広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

謎の勝平二丁目

2012-05-10 23:26:24 | 秋田の地理
秋田駅西口と「南浜回転地」を結ぶ路線バス「川尻割山線」。
主な系統は「船場町経由」と「商業高校(正確には商業高校グラウンド前)経由」の2つがあり、途中の経路が異なる。

秋田駅発の下りでは、終点の5つ手前のバス停で、両経由が再び合流して同じ道を進む。
合流して最初のバス停が「勝平二丁目」。近くの交差点の角には今はサンクスと薬局があるけれど、昔はここが今はなき地元スーパー「マルナカ」だったかな?
勝平二丁目下り側バス停。船場町経由は奥から、商業経由は左の狭い道からやって来る
今まで気にしていなかったけれど、考えてみれば、秋田市に「勝平二丁目」という地名(町名)は存在しない!
新屋地区のうち雄物川より北側一帯を指すエリア名として「勝平(または割山)」と呼ぶこともあるが、このバス停名の由来は所在地でもある「新屋勝平町(あらやかつひらまち)」のことだろう。
※どちらも「勝平山」が由来だと思われるが、この辺は後日別記事にて
「新屋勝平町」は1964(昭和39)年の住居表示により誕生した町名。あくまでも「勝平」ではなく「勝平町」であり、かつ「丁目」は付かない。
「新屋勝平町」にある「勝平二丁目」バス停

また、勝平二丁目の次(南浜回転地寄り)のバス停はただの「勝平」。
これも、本来なら「勝平町」とするべきではないだろうか。(他のバス停は「寿町」「割山町」など、「新屋◯◯町」の「◯◯町」部分を使っている)そうすればエリア名の「勝平」と混同しにくいし。


川尻割山線は、元は旧秋田市交通局が運行していた路線。2002年に秋田中央交通に移管されている。
この記事冒頭の上り側バス停の画像では、「秋田中央交通」の文字の下に「市営バス」のカット文字が浮き出ているのが分かる。なお、下り側バス停は中央交通によって表示板全面が張り替えられたため、フォントが縦長だったりローマ字が訓令式である点が異なる。

大昔(1961~1981年)は南浜回転地付近に秋田空港があったので、割山線が空港アクセスを担っていた時期もあり、その当時は「空港線」と呼ばれることもあったらしい。
元々は船場町経由しかなく、1978年の市立秋田商業高校の移転に伴い、商業高校経由が運行された始めたようだ。

1988(昭和63)年度のポケット時刻表を見ると、その時点では「勝平二丁目」と「勝平」バス停が既に存在している。
それ以前については分からないが、秋田市交通局が命名したバス停名なのは間違いない。


秋田の路線バスにおいて、ひとつの町名の範囲内に複数のバス停を設置する場合、その名称は以前紹介した「大野四区」のように数字で分けるか、上丁・下丁といった区分けをすることが多い。
「通町」と「通町二区」のように、片方にしか数字が付かないケースもあるが、これは通町だけを通って通町二区は通らない路線(新屋線と割山線)があるため、その場合「通町一区」だと違和感があるためだろう。

「勝平」と「勝平二丁目」もそれと同じようなケースかもしれない。
でも、「区」ではなく「丁目」で区切るのは他に例がないと思うし、不自然。
それに、一区、二区…で区切る場合、必ず上り側(秋田駅寄り)のバス停のほうが番号が若い(ちなみに上丁・下丁については、わりと無頓着)が、この場合は勝平二丁目が駅寄りなので、当てはまらない。分岐とは関係ないのに、対になるバス停が「勝平一丁目」でなく「勝平」なのも不可解。
【12日追記】コメントで同様の命名がもう1か所あることをご指摘いただいた。旭川地区の秋田温泉線と仁別リゾート公園線(いずれも旧市営路線)の「古城苑二丁目」。もう1つ「古城苑入口」があるが、「古城苑一丁目」は存在せず、そもそも「古城苑」は町名ですらない。
【2018年6月7日追記】由利本荘市の循環バスには「栄町一丁目」「栄町二丁目」というバス停があるが、これらも地名として存在しないようだ。「栄町」すらない。


商業高校経由が誕生する以前や住居表示実施以前のバス停の位置や名前が分かれば、何かヒントになりそうな気もするが、お手上げです。
以前の「旭北前」バス停(これも割山線か)と並んで、命名に謎があるバス停だ。
勝平二丁目の由来・理由をご存知のかた、いらっしゃいませんか?
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封鎖解除/看板

2012-05-09 23:57:19 | 秋田のいろいろ
秋田市大町と秋田駅前の小さな話題です。
●封鎖解除
秋田市中心部の竿燈大通りと大町通りが交わる「日銀前」交差点にある、歩行者用の「大町東地下道」(秋田県管轄)が、年明け頃から封鎖され、地下から水を汲み上げて地上へちょろちょろ排水していた。※過去の記事は1月17日1月30日

その後、春になって年度が変わっても、その状況が続いていた。
日銀前交差点には、歩行者用信号機&横断歩道も設置されているものの、大通りを横断できるのは交差点東側だけ。(西側は自転車横断帯)
そのため、大町通りの西側歩道(日銀~赤れんが館側)を歩いている人は、日銀前交差点を「コ」の字型に横断しなければならず、3回の信号待ちを強いられていた。

日銀前交差点は、比較的横断歩行者が多い。また、大町通りから竿燈大通りへ右左折する車も多い。
したがって、歩行者が続いて横断するため車がなかなか曲がれないこともあったし、横断する歩行者の直前を強引に曲がる車や自転車横断帯側を横断する歩行者を見かけたこともあった。
積雪時は、横断歩道の先に雪山ができていたのも気になった。

このまま地下道が使えない状態が続くのなら、西側も歩行者が横断できるようにするとか、信号機のサイクルを変更(例えば歩車分離式など)するとか、本格的な対策が必要ではないかと思っていた。(むしろそれらが実現されれば、地下道など不要)

地下道の封鎖の仕方は簡素なもので、風や酔っぱらいのイタズラなどによるものなのか、事情を知らない人が中に入ってしまいそうな状態になっていたのを2度見かけた。(休日だったので県に連絡するより手っ取り早いと思い、勝手ながら正常な状態に戻させてもらいました)
封鎖された地下道内が違法行為の場として使われることだってないとは言えないと思うし、道路管理者や警察がそれに目を光らせているようにも感じなかった。

5月7日の時点でも封鎖されていたので、このままの状態がいつまでも続くのは問題だと思い、どうなっているのかと県にメールを送ろうかと思っていて、今日通りかかると、
中に入れる?(北東側)
コーンも排水ホースも残っているから、一瞬、またイタズラされたのかと思ったが、よく見ると今までなかった「足もと注意」という表示が貼られている(黄色い縦長のもの)。
ということで、北西側から思い切って潜入。
(再掲)封鎖中に地上からのぞいた北側の模様
封鎖中は、地下道内の北側で、床板をめくって中から太いホースが地上へ伸びていた。
現在は、
上の再掲写真の反対側から
隅にコーンがあって「足もと注意」となっているが、床のフタは元通りで通行にはほぼ支障がない。ホースは隅に寄せられた。
写真左の壁面に白い直線が見えるが、新たに設置された電気配線のようだ。フタの下では、ポンプと思われるモーターの作動音がしていた。
つまり、引き続き排水は行なっているが、歩行者が利用できるように片付けたということのようだ。
ということは、今後もある程度長期間この状態が続くのだろう。(だったら1月からこの状態にしてほしかった)
【5月25日追記】その後、5月24日現在では変化なし。

ほぼ4か月ぶりに歩行者が足を踏み入れた地下道内は、上の写真のポンプ周辺は床が茶色くなっているが、それ以外は以前と変わらず。
南端から北側を見る
思ったより暗い感じがしたけれど、こんなモンだったかな。(二丁目橋地下道よりは暗く感じるが、これは階段の位置の関係で外光が入りにくいためと思われる)

竿燈大通りの歩行者地下道は、この道路(当初は山王大通りの一部)ができて間もない、1971年に造られたようだ。当初は、山王十字路より東(秋田駅)側に、大通りを渡る歩行者用信号機&横断歩道はなく、歩行者はこれら5か所の地下道を使わないと横断できなかった。
その後、暗い・汚いという声があり、1995年の竿燈まつり直前に出入口や内部の化粧直しが行われ、現在の姿になった。
おそらくそれと前後して(具体的な年は不明)、自転車横断帯の一部が歩行者も渡れる横断歩道に変更され、地下道と横断歩道が両方あるという現在の状態となった。(日銀前以外の交差点は、地下道か横断歩道のどちらか片方しかない)
2007年の秋田中央道路の地下トンネル開通に伴い、地下道の1つが緊急避難出口に転用され、地下道が1つ減となっている。

1年後の変化(リンク先中ほど)


●黒から金へ
秋田駅西口のJR東日本系列のシティホテル「ホテルメトロポリタン秋田」は、2010年春にリニューアルされた。
再掲
その時、入口の上に白地に黒文字で「Hotel Metropolitan Akita」と書かれた看板というか表示板が設置された。(上の写真にも写っている)
4月24日にその看板付近で何やら工事が行われていた。
ん?
その後、
金文字になりました
わずか2年で、文字の色が金色に変わった。黒は引き締まっていて好きだったけど。


●フォーラスに網
メトロポリタン(アルス)の隣のイオンのファッションビル「秋田フォーラス」。
網入りの窓越しに撮影
建物自体は1974年にでき、「ジャスコ秋田店」→1985年に「パレドゥー」→1987年にフォーラスと変遷している。(トイレなどに時代を感じる)
屋上の上の看板が「J」マークだったのは10年強で、水色と白が不規則にデザインされた「FORUS」はもう25年近く掲げられていることになる。
上の写真で、壁面右側に、紺色に白で「F」と「FORUS」が掲げられているが、現在はこれがフォーラスのロゴのようで、仙台フォーラスなどは屋上もこの看板。

たぶん4月上旬頃だと思うが、秋田フォーラスの屋上看板に変化があった。
網で覆われた!
少なくとも東・南・西の3面【19日確認して修正】4面すべてに、青い網がかけられた。
4月上旬の強風で何かダメージを受けたのか、あるいは新ロゴへの更新工事が始まるのかと思っていたが、今日現在もこの状態で変化がない。
秋田駅自由通路からアルスとフォーラスを見る
網のかけ方は看板の全面ではなく中途半端なもので、あまり役目を果たしていなそう。看板と同系色とはいえ、網の存在は結構目立つ。何のための網なんだろう。

節電のため、現在は夜は暗いままだが、そういえば以前は、この看板の白い部分がまばらにチカチカと点滅していた。
2つ上の写真でその電球の存在が確認できるが、さらに拡大すると、
右側の電球が取れかけている
今後に注目。
【5月19日追記】5月19日現在、変化なし。【5月25日追記】5月24日現在、変化なし。【5月30日追記】5月30日現在、変化なし。【6月15日追記】6月15日現在、変化なし。【7月4日追記】7月4日現在、変化なし。【7月18日追記】7月18日現在、変化なし。
8月になって、やっと変化があった
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三菱エアロスター

2012-05-08 23:57:22 | 秋田市営バス
4か月ぶりに秋田市営バスの話題。※前回の記事
今までお伝えしたように、旧秋田市交通局は国内のバスメーカー4社すべてと、ほぼ偏りなく取引があった。
しかし、貸切用、路線バス用は大型・中型・小型と車種は多様であり、中でも中型車が多数派だったため、それぞれの車種内では、メーカーに偏りがあった。例えば、路線用中型車で、新しい塗装になった1986年から1996年までに導入された79台中、27台と34%を占めていたのが、三菱自動車製(現・三菱ふそうトラック・バス)。

一方、同じ期間に33台導入導入された、路線用大型車。※ここでは日産ディーゼル製「普通型」5台を含む
その中では、三菱製はわずか2台しかなかった。今回はそんなお話。


三菱の路線用大型バスは、1984年以降は「エアロスター」という車種名を与えられている。(中型は1986年以降「エアロミディ」)
同じ1984年に国内で初めてのノンステップバスとなったのも、エアロスターだった。
1996年にモデルチェンジして、リコール隠し事件や日産ディーゼルとの一時的な提携などを乗り越えて、現在に至る。

上記の通り、市営バスが新塗装になってから2台のエアロスターが導入されているが、その直前にも2台導入されていて、秋田市交通局にエアロスターは計4台あった。


当時の三菱のバスは純正の車体を組み立てる部門が2つ(愛知の自社工場と富山の系列会社)あった。エアロスターはその両者でデザインが若干違い、「エアロスターM」「エアロスターK」と区別されていたそうだ。
物影の弘南バスのエアロスターK(2011年撮影)
上の弘南バスは、「30214-9」号車なので、それから判断して平成「02」(1990)年製。どこかの中古だろう。
上の写真でも分かるように、運転席と反対側のフロントガラスの下が切り欠かれていて窓になっている。
この窓が、現行モデルにも受け継がれるエアロスターの大きな特徴で「視野拡大窓」とか「セーフティーウィンドウ」と呼ばれる。死角を軽減する目的の窓。
実際には、運賃箱に隠れて役目を果たさない(路線バスの場合)とか、ミラーで確認したほうが早くて確実であり、それほど重宝されていないようだし、この部分を埋めた仕様で発注・購入するバス会社もある。
たぶんエアロスターM。中古と思われ、視野拡大窓がない。Kより全体的にやや角張っている(2002年撮影)
【6月6日訂正】↑中型バスのエアロミディとのご指摘をいただきました。(コメント欄参照)
※エアロスターMについてはこの記事後半参照。


秋田市交通局の4台は、どれも富山の呉羽自動車工業→新呉羽車体工業という企業(現・三菱ふそうバス製造)が製造した「エアロスターK」だった。

1985(昭和60)年度。
秋田市交通局では、三菱製の2階建てバス「エアロキング」の「みはらし号(181号車)」、それにモデルチェンジしたばかりのいすゞ「LVキュービック」を使った、路線・貸切兼用の大型車(通称ワンロマ)を6台(182~187号車)導入するなど、積極的な新車導入が行われた。
再掲)いすゞLVキュービック。まさに箱型

その年、数は少なくて目立たなかったが、2台のエアロスターがやはりワンロマ仕様で導入された。
それが、194・195号車。
194号車(2001年撮影)
いすゞの6台と同一仕様だったが、吊り手(つり革)がある(いすゞは棒だけ)、座席の背もたれに黒い突起物がある、窓枠の降車ボタンが立ち上がらないと押せないほど高い位置にある、といった程度の差異があった。
【9日追記】前面の号車番号の表示が、いすゞではグレーの部分に黒文字、三菱では赤い部分に白文字なのも異なる。あと、赤(エンジ)色の色合いも微妙に異なるような気もする。
194号車後部(2001年撮影)
当時は、新屋に南営業所があり、三菱製のバスが集中配置されていたので、この2台もそうだったかもしれない。
当時の僕は、6台あったいすゞのほうも、見たり乗ったりすればうれしかったが、こちらはわずか2台で、乗る機会は極めて少なかったはずで、たまに見かけるだけでうれしかったものだ。
視野拡大窓の存在により、正面が左右非対称になっていることになり、これも斬新に感じたのだろう。
いすゞキュービックは、1980年代らしい角張ったデザインでかっこいいと思ったが、エアロスターもまた、その希少性とデザインが憧れだった。


1986年度は、路線バスの車体塗装が新しくなり、大型車だけ3メーカーから計7台を導入。
日野といすゞは3台ずつで、三菱は208号車1台だけ。
この年の路線バスは、窓や座席などが当時としては豪華な仕様で導入された。(そのわりに床は板張りだった)
非常に写りが悪いですが、2001年撮影の208号車
視野拡大窓によって赤いラインが途切れていたり、「208」の表記が狭いところに小さく書かれているのがちょっとおもしろい。
上の写真で分かる「豪華さ」といえば、「秋田市営」の行灯。それにヘッドライトが四角いこと。
1996年のモデルチェンジ以前のエアロスターのヘッドライトは、原則として丸型だったはず。秋田市交通局では、わざわざオプションで四角くしたのだろう。
【あいまいな記憶から余談】1986年の7台のうち、ごく一部の車両(1台くらい?)は、当初、行き先表示の幕(方向幕)が「白地に黒文字(または青文字)」ではなく「黄緑色(秋田市の色の若草色?)地に白文字」だった。とても見づらかったので、後に他と同じものに交換されたようだ。根拠はないけれど、もしかしたらそれが208号車だったかもしれない。


1987年度はバスが1台も導入されず、1988年度からは中型車を中心として導入が進む。
1988年度に導入された大型車は5台。いすゞと路線用では初導入の日産ディーゼルが2台ずつで、三菱はまたしても1台だけ。
それが214号車。ろくな写真がないのですが、
2000年撮影
この年の大型車は、窓などが普通の仕様になってしまった。正面の行灯はなく、ヘッドライトは丸型だったはず。
ちなみに、この214号車を担当していた運転士だった秋田市職員が、交通局の人員削減にともなって他部局へ異動後、趣味でその模型を作っているということが、当時何度か報道されていた。

この後、大型車自体が1992年度まで導入されなかったが、三菱製のものは最後まで導入されずに終わった。
4台とも、2000年度末(2001年春)で廃車となったはず。


秋田市交通局でエアロスターの導入が少なかったのは、何らかの意図があったのか、それとも単なる偶然だったのかは分からない。
全国的には、三菱のバスを好んで採用しているバス会社が少なくないため、エアロスターはそんなに珍しいバスではない。
しかし、秋田県では、かなりの少数派。現在、秋田市内で見かけることはほとんどない。
羽後交通は中古車など何台か保有しているが、秋田市内へは来ないようだ。
秋田中央交通は、大型車はいすゞ(と市営バスから譲受した日野と最近見かけないけど日産ディーゼル)の中古車ばかり。三菱製の新車は高速バス用がほとんど。(秋田市には来ない秋北バスも、いすゞオンリーなのでなし)
強いて挙げれば、県立特別支援学校のスクールバスや自動車教習所の大型2種教習車くらい。

秋田市のバス路線をエアロスターが走る日は、もう来ないのだろうか。


と思っていたけど、もしかしたら近いうちに何かあるかもしれません。(思わせぶりな終わり方ですみません)
※その後、「何か」ありました(中古のエアロスターが導入された
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コンビニを推理

2012-05-07 23:19:14 | 秋田のいろいろ
秋田駅から南西へ直線で1.2キロほどの旭川に架かる五丁目橋。
その五丁目橋の東側交差点から、南大通りを東へ1ブロック進んだ最初の交差点。
秋田経理情報専門学校や秋田南税務署(の裏)、そして江戸時代の学者「平田篤胤終焉の地」が近い。
その交差点の南東角には、ガソリンスタンドがあったのだが、昨年頃に閉店・解体されていた。

最近、ガソリンスタンド跡地の奥のほうに、平屋の建物が建設されていた。これって…
コンビニ?
建物の構造、そして敷地角の看板を取り付けると思われる柱の存在から、コンビニであることは間違いなさそう。
現段階では、店内は空っぽだし、店の前の駐車スペースとなるであろう場所はまだ舗装されていない。
そして、どこのコンビニチェーンが入るのかは表示がなく、まだ分からない。

ひょっとしてセブンイレブン?
工事の人に「ここさ何できるんだすか?」と聞けば、瞬時に解決しそうだが、それじゃあ、ご迷惑になるしおもしろくない。(←聞くのが恥ずかしいだけ)
そこで、推理してみた。

まず、近隣のコンビニ分布を考えてみる。
Googleマップに加筆。星印が建設中の場所
ここから半径400メートル以内には、ローソン、サークルK、サンクス、ファミリーマートが既に存在する。(上の地図では、各店舗の頭文字などを示しています。「デ」はデイリーヤマザキ)
いちばん近いのがサンクスで、昨年開店した秋田中通六丁目店(代わりにサークルKが1つ閉店=地図の赤い×)。
ローソンは、以前はもっと近くにあった(「スパー」から転換した秋田有楽町店=地図の青い×)が、2010年に大きくなって下新橋交差点角へ秋田南通亀の町店として移転。700メートルほど離れるが、南大通り沿いにも秋田南通築地店がある。
秋田市中心部では数少なくなったサークルKは、四丁目橋たもとの土手長町通り店。
ファミリーマートは、橋を渡って曲がった先の秋田大町五丁目店であり、感覚的には距離がある。

既存店の位置から、サークルKサンクスやローソンがここに来ることは考えにくい。デイリーヤマザキはどちらかと言えば郊外を好む感じなので、違いそう。
じゃあ、ファミマかもしやセブンイレブン?

ここで、看板を設置する柱(ポール)に注目。
右端の棒
黒っぽい色で、ポールの途中にせり出すように小さい看板(「P」「ATM」「酒」とか)を設置できそうな構造。

調べてみると、セブンイレブンの一般的なポールサインは、柱が白い。一方、ファミマは黒っぽい。
それに、せり出すように小さい看板を付けるのは、ファミマのやり方のようだ。セブンイレブンは上の大きい看板と同じ幅のものが標準のようなので、設置方法が違う。


と、いうことで、ここにはファミリーマートができるのではないかと、予想いたします。※責任は持ちません
秋田駅西側の秋田市中心部には、川の向こうの大町五丁目店以外は、川尻や高陽地区までファミマがなかったので、珍しい場所への出店となる。
また、上記の通り、付近はコンビニが競合するエリアとなる。学校やオフィス、マンションが近くにあるし、各店舗が微妙に距離を保っているので、それなりにお客は集まりそうだが、セブンイレブン進出後をも見据えての新規開店なのかもしれない。

なーんて勝手な予想を書いて、もし、違う店が開店した時は、どうぞ笑ってやってください。

※続きはこの記事の最後のほう
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行き先表示再変化

2012-05-05 23:44:25 | 秋田のいろいろ
秋田市内を走る秋田中央交通の路線バスの「行き先表示」の続き。
今まで紹介してきたように、昨年10月から系統番号の表示が始まった。番号表示自体は、悪くない。

しかし、それと同時に、表示される文字の内容が変わってしまい、今までの文字の表示に慣れた人はもちろん、始めて乗る人さえ間違ってしまうのではないかと思われるものに変わってしまった。(10月1日の記事10月6日の記事
具体的な問題点を挙げると、
1.大きな文字は必ず「終点」の「バス停名」を表示することになった。経由地は上段に小さい文字でしか表示されないし、前だけで後部の行き先表示には表示されない。その結果、
 1)「組合病院」「飯島北」「大川反車庫」行きなど複数の経路がある路線では、その識別がしづらくなった
 2)「南浜回転地」「牛島西四丁目」「大平台三丁目」など、認知度の低い終点バス停が大きく表示され、分かりづらくなった
2.従来は経由地でも行き先でもない、慣れ親しまれている「路線名(「新屋西」「割山」など)」が表示されていた場合もあったが、それは一律廃止され、直感的に分かりにくくなった
といった点。

さすがに苦情が多かったのか、変更半年後の今年4月1日からいくつかの路線の文字の内容が、再び改められた。
以前の記事では「新屋西」が復活したことや車庫行きの経由地である「長崎屋」か「県庁市役所」かが大きな文字になって区別しやすくなったことをご紹介した。

大町経由新屋線は、昨年10月にこのような表示になってしまっていた。
「新屋」が消えた
それが、今年4月からは記事冒頭の写真のように、「新屋」の文字が復活!

変更された表示は、昨年10月の杓子定規なルールを破って、分かりやすさに配慮したものが多いと思う。この点は評価したい。


実例をいくつか紹介します。(以前の表示は再掲画像がほとんどです。明るさや雪のため写りの悪い写真もあります)

市営バス時代は「泉保戸野線」「泉秋操線」と呼ばれていた、「泉ハイタウン線」。
昨年9月以前
「通町 泉ハイタウン」
昨年10月以降
「220 通町 秋田貨物駅入口」
4月からは
「220 通町 泉ハイタウン」
結局、元の表示に番号を付けただけ。
経由違いの路線があるわけではないし、認知度の点では「秋田貨物駅入口」も「泉ハイタウン」も大して違わない気もするけれど。


違う経由地がある路線では、4月から表示が分かりやすくなった。
従来はどちらも「御野場団地」としか大きく表示されなかった、御野場団地線の牛島経由(521)とイオン秋田中央店・卸センター入口経由(540。昔の「柳原」経由)。
10月から3月までの牛島経由

10月から3月までの卸センター入口経由。経由地は「イオン秋田中央・南高」

4月からは「南高」が大きな文字になった
9月以前は「南高校・御野場団地」だったので、やはりその頃とほぼ同じに戻った。
牛島経由のほうも「牛島・御野場団地」と、以前と同じになった。


たまたま終点が同じ(蓬田上丁)だけの、「秋田温泉線(360ほか)」と「添川線(210)」も、昨年10月にどちらも大きな字は「蓬田上丁」表示になり、区別しづらくなった。
10月から3月までの秋田温泉線(臨海営業所始発駅経由の360系統)
4月からは、
【6日画像追加】大川反車庫行きのような、縦長の文字で「秋田温泉・蓬田上丁」(駅始発の361系統)
※現在も361系統以外は、「秋田駅西口」や「秋高入口」など他にも経由地を表示する必要があるため、2段書きの縦長でない文字かもしれない(未確認)【5月19日追記】やはり車庫発駅経由は小さい文字の2段表示だった。機会があれば画像をアップします。

添川線のほうは、
「添川」が大きくなった



「新国道・土崎(高専前)経由(111)」「県庁・寺内・サンパーク経由(133。将軍野線の系統の1つ)」「神田・旭野団地経由(203)」などいくつもの経由地がある「組合病院」行き。
10月から3月まではどれも大きな文字は「組合病院」だけで、とっても分かりづらかった。

県庁・サンパーク経由の場合、
9月以前「将軍野」が識別のポイント

10月から3月
それが4月からは
「サンパーク」が大きくなった。「将軍野」は復活せず

新国道経由は、
「土崎」が大きくなった
昨年9月以前も「土崎」は小さい文字だったので、これはかなり分かりやすく改善されたと言えそう。
神田経由は「神田旭野・組合病院」のはず。


県庁・寺内経由と新国道経由がある、土崎・飯島方面(飯島北行き)。
新国道経由では、
4月以降も上の写真のまま変化はないはず。
しかし、新国道経由と同じく「飯島北」としか大きく表示されていなかった寺内経由では変化があった。
「寺内」が大きくなった

そして、
後部にもやっと「寺内」の表示が復活した
後部に「寺内」が表示されるのは、LED化されてから初。※以前の関連記事
どうせなら「新国道」も大きくして、後部にも表示すればよさそうなものだけど。

ただし、今回変化がなかった新国道経由でも例外がある。飯島まで行かず、土崎駅前に入って折り返す系統(113)。
2010年10月の運行開始から昨年9月まで

昨年10月から3月まで
県庁・寺内経由や神田線にも土崎駅行きがあるので、若干紛らわしかった。
4月からは
「新国道」が大きくなった。上段の小文字がない、独特の配置
↑こういう表示にできる路線・系統は、他にもあるんじゃないでしょうか。


「仁別リゾート公園線」。
10月から3月までは
「クアドーム・ザ・ブーン」
「ザブーン」で充分通じるけれど、終点名はあくまでも正式名称にこだわるらしく「クアドーム・ザ・ブーン」。
4月からは
「仁別・ザ・ブーン」
経由地の「仁別」が大きくなって、「クアドーム」は省略。上段小文字経由地もバス停名の「温泉入口」からバス停名ではないものの直感的な「秋田温泉」に変わった(以前に戻った)。「・」の使い方がちょっと紛らわしいが、文字サイズが大きくなって分かりやすい。


神田線の旭野団地方面(好きな言い方ではないが「神田旭野線」)。
旭野団地の次のバス停・外旭川市営住宅止まりの202系統。3月までは大きな文字は「外旭川市営住宅」だけだったはず。
4月からは
「神田旭野・外旭川市営住宅」
ゴチャゴチャで読みにくい。
経由地・路線名である「神田」が大きくなったのはいい。
でも、「旭野団地」の次のバス停が「外旭川市営住宅」で歩いてもすぐ。しかも、現在は旭野団地を通るバスは全便市営住宅まで行く。(一時期、旭野団地から直接組合病院へ行く系統があったが、今は市営住宅も通って病院へ向かうように改められた)
だから、「旭野」と「市営住宅」の両方を表示する必要はないと思う。

それに、番号表示以前もそうだったが、「神田旭野」と四字熟語にしているのがおかしい。
さらにもう1点、新屋西線では県営住宅を「栗田県住」と略しているのだから、こっちも「外旭川市住」でいいんじゃありません?

この系統の後部表示。
キツキツ
ずいぶんがんばって作成したデータだとは思いますが…


10月から「南浜回転地」となじみの薄い終点が大きく表示されるようになり、「船場町経由(700)」か「商業高校経由(701)」かの区別がしづらくなり、路線名が表示から消えてしまった「川尻割山線」。
3月までの商業経由
4月からは
「商業・割山・免許センター」(「割」部分のドット欠けがヒドイですねぇ)
こだわっていたかと思った終点名「南浜回転地」が消え、代わりに手前の「免許センター」が登場。これは親切。(旭野団地もこうすればいいのに)
路線名のことだと思われる「割山」も再登場。

一方、船場町経由は
「船場町・免許センター」
あれ? 「割山」がない!
なんで? 文字数の関係(文字が小さくなる)かもしれないが、旭野団地のように小さな文字にだってできるのに。
それに、路線名の「割山」はエリアの総称だからいいのだが、その中にある町名「新屋割山町」を指す「割山町」バス停を通るのは、船場町経由だけ。その船場町経由の表示に「割山」が出てこなくて、商業高校経由に出てくるというのに、若干、矛盾を感じる。
※勝平・割山地区については、近いうちに地理カテゴリーで取り上げるつもりです。→とりあえず次の記事

商業高校経由の側面表示は4月以降も
「南浜回転地」が残る…
通常なら、上段の横書きに「701商業グランド経由」とかなんとか表示されるはずだが、写真の状態は発車前なので、そこがスクロール表示されていて「商業経由」であることが一瞬では分からない。

また、川尻割山線の上り便(南浜回転地発秋田駅西口行き)では、4月以降も「船場町」「商業」は小さい文字のままで変更なし。
今回の内容改正は、一部路線の下り便の前面と後部の表示を中心に行われており、側面表示や上りではほとんど変わっていないようだ。


大川反車庫→県庁または長崎屋→秋田駅西口→手形山崎→大学病院→南団地→秋田駅東口という、秋田駅の西口と東口両方を通る、「赤沼線」。
経由地の「南団地」が大きくなった
でも、「秋田駅西口」と「秋田駅東口」がいっしょに表示されているのって、分かりにくい。
通しで乗る乗客はいない路線なのだから、運行途中で表示内容を変える(放送機器とLEDを連動できるはず)とかしたほうがいいと思う。


愛宕下橋経由雄和市民サービスセンター行き。
「雄和市民SC」
秋田市役所の施設名は「“市民”サービスセンター」。市民が付かない「サービスセンター」だと、別の組織になってしまう。
それなのに中央交通では、西部や北部の市民サービスセンターを表示や放送において、かたくなに「サービスセンター」または「SC」と呼称してきていた。
しかし、雄和市民サービスセンターは「市民SC」ですか。その違いは何なの?(単なるスペースの都合か?)
※雄和市民サービスセンターは、雄和町役場からの転換当初は「雄和市民センター」という、また別の組織であり、バスの行き先表示も「雄和市民センター」だった。昨年「雄和市民サービスセンター」に組織再編されていた。


以前詳しく紹介した、末端部で変わった運行形態を取る「二ツ屋福島線(570)」。
簡潔に述べると、秋田駅発の下りは、
牛島東五丁目→二ツ屋中丁→福島下丁→牛島東七丁目→南部公民館前(以上主要バス停のみ)
という経路で、要は「南部公民館前」行き。(そして駅行きとしては、二ツ屋中丁が始発)

しかし、かつて福島下丁折り返しだった頃の表示をそのまま使っていた市営バスの表示をそのまま引き継いで昨年9月までは、
「福島下丁」
という表示だった。
昨年10月からは、
「二ツ屋中丁」
と、なぜかより手前の停留所名に変更。
この4月からは、
「福島下丁」に戻った
この路線は、側面も変更されたらしい。
やはり「福島下丁」行き
↑それに縦書きは途中の「バス停名」を表示するのだと思っていたが、「牛島」というバス停はない。上段横書きを「570牛島経由」にし、縦書きに「有楽町」を入れたほう(順番としては有楽町→楢山広小路)がよくありません?

結局、昔に戻ってしまったけれど、正しくは「南部公民館前」行きでないとおかしいんじゃない?


以上、おおむね分かりやすい方向に変わったとは思う。
しかし、例えば大住団地・みなみ野団地線は引き続き「牛島西四丁目」行きのままで直感的に分かりにくいし、上記の旭野団地、割山、二ツ屋福島線など、やっぱりまだ詰めが甘い点やさらなる改善が必要な点もあるように感じている。

※プロ野球開催時の特発バスは、系統番号がない表示だった。
※その後、行き先表示は時折、部分的に変化が生じている。2020年10月の記事2022年10月の記事




最後に、羽後交通のバスでも、行き先表示が最近変わった。
県立体育館・秋田駅西口と本荘を結ぶ急行バス。
今までは、
後ろですが「急行 本 荘」
最近は、
「急行 秋田駅前経由 本荘営業所」となっている
羽後交通では、前からある車両の表示器をLEDに更新することはやっていないこともあり、秋田市内に来る路線にLED式の車両が入っているのは見たことがない。
【9日追記】湯沢営業所行きの高速バスの表示は「高速 湯 沢」で変化なし。
コメント (8)
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最近の小学校校舎

2012-05-03 23:46:58 | 秋田のいろいろ
秋田市立学校の校舎シリーズ。今までの記事は昭和の校舎が多かったので、今回は新しい校舎を紹介します。
※例によって雄和・河辺地域については除かせてもらいます。

秋田市では、1961(昭和36)年の土崎中学校を皮切りに鉄筋コンクリート造の校舎が建設された。
当初は、木造校舎に対して「永久校舎」と呼ばれていたようだが、鉄筋コンクリート造(RC造)だけでなく鉄骨造(S造)の校舎も一部存在したようだ。(現在は、体育館などは別として、校舎本体がS造の学校はないはず前回取り上げた南中と東中の一部校舎はS造だった)

秋田市立の学校から木造校舎がなくなったのは、1991(平成3)年。最後の木造校舎は上新城中学校(2010年度末で閉校)だった。(ちなみにその1つ前は1989年の下北手中、さらに1つ前が1988年の高清水小)。
ちょうど30年かかって、「永久校舎化」が達成されたことになる。

その頃には、初期の永久校舎が老朽化してきたようで、1992年には土崎中、太平中、城南中などから建て替えが始まった。
“永久”校舎というわりには、30年で再度改築されて永久じゃなかったことになるが、当時の建設技術や耐震性能を考えると、致し方なかったのだろう。
市街地では、ドーナツ化と少子化で空き教室が増えて校舎を持て余していた所もあるだろうから、効率化の狙いもあったかもしれない。

それでは、21世紀の現在もなお、続々と鉄筋コンクリート校舎が建てられているかといえば、そうではない。
ここ10年ほどで、大々的な改築が行われたのは、小中合わせて5校ほど。

代わりに、耐震性を高める大規模改修が行われた。
例えば、1970年前後に建てられた、旭南小、土崎小、築山小などは耐震補強をした上で、築40年を越えて今も現役。
これは、耐震改修が必要な学校の数が多すぎて、全面改築では費用的に厳しいという秋田市側の事情があるのかもしれないし、あるいは1968年の十勝沖地震の被害を踏まえて1971年に耐震基準(建築基準法施行令)が改正されたので、以降に建てられた校舎は改修工事をするだけで充分だったのかもしれない。(逆に言えば、改築された校舎は耐震性能がかなり低かったのかもしれない)


今回は、ここ20年ほどの間に建てられた、4つの小学校の校舎を比べてみる。
紹介する以外では、浜田小と河辺の岩見三内小が最近改築されている。紹介する4小学校は秋田市立の小学校全体で3番目~6番目に新しい校舎となる。
(この間に中学校は秋田北中、山王中、御所野学院中、桜中が改築または新規開校している)

小学校では最後の木造だった高清水小が1988年に改築された後は、1990年に寺内小、1991年に御所野小がそれぞれ開校しただけで、改築された既存の小学校はなし。
小学校としての初めての永久校舎の改築となったのは、1993年の旭北(きょくほく)小学校。
「スカイプール」こと屋上プールがある。外壁の汚れが目立つのが残念

翌1994年には、牛島小学校。
こちらはきれいな外壁
旭北小と牛島小の先代校舎はどちらも1965年前後に建てられた。
旭北小の先代校舎はかすかに記憶にあるが、だいぶ古臭い印象で、市街地には珍しく2階建てだった。牛島小の先代校舎も、写真を見ると旭北小によく似た2階建て。
どうも、鉄筋コンクリート造りでなく鉄骨造だったようで、そのために比較的早期に改築されたのかもしれない。

その後しばらくは校舎建設がなく、桜中が開校した1998(平成10)年に保戸野(ほどの)小学校が改築された。

保戸野小の先代校舎は1963年頃築で鉄筋コンクリート造3階建てだった。RC造のためか、先の2校よりは長い35年ほど使われたことになる。

その後、1999年に御所野学院中ができた後、21世紀に入ると改築される学校はなかった。
2003年に久しぶりに改築されたのが、勝平(かつひら)小学校。
やや逆光です
1970年開校の勝平小は、これが2代目校舎。先代校舎は鉄骨造2階建てだったらしく、33年間使用。


以上4校の校舎はどれも立派で、時代にふさわしいけれど、古い秋田市立学校の校舎に慣れ親しんだ者としては、別の町の学校のような印象さえしてしまう。
それはともかく、比べてみると、似ているような点もあれば、違う点もあるのに気付く。

まず、これらの少し前に建てられた寺内小なども含めて共通点は、
・外壁が単色
→昭和末期の茶系統2色や1985年の土崎南小の白い壁に屋根だけエメラルドグリーンとは違う
(再掲)土崎南小
・「塔時計」がある
→Panasonic「電設資材総合カタログ」によれば、塔時計とは「建物の壁面に設置する大時計」のこと。時計塔・時計台の形式でなく、壁に設置されていても名前は「塔時計」。要は建物の壁面を文字盤として使い、壁に直接針が付いている時計。セイコーやシチズンでも「塔時計」の呼称を用いている。
上の写真の通り、塔時計はデザインは違うものの土崎南小で既に採用されている。【この後、2018年に土崎南小の塔時計は撤去された。また、土崎南小以前には、築山小の体育館壁面・グラウンド向きに塔時計が設置されている。】
以上2点は同時期に建築された中学校でも見られるが、以下2点は小学校だけだと思う。
・シンボルタワー的な構造物がある
・外壁にモザイクタイル(?)による壁画がある(寺内小ではレリーフ)

では、そうした違いを学校ごとに。
旭北小。
上のほうの写真で手前角に、展望台みたいな塔が、奥まった北側壁面には塔時計と壁画がある。
塔時計と壁画
時計の文字盤は12・3・6・9だけに数字が入るタイプ。この後の他校よりやや小さいサイズかもしれない。
壁画は暖色系の背景に、ヘンな色の提灯がぶら下がった竿燈を上げる子どもが描かれている。
旭北小は竿燈会場のお膝元であり、学校として竿燈に出ている。


牛島小。
道路に面した校舎北面、玄関の上に横長の大きな壁画がある。
校舎壁面(庇)に校名が表示されるのは、秋田市ではそう多くない
壁画は鳥と人とリボンがデザインされた抽象的なもの。学校のホームページでは「躍動感あふれる子供たちの姿を表したレリーフ」と説明されている。(←「レリーフ」ではないんじゃないでしょうか…)
タイルによるグラデーションがきれいで、北側壁面の有効活用にもなっていそう。
なお、外壁は全体にクリーム色だが、北面の一部だけ青っぽい色が使われている。

校舎の東端では、
残り2アイテムがあるけれど

これは何?
塔っぽいけれど、枠と屋根しかない。バルコニーでもなさそう。火の見櫓なわけはない。
下は、ちょうど普通自動車1台が収まりそうなスペースだけど、何の意味があるんだ? 「塔もどき」?

塔もどきの隣の高い位置に、塔時計がある。「時計塔」か?
いや、塔というより…
板に時計をくっ付けた、「時計塔もどき」? 文字盤は寺内小と同じ、数字のないもの。
校舎の端っこに時計があるっていうのはバランス的にどうなんだろう。時計のためだけに構造物を造ったようで、取ってつけた感がある。
玄関の上とか、せめてすぐ隣の塔もどきと一体化させることはできなかったのだろうか。

それ以前に、牛島小は校舎のすぐ前が道路であり、道の突き当りに学校があるわけではない。したがって、道路に向かって塔時計があっても、ほとんど役に立たない。道路と平行に両面あれば、登校する児童や学校前を通る人の目に入るのだが。


保戸野小。
保戸野小の校舎を南側などから見ると、色合いといいデザインといい、牛島小によく似ている。(保戸野小のほうは角が丸くなっている)
しかし牛島小ではバラバラだった3つのアイテムは、1か所にまとまっている。
正門からまっすぐの玄関の上
塔時計の時計自体は牛島小と同じタイプ。
壁画は旭北小と同じようなサイズ・タッチ。楽器を演奏する子どもと青い鳥とカタツムリ(1匹だけ)とウサギ。あまり保戸野小との関連はなさそう。(旭北小と同じく、保戸野小も竿燈に出ているのだけど)

そして問題は、それが設置されたシンボルタワー的なもの。
とんがり屋根の塔かと思いきや、角度を変えて見ると…
 
これも、牛島小みたいな、平らな板!
3階の屋上に三角形の板を付け、そこに時計を設置して、時計塔っぽく見せているのだ。
牛島小では板であることはあまり目立たなかったが、保戸野小は、大きさや周辺の状況の都合上、正面以外から見ると板であることがまる分かり。

裏のグラウンド側から見ると、
時計の駆動装置がむき出しで、板の梁(?)には雪が積もっている
NHKで放送されていたアニメ「ぜんまいざむらい」(原案・m&k)に出てきた、「見栄城」を思い出してしまう。(見栄っ張りのお殿様の居城で、立派な天守閣を描いた板を城下に向けて立てていた)

千秋公園裏側、明徳小裏の階段からも見える
明徳小-保戸野小-秋田テレビ本社はほぼ一直線上にあり、秋田テレビ本社の屋上カメラから千秋公園を見ると、明徳小の手前に保戸野小の裏側が見えてしまう。

保戸野小は菊谷小路から1本入った所にあり、菊谷小路から学校の正門~塔もどきがまっすぐに見える。
しかし、正門脇に学校のシンボルツリーである「ニレの木」(別名ニレケヤキと表示があるがちょっと疑問。たぶん標準和名ハルニレ、通称エルムという木だと考えられる)が茂っており、塔時計はほとんど見えない。
葉っぱがなくてもこの状態
無理して学校正面にタワーもどき・塔時計を造らなくてもよかったと思う。むしろ、小さい電気時計が2台設置されているグラウンド側(体育館の壁)にでも塔時計を作ったほうが、役に立ちそう。


最後に勝平小。
昨年度は日新小、桜小に次いで秋田市で3番目に児童数が多い小学校だった。
勝平小は秋田市の他の多くの学校同様、大通りでなく細い道に面している。さらに、校地周辺が傾斜地で正門付近が周りより低い。
校舎2階の高さにつながる部分もある
以前の校舎は知らないし、写真では伝わらないかもしれないが、現在の校舎は全体としてなかなか好印象。
敷地や空間を上手に使っているように感じた。圧迫感を感じず開放的な感じがするにも関わらず、だからといって開けっぴろげすぎず、周りと適度な距離感を保っている。明るくて、周辺の風景とうまく調和しているとも思う。

外壁は秋田市立学校としては珍しい、オレンジ色に近い茶色の単色。そして、オブジェのような塔がある。
1997年にできた県立秋田南高校の2代目校舎に似ているような…
これが秋田南高
比べてみるとそれほどでもないか。色あいも塔のデザインも違う。

勝平小へ戻ります。
タワーを横から
最上部は保戸野小のような板(平板でなく角度が付いている)だが、全体的に見ればもどきでなく正真正銘の「塔/タワー」と言ってもいいだろう。
タワー正面
タワーのてっぺんは、とてもとんがっている。尖端恐怖症の人は怖いかも。
塔時計と壁画はタワー周辺に配置。
壁画はやや凹んだ場所にあるため、正門付近からは下のほうが見えない。もうちょっと位置をなんとかならなかったかな。
時計の文字盤は1から12まで全部数字が入る。この位置だと、グラウンドからも見ることができるし、通行人も見られる。
壁画
壁画は、バラのアーチの手入れをする子ども、青い鳥、風船、そして勝平地区らしく風力発電の風車。


4つの校舎を比べると、最後の勝平小では洗練されていて、先の学校の反省を踏まえているのかなと思えるような点もある。
不思議なのは、壁画。牛島小以外の3校は、モチーフやタッチ(若干、気持ち悪い気もしてしまう)が似ているので、同じ人物によるものだと考えられるが、誰なんだろう。
個人的な意見としては、児童や地域にゆかりのある人の作品ならともかく、そうでもないのなら、壁画は必要ないように思う。


勝平小より後にできた、浜田小(2008年)と岩見三内小(2010年)は見たことがないので知らないし、この2校は郊外部の小規模校なので事情・方針が違うのかもしれないが、浜田小は写真を見る限り、壁画やタワーはなさそう。
秋田市内の中・大規模の小中学校において、大規模な校舎改築が行われることは、この先当分なさそうだが、次はどんなデザインの校舎ができるだろうか。

※1987年の上北手小学校校舎と2018年度の増築について

■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小坂の途中の学校旭南学区は広い近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎集合煙突、最近の小学校校舎(この記事)
※次の記事はこちら
※弘前市立学校の最近の校舎はこの記事最初

※秋田県立高校にも、塔もどきができた
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セブンイレブン初店舗

2012-05-01 23:59:26 | 秋田のいろいろ
この記事この記事で取り上げた、秋田県にセブンイレブンが進出する件の続き。

昨年11月の発表では、「2012年春を目途に、秋田県南部の横手市を中心としたエリアにおいて出店を開始」とのことだったが、なかなか開店する気配がなかった。
このほど、5月31日(木)に横手市と美郷町に計3店舗が開店することが分かった。

どこで情報が分かったかというと、公式サイトの「アルバイト情報」。
現時点では、都道府県別のリンクやプルダウンメニューに「秋田」は準備されていないが、フリーワード欄に「秋田」と入れて検索すると、店舗所在地の「秋田県」から3件が引っかかる。先週後半頃にアップされた。

それによれば、開店する3店舗は横手市の「セブン-イレブン 横手条里1丁目店」、「セブン-イレブン 横手バイパス店」、美郷町の「セブン-イレブン 六郷バイパス店」。

現地の地理は分からないので、以下、アルバイト情報と地図によります。
横手条里1丁目店は「パチンコNEWYORK×2​さん向かい」だそう。
JR横手駅の裏(西側)800メートルほどで、国道13号線(横手バイパス)の1本西側。スーパーのタカヤナギやサンクスがすぐそばにあある。

他の2店は13号線沿いとのこと。
横手バイパス店は、所在地が横手町字下飛瀬200。「青果地方卸売市場」の辺りらしく、条里1丁目店から直線で1キロも離れていない。
横手駅から600メートル、横手市役所から500メートルほどだろうか。近くにローソン2つとファミマがある。

六郷バイパス店は、横手バイパス店から国道13号線を北(秋田市方向)へ13キロほど進んだ辺り。
「六郷白山」交差点、イオンスーパーセンター美郷店や六郷小学校の近くらしい。
「六郷バイパス」と呼ばれる道路は存在しないようだが、六郷白山交差点のところにあるローソンが「ローソン六郷バイパス店」。


セブンイレブン秋田進出がいよいよ具体的に目に見えて動き始めたことになる。
「2012年度中には秋田市内への出店を開始」する予定ではあるが、今回の出店エリアから秋田市まではまだ50キロはあるわけで、横手市内にももっと店ができそうだし、大曲(大仙市)にも出店することだろう。
【30日追記】5月30日付のリリースによれば、秋田市への出店は「2013年の春」の予定。また、当初の計画通り2015年2月までには、秋田県内に約100店舗の出店を目指すという。

ローソンでは、公式サイトに「新店情報」というページがあり、この先1か月くらいに開店予定の店舗の情報を一覧で掲載している。(明日、「秋田新屋日吉町店」が新屋比内町に開店するそうだ)
セブンイレブンでもそういうページを設けてほしいけれど、とりあえずアルバイト情報をチェックしていれば、新しい店の情報が早めに把握できそうだ。(従業員が充足されれば削除されてしまうのかな?)


ちなみに、テレビで放送される、セブン&アイ・ホールディングス(イトーヨーカドーなど)のCM。
以前は、冒頭で出演者の声などで「セブンアンドアイ」と言っていたはずだが、最近は「セブンアイ」に変わったような気がする。
今春から「セブンアイ」を通称としているようだ。
「セブンアンドアイ」は言いにくいし覚えにくかったから、妥当な判断でしょう。最初から「セブンアイ・ホールディングス」にしておけばよかったかもしれないけど。
【2013年4月23日追記】2013年4月に放送中のセブン-イレブンのおにぎりのテレビCMでは、「セブンアンドアイホールディングス」と言うようになった。正式名称に変えたのか。
【2013年5月3日追記】】2013年5月に放送中のセブン-イレブンのおにぎりと麺類のCMでは、「セブンアイ」に続いて「セブン-イレブンの~」と言っている。


【2日追記】2日付秋田魁新報の経済面で「セブンイレブン/横手 美郷に3店舗/県内初今月下旬オープン」としてこの件が報道された。
記事では、「(5月)1日、明らかになった。」ということで、昨日、公式発表され、それに基づいた報道のようだ。(当ブログで昨日アップしたのは偶然です。もっと前にアップすればよかった…)

横手条里1丁目店は、「横手市役所本庁舎の南庁舎近くとなる見込み。」としており、「見込み」などとまだ不確定っぽい書き方。アルバイト情報では、所在地の番地まで出ているのですが…
「オープン日時など詳細については同社が近く公表する見通し」と、開店の日付は明らかにしていない。アルバイト情報では、31日オープンと明示されているのですが…

※次の記事はこちら
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