後に花がどう咲くのか、観察してみたい。
【3月23日追記】正確な資料がないが、千秋トンネルや原の町の通りは県道かもしれない。みその通りが市道なのは間違いなく、通町が途中で県道から市道に変わるのも間違いないはず。
【5月21日追記】以外にも、雪囲いのない通町のものも、たくさん花をつけた。みその通りはもちろん見事な花
翌冬には雪囲いがされた
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アキエキ

2009-02-08 11:55:47 | 秋田の地理
「アキエキ」という言葉を見聞きしたことがあるでしょうか? 漢字では「秋駅」。
僕は最近、ネット上で初めて目にしたが、「秋田駅」のことを省略した呼び名らしい。

「名古屋駅」は「名駅(めいえき)」と呼ぶのが浸透しているが、それは駅周辺の地名が「名古屋市中村区/西区名駅○丁目」という地名だから、ある意味公式な略称。東部を「名東区」、名古屋テレビを「メ~テレ」など、公式な略称が多いから地域性なのかもしれない。
世界一高い駅ビル、名駅

秋田の僕たちの世代では、高校生ぐらいになると秋田市北部の土崎(つちざき)地区を「ザキ」、土崎駅を「ザキ駅」と言っていたし、能代市の奥羽本線の東能代駅を(五能線の能代駅などと区別して)「ヒガシ」と呼ぶのは聞いたことはあった。
でも「秋駅」は聞いたことがなかった。

ネットで「秋駅」で検索してみる。googleよりもgooのブログ検索が役に立った。
ヒット数は45件(同じ人が書いた別の記事は重複してカウント)。そのほとんどが「秋田駅」を指しており、高校生を中心とした秋田市内や近郊在住の20歳以下くらいの人が書いた記事だった。「秋葉原駅」も略して「秋駅」だが、45件の中にはないようだった。「アキバ駅」なら51件。


じゃあ、全国的にはどうだろうと、さらに思いつくまま検索。参考までに「秋田駅」が約2000件、「新宿駅」が約30000件。
「名駅」:約31000件。「名古屋駅」の29000件よりも多く、さすがというか地名でもあるから当然かな。
「札駅」:約6000件。札幌駅(15000件)も略称が定着しているらしい。
「福駅」:65件。福島(東北と大阪)、福井、福山、福岡などがあるが、65件のほとんどが大阪の阪神電鉄の「福駅」。
北の大都市、札駅
北から順に。
「苫駅」:10件。苫小牧駅。
「函駅」:32件。函館駅。
「青駅」:5件(重複なし)。青森駅。
「弘駅」:弘前駅を指した記事はなし。弘南鉄道の「中央弘前駅」が別の場所にあるので、区別のために省略されているかと思ったが、意外。
「盛駅」:144件。同じ岩手県内、三陸に「盛(さかり)駅」というのもあるので、それもカウントされているが、「盛岡駅」の略称もそれなりにあった。
「仙駅」:3件だが1件は無関係、1件は「南仙台駅」で、「仙台駅」は1件だけ。googleでブログ以外も検索すると多少はヒットするが、若者が多く訪れるエリアなのに少ない。

西へ行って、動物シリーズ。
「鳥駅」:149件。鳥取駅。秋田と似たり寄ったりの街・駅だと思うが、多い。鉄道への依存度が高いのかもしれないし、ブロガーが多いだけかもしれないけど。
「熊駅」:71件。熊本駅。熊本駅は繁華街からやや離れており、鉄道の駅が市内に分散していて、「上熊本駅」というのもあるから、区別が必要なためか。
「鹿駅」:41件。鹿児島市の中心駅で九州新幹線の終点は「鹿児島中央駅(旧西鹿児島)」。「鹿駅」は1つ隣りの小規模な「鹿児島駅」を指すようだ。鹿児島中央を「中央駅」と略すのは浸透しているが「鹿駅」はそれほどでもなさそう。
 鹿児島市電の行き先表示
鹿児島の市電は北のターミナルが「鹿児島駅」だが、鹿児島中央駅を経由する電車(2系統)と経由しない電車(1系統、交通局前経由)がある。2系統の表示は「中央駅前経由 鹿児島駅前」なので、2つの駅の関係と省略されていることを知らない人にはちょっとややこしい。
南国らしく開放的な鹿児島中央駅

観覧車と赤い壁がある駅
こうしてみると、名駅、札駅は別として仙台、福岡など大都市よりも、地方都市の方が省略が盛んな傾向がありそう。
大都市ではその街の中での移動に大人も鉄道を使うことが多く、略称が浸透しにくいのかもしれない。
一方、地方都市での市内移動に鉄道を使うのは、高校生など若者が圧倒的に多く、名駅や札駅に憧れて誰かが使い始めたのが学校や狭い地域社会の中で広まったのだろうか。
他の地方都市でもそうだと思うが、鉄道での市内移動が少ない大人の多くは、秋田駅や周辺に行くことを単に「“駅”に行く」というのは、特急が止まらず、商業施設が少ない他の駅は眼中にないことの現れだろう。でも鉄道が重要な足である高校生にしてみれば、自宅最寄り駅、高校のある駅、遊びや乗換えで使う秋田駅、イオンモール最寄りの四ツ小屋駅など、複数の“駅”を使い分ける必要性があるから、略称が誕生したのかもしれない。


いつの世代も若者は省略言葉をよく使うが、大人でも「誰かが秋田に来る/いなくなること」を「来秋(らいしゅう)/離秋(りしゅう)」と表現し、同様に「来鹿」「来熊」(なんて読むのだろう?)など全国各地で使っている。弘前大学も広島大学も「ひろだい」だったり、身近なものを、その身内だけで通ずるように省略するのが日本人は好きなんだろう。

数十年後、「秋駅」は死語になっているのか、定着しているのか。
「アキ“タ”エキ」の一文字を略す必要性は感じないけど・・・
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自己主張

2009-02-06 19:16:44 | 秋田のいろいろ
秋田を通って青森と上野を結ぶ寝台特急「あけぼの」を引っ張るのはEF81型電気機関車。本来は青森の基地所属のものが担当するが、時々、東京田端の基地の機関車が応援に入る場合があることは、晩秋の風景で取り上げたとおり。

秋に紹介したのは、通常の機関車に流れ星のマークがアクセントとして入ったもので、田端には何両か存在している。
でもこの日は、たった1両しかない特別な機関車が来た! 朝の下りの秋田の通過時刻でもだいぶ明るくはなったが、写真を撮るには厳しい明るさだったが何とか撮影。
正面はこんな感じ。

でも側面は、
「EF81」と大書!!
赤色も他の車はエンジっぽいが、これは真っ赤に近く鮮やか。インパクトがある。

このEF81の95号機は、1973年の製造からしばらくは通常の塗装だった。
1987年に団体列車用の「スーパーエクスプレスレインボー」という客車が造られ、それを引っ張る専用機関車に抜擢され、客車とイメージを統一するべく塗装が変更されてこの姿になった。
実は、肝心の客車は2000年に廃車されている。しかし機関車はその後も使用され、臨時列車や貨物列車で首都圏を中心に、「あけぼの」「北斗星」で青森までなどと活躍している。定期検査で工場に入って塗装を塗り直す時も、従来の塗装に戻すことなく、“レインボー塗装”で塗り直されているので、JRが「あえて残して」くれているようだ。

遠ざかっていっても文字が目立つ。

1台しかないこの機関車を見ることができるのは、秋田では「あけぼの」とごくたまにあるかもしれない団体列車くらい。ただ「あけぼの」は本来は青森の担当だし、田端の機関車は新型が導入される予定があるので、今後チャンスはさらに減ると思われる。もし目にできたら、ラッキーな車両だ。
「EF81 95」というのが本来のナンバープレート
それにしても目立つ。人間もこのくらい自己主張をしてもいいのかも・・・
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由利橋

2009-02-05 12:50:44 | 
前も少し触れたが、秋田県由利本荘市の中心部(本記事では“本荘”とします)に「由利橋」という橋があり、間もなく架け替えられるらしい。

雄物川、米代川と並ぶ秋田県の大河川、子吉(こよし)川は本荘で日本海に注ぐ。本荘には3本の橋があり、両端が国道の本荘大橋と飛鳥大橋で真ん中がいちばん古い由利橋。市街地と秋田市寄りの石脇地区を結ぶ。
正式には「ゆりはし」と読むらしいが、一般に「ゆりきょう」と呼ばれる。
由利橋に関するネット上の資料は少ないが、旧酒田街道(今の国道7号線)の渡し舟のあった場所に、1877(明治10)年に有料の船橋(舟に板を渡して橋状にしたもの、桟橋みたいな感じか?)が作られ「有利橋」と名づけられたが洪水で度々流失、1890(明治23)年に木の橋ができて「由利橋」となったそうだ。その後1931(昭和6)年に現在の橋ができている。
現在は市道のようだが、本荘大橋が1969年にできるまでは国道であり、本荘から秋田市方面への唯一の橋・道だった。

前に紹介した秋田市の先代の秋田大橋に似たデザインのトラス橋。長さ500メートル超の秋田大橋よりは短く(200メートル程度)、トラスも半分の3連とはいえ、由利橋は秋田大橋より3年早く竣工している。その時にはまだ、秋田大橋は着工すらしていなかった(昭和7年着工)。当時の本荘町(市になったのは戦後)いや秋田県では画期的な構造物だったのだろう。
本荘市街側から
僕は本荘に多少ゆかりがあるため、由利橋にもなじみがある。子供の頃、秋田大橋と同じような大きな橋が歩いていける街中にあるのが、印象的だった。現在は撤去を控えているので、再塗装されず錆びているが、その頃に塗り替え工事が行われた記憶があり、白い秋田大橋とは異なる、水色がきれいだった。
今にして思えば、秋田大橋が「新屋の門」なら、こちらは「本荘の門」だった。

上流側に仮橋ができている(信号機右側の雪が積もっている部分)。仮橋使用中に、現在の橋を撤去し同じ位置に新橋を架けるようだ。

ゆりはし 昭和6年6月竣“功”
車道は旧秋田大橋以上に狭く、同様に歩道が外付けされているが狭い。しかも仮橋に接する上流側の歩道が通行止めになっていて、下流側しか通れない。路面は雪が積もって硬くなっている。

左が河口側。青いのは防風ネット。秋田市の雄物川ほど海に近くはなく、川がカーブしていて海から直接吹き付けないとはいえ、やはり風は強いようだ。

歩いて渡ってみる。買い物や通院だろうか、渡る人は秋田大橋よりも多い。歩道は自転車でも降りれば通れる決まりだが、すれ違いが大変そう。車が途切れる瞬間があるし距離も短いから、自転車の高校生などは車道を通っている。
雪があるので、人同士がすれ違うのもままならない。防風ネットで川面が見えないのは恐怖感を低減してくれるが、それ以上に怖いのが足元。旧秋田大橋はコンクリートだったが、由利橋は鉄板敷き。融けかけの雪で滑りそうだし、すれ違う人の歩く振動が鉄板を直に伝わって揺れる。仮に鉄板に穴が開いたら、下の構造はどうなっているのだろう? 下に何もなくて川に落ちるんじゃないかという恐怖を感じながらも、渡り切った。
そういえば、子供の頃、親戚の子が由利橋の歩道を楽しそうに走って渡っていたのに、僕は怖くて途中で引き返したのを思い出した。あの時は夏だったが、今回と同じ気持ちだったのだろう。
石脇側「子吉川」。左は「由利橋」の漢字表示。
川沿いの遊歩道へ行ってみようと思ったが、積雪で大変そうでやめた。再び由利橋を渡って戻る。
歴史を示すリベット留めの太い部材

旧秋田大橋に似ている

離れて見ると、旧秋田大橋よりはスマート?

再び市街側
外向きの縦方向の鉄骨が「××××××」だが、先代の秋田大橋はこの部分がフラットだったのが大きく違う。今回じっくりと見て、旧秋田大橋と比べてトラスは由利橋の方が少し丸くて柔らかく、ややほっそりとした印象を受けた。でも、道幅とのバランスなのだろうか、こちらのほうが威圧感は大きくも感じる。いずれにせよ、どちらも存在感のある橋だ。

さて、架け替えはどうなるのか。由利本荘市のサイトや現場にも予定表などはなく、たもとの交差点に市が設置したこんな看板が立っていただけ。

書かれていたのは「人と自然が共生する躍動と創造の都市(まち) 由利橋架替事業」「市の新たなランドマーク」「広くゆっくりとした歩道W=3.5m(両側)」「二径間連続鋼斜張橋 L=190.5m」の文言とリアルな完成予想CG。橋脚は1本だけ、歩道には秋田大橋のような防風板が付くようだ。
完成予定などは書かれておらず、専門用語があり、イマイチ伝わらない看板。WとかLとか二径間連続鋼斜張橋とか一般人向けの表現ではない。

注目は橋の構造。秋田大橋でさえ単純な「桁橋」になったので、現在の土木技術では由利橋も桁橋にできるだろう。しかし、由利橋は「斜張橋」という種類。

横浜ベイブリッジの塔が1本になったものと考えればよさそうだが、塔が川の石脇寄りに立っていて左右対称でない。
「斜張橋」は広い意味では「つり橋」だが、本来のつり橋は塔の間を結ぶ太いケーブルから、桁(道路部分)を支える細いケーブルが何本もぶら下がるもの。一方、斜張橋は塔から斜めに張った数本のケーブルで直接桁を支えている。だから塔が1本のものも存在する。
構造計算が難しく昔は現実的でない橋だったが、コンピュータの発達で設計しやすくなり、姿の美しさもあって、近年は採用が増えているそうだ。中~長距離の橋に向いており、由利橋程度の長さの橋も多いようだ。
建設費用はつり橋ほど高くないらしく、しまなみ海道の多々羅大橋は当初つり橋となる計画だったが、費用や景観を考慮して斜張橋に設計変更された経緯があるそうだ。

桁橋と比べたコストは高いかもしれないが、看板にあるようにランドマークとしては充分な存在で、今の由利橋にひけをとらないだろう。本荘はボート競技(レガッタと言うのかな)が盛んな「ボートの街」で、由利橋周辺の子吉川で競技や練習が行われるから、その邪魔にならないように、橋を非対称にして広くスペースをとったのかもしれない。
秋田大橋が単純な桁橋に架け替えられてしまい、存在感がなくなってしまったの(秋田大橋は国の事業で、海が近いなど条件が違うけれど)を知る者としてはうらやましい。

歩道は幅3.5メートルで、秋田大橋や秋田南大橋と同じだから充分だが融雪(ロードヒーティング)は設置されるのだろうか。今回の路面状況、秋田大橋の状況を考えると、設置するべきだと思うのだけど。

由利橋の架け替えについては、老朽化・交通円滑化の対策として、事業自体の必要性は認めても、仮橋の設置や斜張橋にすることが無駄な支出だと疑問視する声もあると聞いている。由利本荘市の財政状況、世界的な経済情勢を考えれば、そうなのかもしれない。
僕は本荘や由利橋に多少の縁と思い入れはあるが、由利本荘市に納税しているわけでもないよそ者であり、判断する公式な情報も少ないので、自分勝手な考えを言わせてもらえば、由利橋が現秋田大橋のような存在感のない橋になってしまうのは惜しく、本荘の町のためにはちょっと目立つ橋であってほしいから、斜張橋には賛成。
少なくとも700億もの県税で必要性の低い地下道路を造った秋田中央道路、各地の山奥の立派な道路などよりはるかに有意義な事業だと思う。

市民には広報などで周知しているのかもしれないが、由利本荘市はもっと架け替えに関する情報を提供をしてほしい。工期、交通規制、デザインの意図、費用など。今の情報量では、市民の合意を得られるものも得られないと思う。

そして、古い橋は何もなく解体されてしまうのだろうか。秋田大橋と同じように親しまれ、それ以上に長く活躍した橋。夏に行われる花火大会は、今の由利橋竣工を記念して始まったそうだ。2007年にずっと若い本荘大橋のトラスが破断し通行止めとなった際も、じっと耐えて迂回路として活躍したのは記憶に新しい。それこそ予算がないのだろうが、こんなけなげな由利橋の活躍を何かの形でねぎらってやってもいいのではないだろうか。

ともかく、秋田県内(少なくとも山奥などでない場所)にこのような形の橋ができるのは初めてだと思う。どうやって塔を建ててケーブルを張るのかなど工法が気になる。できれば時々見に行って、レポートしたい。
【5月5日追記】今日の魁新報によれば、5月11日午前6時から仮橋に切り替え、旧橋は24日の渡り納めイベントの後解体とのこと。
改めて由利本荘市役所のサイトを見ると、3月1日付けの「 広報『ゆりほんじょう』」に特集記事が組まれていた。それによれば、平成24年度完工を目指した工事計画、長さは現橋175.6メートル、仮橋196.1メートル、新橋190.5メートルであること、新橋は「主塔から橋げたを吊る」斜張橋であること、河川スポーツが盛んなので橋脚を1本にし河川空間有効活用に配慮したこと、総事業費39億4600万円であることなど、本記事作成段階で僕が知りたかったこと、市民に知らせるべきだと思うことの多くが記載されていた。
【5月24日追記】渡り納め当日の様子はこちら
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ハイブリッドしらかみ

2009-02-04 11:58:23 | 秋田のいろいろ
JR東日本が2010年12月を目標としている、東北新幹線新青森開業に合わせて投入する新車両のデザインを2月3日に発表した。その内容は各社で報道されたが、同じ日にJR東日本からもう1件の発表があった。秋田・青森両県には関わりの深い内容であり、鉄道好きでなくてもそれなりに(?)興味を引かれる内容だと思うのだが、新幹線車両の陰でほとんど報道されておらず、確認した限りでは秋田ではまったく報道されていない。【追記】その後、発表の翌々日5日に地元紙でも社会面でイラスト入りで報道された。

それは「ハイブリッドシステムを搭載した新型リゾートトレインを導入! 」(http://www.jreast.co.jp/press/2008/20090113.pdf)で、五能線の「リゾートしらかみ」などの観光列車に、新幹線新青森開業と同時期に新車両、しかもハイブリッド車が導入されるというもの。

青森の津軽・大湊線、長野の大糸線にも同じ車両が導入されるが、ここでは五能線について説明する。
五能線の観光快速列車「リゾートしらかみ」は、1997年の秋田新幹線開業に合わせて運行を開始、当初は1本の車両(編成)で1往復だけだったが、2003年と2006年に1本ずつ車両を追加投入し、現在は3編成で3往復が運行されている。追加投入された車両は「ぶな(正しくは漢字)」「くまげら」編成と愛称が付いたので、名無しだった運行当初からの車両は「青池」編成となった。この3編成は設備がほぼ同じなので、定期検査などのスケジュールに合わせて、ローテーションで使用されている。

新車は、その既存の3本のうち1本を置き換えて導入されるそうだ。順番からすると青池編成が置き換えられるだろうが、実はこの“3兄弟”はもとは普通列車用の車両で、リゾートしらかみ用に改造された時期が違うだけで、車両自体の使用年数はほぼ同じ(約30年)。さらに、くまげら編成の真ん中の車両は、当初4両編成だった青池から1両抜いて塗り替えて、くまげらへ転用したという経歴もある。だから、ちょっともったいない気もするし、ひょっとしたら団体用や他の路線などへの転用もあり得るかもしれない(憶測です)。
また新車両は4両編成になるので、既存車と互換性がなくなるため、ダイヤなど運行形態が変わるかもしれない。
【追記】JRのリリースでは触れられていないが、青森での一部報道によれば、ぶな・くまげらとも、現行の3両編成に1両増やして4両にするそうで、既存車との互換性は保たれそうだ。青池を分割・塗装変更してくっ付けるのかもしれない。でも、連結部分の改造が必要だから、どうなるんだろう? 時を待ちましょう。
改造前
普通列車用のオリジナルの姿。現在は多くが路線別のカラーに塗り替えられているが、写真は登場時の塗装(国鉄色とか朱5号と呼ばれる)に復元したもの。

改造後(左:ぶな編成、右:青池編成)
写っていないくまげら編成はぶな編成とデザインは同じで色が違うだけだが、青池編成はデザイン自体が違っている。

従来同様、運転席後ろの展望スペースやコンパートメント(個室風)車両もあるほか、新たに郷土芸能などの演技スペースとその画像を他の車両に配信・放映するシステムが設置される。現在は、運転席後ろで津軽三味線演奏などが行われ、見物客と展望を楽しむ客が交錯して込み合うことがあるようなので、いい配慮だと思う。
詮索はこのぐらいにして、詳細の発表と導入を楽しみに待ちたい。
改造前
扇風機撤去・冷房設置と座席の布地が違うほかはほぼ原型のままの五能線の普通列車車内。

改造後(青池編成)
特急用の座席が、特急より広い間隔で配置され、大きな窓から風景が飛び込む。とても上の写真と同じ普通列車を改造したものとは思えないし、指定席料金510円で乗れてしまうのもすごい。

ハイブリッドシステムの列車は、トヨタの「プリウス」をディーゼルエンジンに変えて鉄道用にしたものといった感じ。JR東日本が2007年から小海線の普通列車として世界初の営業運行をしている。現行のリゾートしらかみや男鹿線・五能線などの普通列車車両と比べて、燃費の約10%削減、有害物質の排出を約60%削減、アイドリング・発車時のエンジン音の20~30デシベル低下ができるという。

個人的には、小海線の次の導入も普通列車用で、もしかしたら秋田の男鹿線に・・・などと妄想していたが、同じ秋田でも観光列車に導入されるとは意表を突かれた。
そして、五能線に「従来より定員の多い」「新車」が導入されることにも驚いた。廃止されかねなかったローカル線を観光資源として活性化できた成功例だ。
※タイトルの「ハイブリッドしらかみ」はあくまでもこの記事のタイトルです。車両や列車の愛称等ではありません。

【2月23日追記】NHK秋田のローカルニュースでは、2月23日に報道された。JRのリリースの一部をそのままなぞった内容。民放や新聞報道で目にした視聴者も多いし、リリース全文はネットで見られる。何をいまさらという感じ。
【2010年5月20日追記】その後の関連記事
【2010年9月15日追記】完成後、搬入のようすはこちらこちら
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祭りのあと

2009-02-02 17:49:24 | 秋田の季節・風景
※この記事の画像は、雪の状態が分かりやすいよう、暗めにしてあります。
「あらや大川散歩道雪まつり」が終わった新屋大川町の遊歩道。

餅つきが行われた本部前の大きなかまくら。

取り壊されている(右側の雪山)。
札幌の雪祭りなどの雪像もそうだが、崩れるとけが人が出かねないため、祭りが終わると早々に壊してしまうことが多いようだ。
雪を撤去する余裕までなく、とりあえず壊しただけといった状態。

ミニかまくらはどうなっているかといえば・・・

そんなに気温が高くなかったので、そのまま残っているものも多い。
夜に明かりを灯せば、またお祭りができそう。

かまくらを積み上げていた場所。
暗い夜なので気づかなかったのか、汚れた雪もある。

ここのミニかまくらの一部は壊れているものがある。
もともと雪山だから、撤去作業として壊す意味はなさそうだから、いたずらで壊されたのだろうか。

こんな場所も。

ミニかまくらが転がって散乱している。
祭りが終わって後は融けるだけだから、物を破壊するよりはマシな行為だけど、崩された大きなかまくらよりも無残な光景。

夏祭りや秋祭りのような「祭りのあと」とはなんとなく違う感じがするのは、「冬祭りの終わり=春が近い」からだろうか。1か月もすれば雪は消え、3か月後には桜並木が美しい季節になっているだろう。
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新屋のかまくら

2009-02-01 11:49:55 | 秋田の季節・風景
かまくらといえば、雪を固めて中に人が入るもの。本来は秋田県の内陸南部、横手が本場の小正月(2月中旬)行事。(ちなみに、もとは小正月行事の総称のようで、まったく別の形態の“かまくら”行事が行われる場所もある)

最近は「ミニかまくら」が、本場の横手をはじめ各地で見られるようになった。小さくて人が入れないので、中にろうそくを灯し、明かりを眺めるもの。大きいかまくらは“職人”と呼ばれる技術のある人でないと形よく作れないが、ミニかまくらはバケツと移植べらで気軽に作れる。


秋田市の新屋地区では、1月下旬の土曜日にミニかまくらの行事が行われる。お祭りの名前は「あらや大川散歩道雪まつり」だが、覚えづらいので「新屋のかまくら」と勝手に名付けている。
伝統的なものではなく、住宅地の住民の地域交流的なお祭り。今年で7回目で、1月31日に開催された。毎年、事前告知や事後の報道があるので、秋田市民にはそれなりに浸透した行事だと思われる。
JR新屋駅から美術工芸短大(美短)構内に至る1km弱の遊歩道(これを指して「散歩道」としているようだが正式名ではない)にろうそくを灯した手作りのミニかまくらが並ぶのがメインイベントだが、昼のうちからかまくら作りや雪遊びなどのイベントが行われたようだ。昨年までは見たことがなかったポスターが今年は作られ、秋田市役所新屋支所と美短のサイトにもアップされた(美短のサイトでダウンロードさせてもらいました)。
※毎日新聞秋田版によれば「約2300個」のミニかまくらとのこと。

雪がなければかまくらが作れないが、過去、雨や気温上昇でかまくら作りが危ぶまれても、実際に中止になったことはないと記憶している。今年も前日から当日にかけて雨が降って、道路の雪はなくなってしまったが、アメダスデータでは10cmの積雪で、遊歩道にもだいぶ残っており、支障がなかったようだ。夜になると風は冷たいが、雨や雪は止み、比較的天候には恵まれた。
立春直前の時期に開催する理由は分からないが、もう少し早くするか遅くした方が、最近の気候の傾向からすると雪に困らないような気がする。

夜の風景です。
プログラムオート F3.5 1/2 露出-1.7
元は米倉庫への引込み線路だった、桜並木の遊歩道にミニかまくらが並ぶ。
雪を通して見るろうそくの明かりが暖かい。

プログラムオート F3.8 1/3 露出-1.3
積み上げているところも。

シャッター優先 F11 1秒 露出-3.0
高さ30cmほどだが、比較対象がないと本物のかまくらに見える。
以前は開口部がもっと広かったが、狭くしたようだ。しかもペットボトルを切ったものを雪で押さえて、風で火が消えないようにしているようだ。風除けがないかまくらもあるようで、地元の住民何人かが見回って、順次点火していた。やはり秋田は風が強い街。

画質調整しています。
遊歩道途中の町内の集会所が祭りの本部となり、その前で餅つきが行われていた。
左側には大きいかまくらが見える。本格的な形なので横手から職人さんを呼んだのだろうか。

集会所前には人だかりができていたが、それを差し引いても、今年は出足が鈍い気がした。例年なら、熱心に写真撮影する人を見かけたが、今年は僕以外はいない。家族連れや美短の学生と思しき近所の人が大部分で、地域にはすっかり根付いているようで、それはそれでいいのだけど、他地域の市民にはそんなに浸透していないのだろうか。ポスターには美短の駐車場を使っていいことが明記され、公式に車の置き場所ができたから、もっと集まってもいいと思う。

プログラムオート F4 1/2 露出-1.3
遊歩道には街灯があるので、歩くのとかまくらの明かりを楽しむにはちょうどいい明るさだが、写真撮影にはやや暗い場所が多い。

プログラムオート F3.5 1/2 露出-1.7
僕はフラッシュと三脚は使わないで撮るので、水飲み場の石など適当な台にカメラを固定して撮影。

シャッター優先 F16 5秒 露出-0.3
長時間露光もしてみました。
かなり正確なE-520のホワイトバランスだが、さすがにこの風景は苦手なようだったので、上の画像は「晴天」モードで撮影。オートフォーカスは、明るい部分でピント合わせすれば大丈夫なようだった。

僕がほぼ毎年、新屋のかまくらを見に行くのは、たまたま見た第1回(2003年2月8日=この年はやや遅い時期)が素晴らしかったから。美短の建物もライトアップされ、建物とかまくらの2つの明かりが幻想的で不思議な雰囲気をかもし出していた。
この時は、短大で別行事が行われ、職員が出勤していたのと参加者の足下照明の目的も兼ねていたようだった。翌年以降は、短大のライトアップはされず、遊歩道メインになり、ちょっと残念。

今年はポスターに、「まちのあかり、美術・デザインを学ぶ若い学生たちのアイデアとエネルギーが伝わる、雪と光のファンタジーを乞うご期待!」とあり、かまくらと別に何かライトアップ的な催しもあるかもと、久々に期待して行った。

だが、美短の建物内も校舎前の広場も真っ暗。写真を撮るどころか歩くのもおぼつかない。
除雪でできたカーブした通路部分にミニかまくらが並んでいて、ライトアップも街灯もない純粋なかまくらの明かりだけでまた違った美しさはあるけど。
プログラムオート F4 1/1.6 露出-2.0
校舎を背にして撮影。左が旧米倉庫や遊歩道、右奥が秋田大橋の通り(旧国道7号線)の美短入口の交差点。

帰ってから画像の明るさを調整してみると、絵を描いた看板のようなものや雪の祭壇のようなものが写っていた。これが「まちのあかり」だったのだろうか。ともかくあの暗さでは分からない。難しいのかもしれないが、あの美短のライトアップとのコラボレーションをもう1度見てみたい! ミニかまくらは雪があればどこでもできるが、美短はここにしかないのだから。

住民手づくりのお祭りなので、ろうそくの見回りなどご苦労も多いようで、見ごろなのはせいぜい18時から1時間半程度だが、好きなお祭りだ。じっとして撮影したせいか寒かったけど、また来年も行きたい。
コメント (4)
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