秋田駅西口と「南浜回転地」を結ぶ路線バス「川尻割山線」。
主な系統は「船場町経由」と「商業高校(正確には商業高校グラウンド前)経由」の2つがあり、途中の経路が異なる。
秋田駅発の下りでは、終点の5つ手前のバス停で、両経由が再び合流して同じ道を進む。
合流して最初のバス停が「勝平二丁目」。近くの交差点の角には今はサンクスと薬局があるけれど、昔はここが今はなき地元スーパー「マルナカ」だったかな?
勝平二丁目下り側バス停。船場町経由は奥から、商業経由は左の狭い道からやって来る
今まで気にしていなかったけれど、考えてみれば、秋田市に「勝平二丁目」という地名(町名)は存在しない!
新屋地区のうち雄物川より北側一帯を指すエリア名として「勝平(または割山)」と呼ぶこともあるが、このバス停名の由来は所在地でもある「新屋勝平町(あらやかつひらまち)」のことだろう。
※どちらも「勝平山」が由来だと思われるが、この辺は後日別記事にて
「新屋勝平町」は1964(昭和39)年の住居表示により誕生した町名。あくまでも「勝平」ではなく「勝平町」であり、かつ「丁目」は付かない。
「新屋勝平町」にある「勝平二丁目」バス停
また、勝平二丁目の次(南浜回転地寄り)のバス停はただの「勝平」。
これも、本来なら「勝平町」とするべきではないだろうか。(他のバス停は「寿町」「割山町」など、「新屋◯◯町」の「◯◯町」部分を使っている)そうすればエリア名の「勝平」と混同しにくいし。
川尻割山線は、元は旧秋田市交通局が運行していた路線。2002年に秋田中央交通に移管されている。
この記事冒頭の上り側バス停の画像では、「秋田中央交通」の文字の下に「市営バス」のカット文字が浮き出ているのが分かる。なお、下り側バス停は中央交通によって表示板全面が張り替えられたため、フォントが縦長だったりローマ字が訓令式である点が異なる。
大昔(1961~1981年)は南浜回転地付近に秋田空港があったので、割山線が空港アクセスを担っていた時期もあり、その当時は「空港線」と呼ばれることもあったらしい。
元々は船場町経由しかなく、1978年の市立秋田商業高校の移転に伴い、商業高校経由が運行された始めたようだ。
1988(昭和63)年度のポケット時刻表を見ると、その時点では「勝平二丁目」と「勝平」バス停が既に存在している。
それ以前については分からないが、秋田市交通局が命名したバス停名なのは間違いない。
秋田の路線バスにおいて、ひとつの町名の範囲内に複数のバス停を設置する場合、その名称は以前紹介した「大野四区」のように数字で分けるか、上丁・下丁といった区分けをすることが多い。
「通町」と「通町二区」のように、片方にしか数字が付かないケースもあるが、これは通町だけを通って通町二区は通らない路線(新屋線と割山線)があるため、その場合「通町一区」だと違和感があるためだろう。
「勝平」と「勝平二丁目」もそれと同じようなケースかもしれない。
でも、「区」ではなく「丁目」で区切るのは他に例がないと思うし、不自然。
それに、一区、二区…で区切る場合、必ず上り側(秋田駅寄り)のバス停のほうが番号が若い(ちなみに上丁・下丁については、わりと無頓着)が、この場合は勝平二丁目が駅寄りなので、当てはまらない。分岐とは関係ないのに、対になるバス停が「勝平一丁目」でなく「勝平」なのも不可解。
【12日追記】コメントで同様の命名がもう1か所あることをご指摘いただいた。旭川地区の秋田温泉線と仁別リゾート公園線(いずれも旧市営路線)の「古城苑二丁目」。もう1つ「古城苑入口」があるが、「古城苑一丁目」は存在せず、そもそも「古城苑」は町名ですらない。
【2018年6月7日追記】由利本荘市の循環バスには「栄町一丁目」「栄町二丁目」というバス停があるが、これらも地名として存在しないようだ。「栄町」すらない。
商業高校経由が誕生する以前や住居表示実施以前のバス停の位置や名前が分かれば、何かヒントになりそうな気もするが、お手上げです。
以前の「旭北前」バス停(これも割山線か)と並んで、命名に謎があるバス停だ。
勝平二丁目の由来・理由をご存知のかた、いらっしゃいませんか?
主な系統は「船場町経由」と「商業高校(正確には商業高校グラウンド前)経由」の2つがあり、途中の経路が異なる。
秋田駅発の下りでは、終点の5つ手前のバス停で、両経由が再び合流して同じ道を進む。
合流して最初のバス停が「勝平二丁目」。近くの交差点の角には今はサンクスと薬局があるけれど、昔はここが今はなき地元スーパー「マルナカ」だったかな?
勝平二丁目下り側バス停。船場町経由は奥から、商業経由は左の狭い道からやって来る
今まで気にしていなかったけれど、考えてみれば、秋田市に「勝平二丁目」という地名(町名)は存在しない!
新屋地区のうち雄物川より北側一帯を指すエリア名として「勝平(または割山)」と呼ぶこともあるが、このバス停名の由来は所在地でもある「新屋勝平町(あらやかつひらまち)」のことだろう。
※どちらも「勝平山」が由来だと思われるが、この辺は後日別記事にて
「新屋勝平町」は1964(昭和39)年の住居表示により誕生した町名。あくまでも「勝平」ではなく「勝平町」であり、かつ「丁目」は付かない。
「新屋勝平町」にある「勝平二丁目」バス停
また、勝平二丁目の次(南浜回転地寄り)のバス停はただの「勝平」。
これも、本来なら「勝平町」とするべきではないだろうか。(他のバス停は「寿町」「割山町」など、「新屋◯◯町」の「◯◯町」部分を使っている)そうすればエリア名の「勝平」と混同しにくいし。
川尻割山線は、元は旧秋田市交通局が運行していた路線。2002年に秋田中央交通に移管されている。
この記事冒頭の上り側バス停の画像では、「秋田中央交通」の文字の下に「市営バス」のカット文字が浮き出ているのが分かる。なお、下り側バス停は中央交通によって表示板全面が張り替えられたため、フォントが縦長だったりローマ字が訓令式である点が異なる。
大昔(1961~1981年)は南浜回転地付近に秋田空港があったので、割山線が空港アクセスを担っていた時期もあり、その当時は「空港線」と呼ばれることもあったらしい。
元々は船場町経由しかなく、1978年の市立秋田商業高校の移転に伴い、商業高校経由が運行された始めたようだ。
1988(昭和63)年度のポケット時刻表を見ると、その時点では「勝平二丁目」と「勝平」バス停が既に存在している。
それ以前については分からないが、秋田市交通局が命名したバス停名なのは間違いない。
秋田の路線バスにおいて、ひとつの町名の範囲内に複数のバス停を設置する場合、その名称は以前紹介した「大野四区」のように数字で分けるか、上丁・下丁といった区分けをすることが多い。
「通町」と「通町二区」のように、片方にしか数字が付かないケースもあるが、これは通町だけを通って通町二区は通らない路線(新屋線と割山線)があるため、その場合「通町一区」だと違和感があるためだろう。
「勝平」と「勝平二丁目」もそれと同じようなケースかもしれない。
でも、「区」ではなく「丁目」で区切るのは他に例がないと思うし、不自然。
それに、一区、二区…で区切る場合、必ず上り側(秋田駅寄り)のバス停のほうが番号が若い(ちなみに上丁・下丁については、わりと無頓着)が、この場合は勝平二丁目が駅寄りなので、当てはまらない。分岐とは関係ないのに、対になるバス停が「勝平一丁目」でなく「勝平」なのも不可解。
【12日追記】コメントで同様の命名がもう1か所あることをご指摘いただいた。旭川地区の秋田温泉線と仁別リゾート公園線(いずれも旧市営路線)の「古城苑二丁目」。もう1つ「古城苑入口」があるが、「古城苑一丁目」は存在せず、そもそも「古城苑」は町名ですらない。
【2018年6月7日追記】由利本荘市の循環バスには「栄町一丁目」「栄町二丁目」というバス停があるが、これらも地名として存在しないようだ。「栄町」すらない。
商業高校経由が誕生する以前や住居表示実施以前のバス停の位置や名前が分かれば、何かヒントになりそうな気もするが、お手上げです。
以前の「旭北前」バス停(これも割山線か)と並んで、命名に謎があるバス停だ。
勝平二丁目の由来・理由をご存知のかた、いらっしゃいませんか?