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広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ジャリジャリましまし 他

2017-04-07 00:17:41 | ランチパック等パン類
昨年末のチョコスプレー&ホイップに続く、「“スペシャル”イギリストースト」の第2弾が登場。
3月14日から東北6県のローソンで先行販売され、4月1日から他店舗でも販売。マックスバリュ広面店にもあった。
スペシャルイギリストースト ジャリジャリましまし 481kcal
通常のイギリストーストに似たデザインの包装ながら、銀色を使ってスペシャル感。「びっくりジャリジャリ ザラメ入り」とある。
【7日追記】「★ジャリジャリましまし★」と、商品名の前後に星印が付いている。スペシャルの第1弾には★はなかった。裏面のバーコードの上の商品名にも★なし。

イギリストーストの特徴であるグラニューの食感を、ザラメを使って増加させた商品。
ちなみに、通常のイギリストーストは457kcal。

最近は、例えばハッピーターンの粉を増やしたのとかも出ているから、その流れか。
個人的には、やはりイギリストーストの大きな特徴の1つがジャリジャリ感だと思う。
だけど、最近のイギリストーストの派生商品では、ジャリジャリを感じないものが多くなっていて、工藤パンとしては必ずしも意識していないのかとも思っていたけれど、こんな形になるとは!
通常より粒が目立つ。クリームも少し多い?
気のせいか、通常版よりややこってりしているかも。
ジャリジャリは粒が多かったり、硬かったりするのではなく、「粒が大きい」と表現するのが適切か。【7日追記】粒が大きいのはザラメを使ったせいか。ザラメ特有の風味みたいな味の違いは分からなかった。個人的には思ったほどジャリジャリましましではない気もした。ネット上では「昔のイギリストーストはこんな感じだった」という声も。


前後しますが、3月発売から2つ。いずれもマックスバリュ広面店で3月中は扱っていた。
イギリストースト 黒ごま&北海道産練乳クリーム 441kcal
北海道新幹線開業1周年記念で、H5系のイラスト入り。

イギリストーストでゴマは初採用かもしれないけど、それに練乳の組み合わせ。味が想像できない。
練乳とゴマ
なかなかおいしい。意外な組み合わせだけど、合う。
そして派生商品にしては久々にジャリジャリ感あり。

「工藤の和菓子」シリーズ。
ごまくじら餅風蒸しパン 321kcal
青森県産米粉使用。

「くじら餅」とは、青森市浅虫温泉(ほかに鰺ヶ沢や山形県内陸などにも)の米粉を蒸したお菓子。それを蒸しパンで再現したもの。正月に青森に行った時、ごまでないノーマルのものが売られていた。
3月発売のこの商品も、パッケージはなんだか正月っぽい。

浅虫のくじら餅は四角くて単色のはずだけど、
丸くて表面に白い渦巻き


くじら餅の再現性はともかく、もっちりしたゴマ味蒸しパンとしては、おいしかった。

同月発売のイギリストーストにも蒸しパンにもゴマを使っている。たしか秋田のたけや製パンでも、3月にゴマの商品が出たはず。以前にも山ブドウなどで同様のことがあったけれど、ヤマザキ系列で原料を一括仕入れでもするのだろうか。

※くじら餅風パンには、さらなる続編も発売もされた。この記事中ほど。
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3つの解体

2017-04-05 23:55:35 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部の解体3つ。

昨年末で閉鎖された、大町二丁目の「さきがけ大町センター」。
(再掲)さきがけ大町センター
今年2月頃から解体工事が始まり、3月中に本格化した。
3月下旬
東側の建物裏から解体され、現時点では道路際のわずかな部分が残るだけ。

【5月16日追記】その後、更地になって舗装され、少なくともビルがあった南西側には、どうも時間貸し駐車場ができそうな気配。


以前、無人になった民家の中でヨウシュヤマゴボウが繁茂しているのを紹介した。
たまに持ち主が刈ることもあったようだが、昨2016年9月下旬は、
相変わらずびっしりと
玄関の土間にいっぱいにヨウシュヤマゴボウ。
戸のすき間から葉が飛び出す

ところが、今年1月には、
なくなっている!(道路と区別しにくいですが、正面の白い家の手前にあった)
秋以降年明け前後までに解体されて更地になってしまっていた。

家そのものは比較的きれいな状態ではあったが、あのままでは空き家が朽ち果てるのも時間の問題。やむを得ない。
今のところ更地のまま。ひょっとしたら土中に根や種が残っていて、ヨウシュヤマゴボウが復活したりして?!
※この年夏以降の様子は、この記事後半にて。


保戸野の県立秋田工業高等学校の校舎改築が行われている。
現在は、古い校舎の解体がメインのようだ。
あまりなじみのない場所だけど、通りかかったので紹介。

狭い通りからさらに入った道の突き当りが正門。
現在は正門を閉鎖中
閉鎖された正門に、「ご来校の皆様へ」との看板。
サークルKとセブンイレブンはロゴマーク入り
正門右方・線路寄りに駐車場や仮設の門~仮設通路があり、そこを通って、奥の新校舎へ来るようにとのこと。
納品など車で中に入る時は、裏の泉踏切の通りにある工事車両出入口を使用。今年1月から11月末までの予定。

現在見えるのは、正門奥の左に以前からある茶色い校舎。「管理棟」だそう。少し手前の右には、グレーの新しい校舎。
以前は、これらより手前、正門を入ってすぐの右には茶色の低い校舎や自転車置き場。左には小さい体育館(第二体育館)や部室っぽいものが建っていたはずだが、きれいになくなっている。
正門の左方から
旧校舎管理棟の手前にある民家みたいなのは、昔の校舎をモチーフにした同窓会館かな。

解体が終われば外構工事。旧校舎時代を知る卒業生などには、懐かしい光景がなくなってしまうことだろう。
その後の続き
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赤べこ719系 秋田へ?

2017-04-03 23:21:21 | 秋田のいろいろ
最近、JRの話題ばかりで恐縮ですが、またまた。
当ブログへアクセスいただいた検索ワードで知ったのだが、先週、秋田のJRで興味をひかれる出来事があった。(以下、憶測ばかりで信憑性はありません)
仙台支社で普通列車として使われ、新型車両導入により運行を終了していた「719系」電車のうち、2両編成×2本=計4両が、秋田へ運ばれたという。「配給列車」という業務用列車扱いで運ばれ、いちおう愛好家向けには、雑誌やサイトで公表されたのかな。

719系は東北本線で多く走っていたが、福島の磐越西線でも使われていた。(現時点では両路線とも、わずかに719系が残っている)
磐越西線では、赤と黒のラインに、会津のマスコットキャラクターである赤べこの「あかべぇ」を描いた車両が運用されており(内装は変更なし)、秋田へ来た4両もその一部。
2007年撮影(写真の車両は秋田へは来ていない)

使わなくなった車両が秋田へ来るのは珍しくはない。「秋田総合車両センター(旧・土崎工場)で解体する」「置き場所がなくて、とりあえず秋田に置いておく」「車両を他用途に転用するため、秋田総合車両センターで改造を行う」といった理由。
そういう場合、配給列車名には「廃車」「疎開」「入場」といった理由が付記されるのだが、どうも今回はそのいずれでもなく、「719系秋田転属配給」という名目だったらしい。
秋田へ運ばれた719系は、秋田総合車両センターへ入ったとのこと。センター横を通過する列車の窓から見る限り、屋外には置かれていなさそうで、庫内で整備中なのか。
719系は1989年から製造された車両(外観は国鉄末期っぽいけど、JR化後なんだ)。引退した後は、廃車になるのかと思っていたけれど、土崎で何らかの整備を行った後、そのまま秋田の車両基地に所属して、秋田を走るということだろうか。とすれば用途は?

ネット上の意見も踏まえて、秋田へ来た719系の今後として考えられるのは、
・観光列車に改造
福島では、719系を改造したカフェ列車が走っている(廃車にならず継続運行中)。そんなのの秋田版?
でも、秋田では、電車よりも気動車を改造したほうが、活躍の幅が広がりそう。
それに、元リゾートしらかみだった車両も既に2本(旧青池→クルージングトレイン、旧ブナ→用途未定?)ある。そこへ新たに電車を4両も改造するだろうか。


・701系不足分の穴埋め
2016年1月の踏切事故により、秋田地区の普通列車用701系電車のうち1本が使えなくなっている。
2両編成が1本不足する状態だが、通常の運用には支障がないようで、修理する気配もなく、繁忙期は仙台から701系を借用して対処していた。
また、JR東日本では、秋田周辺に安全性の高い保安装置(ATS-P)を導入する計画があるそうで、それに合わせて701系を対応させる改造工事が必要になるらしい。工事中は車両がさらに不足する。
その穴を719系で埋めようとしているのかもしれない。
今の時期から準備しておけば、今年の夏祭りシーズンには、もう借りてこなくても済むだろう。

でも、719系は、秋田ではこれまで走ったことがない車両で、機器類も701系とは相違点が多い。乗務員訓練が必要だし、整備面でも手間が増えそう。座席配置が違うから、客も戸惑う。
あと、701系と719系は、併結運転はできない仕様だそうだから、そのまま701系の予備や代走に入れるといった単純な代替をするのは難しい。
だったら、仙台から719系でなく701系を転属させたほうが話が早い。


・701系から分離して、719系限定の普通列車運用新設
701系穴埋め説の延長。
今まで701系だった運用のうちどれかを、719系固定にしてしまえば、乗務員訓練や現場の手間はあるが、客はさほど困らない。不足しているのは2両編成1本なのに、2本来たのは、その固定運用での予備分を含むと考えればしっくり来る。
では、どの運用を分離させて、どこを走らせるか。

719系は、オールロングシートではなく、2人掛けまたは4人掛けのクロスシートがメイン。座席の回転はできず、半分の席が後ろ向きになる、変わった座席配置(「集団見合い型」と呼ぶのだが、言葉では説明しづらい)。
となると、ロングシートでは見劣りする長距離の列車?
現在は、申し訳程度のボックスシートが増設された3編成の701系が走っている、秋田-新庄(の一部)、秋田-弘前の特急代替の快速など、いいんじゃない?

ネット上では、青森-蟹田の津軽線電化区間を走るのではないかというウワサも。
この区間も秋田の701系電車が走っているが、他路線との直通列車は奥羽本線・津軽新城行きが1本あるだけで、運用はほぼ独立している。そこに719系を入れるということ。ダイヤ上、2本あれば回せそう。でも、津軽線は701系の3両編成がよく走っている気がするから、2両では輸送力が不足しないかな。
津軽線といえば、車両不足の根源である踏切事故の現場。これが実現すれば、因縁めいたものを感じるが、古いとはいえ短距離路線にいい座席の車両はうらやましい。
この場合、秋田で行わなければいけないメンテナンスもあるだろうから、その回送の効率が悪そう。青森-秋田での営業運転をしてもいいか。

以上、憶測。

719系には、たぶん4回乗車したことがある。いずれもここ15年ほどの間。
うち1回は、山形のミニ新幹線区間(標準軌)用の車両なので、今回置き換えが進む狭軌用とは別グループ(外観・内装はほぼ同じ)。あとは仙山線(現在は運用なし)で1回、上の写真を撮った磐越西線で2回。
2人掛け座席は、前後がやや狭いものの、なかなか良好で、景色を眺めながら駅弁をおいしく食べられた思い出があって、好感を持っている車両。

あと、1991年頃だと思うが、秋田地区に新型電車(要するに701系)を導入することが決まった報道において、JR東日本が提供したその完成予想図は、719系そっくりの姿だった。
「仙台と同じ形式が秋田を走るのか」と期待したものの、できあがってみれば、すとんとした形状(719系のほうが幅広)の車体、オールロングシートという似ても似つかないもので、意表を突かれた思い出も。

そんな思い出のある719系が秋田を走るのなら、ぜひとも乗ってみたい。
「秋田転属」がガセネタだった(他地域向け改造とか)というオチの可能性もなくはないけれど、今後に注目。あかべぇがいなくなっちゃうのは確実でしょうね。

【2017年4月19日追記】
その後4月19日、ネット上の情報によれば、秋田総合車両センターへ入っていた719系が本線上へ姿を現した。
外観はあかべぇがいなくなった以外は、以前のままの赤と黒の帯。所属基地の表記が秋田市楢山の秋田車両センターを示す「秋アキ」に書き換えられているとのこと。4両いっしょに土崎駅から「回送」表示で秋田駅方向へ向かったそうだ。

ということで、秋田に転属したのは確実、用途は普通列車が濃厚と言えそう。
おそらく、今日は車両センターへ入って、今後は乗務員訓練、その後営業運転投入といった流れか。
今からだと投入時期も中途半端になりそうだけど、それにしてもどこを走るのだろうか。

続きはこちら
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JR30周年

2017-04-02 23:58:45 | 昔のこと
1987(昭和62)年4月1日の国鉄(日本国有鉄道)分割民営化・JR発足から30年。
もう30年も経ったのかと思う。

30年経って、離島3社を中心とする厳しい経営状況、過度な合理化も気にはなるけれど、おおむねうまくいっているように思う。
仮に国鉄のままだったとしても、人口減やIT化など世の中の変化があって、同じように合理化されていたかもしれない。
一方で、バブル崩壊などもあって今以上に廃線が進んだり、客離れが激しくなって鉄道全体が衰退したり事故が多発したりしていたかもしれない。
※国鉄末期には接客の悪さには“定評”があったほか、機関士(現・運転士)が酔っ払い運転で連結作業をして、客が寝ている寝台車に衝突するようなとんでもない事故(事件)を起こしている。【4日補足】このような職員の体質は「たるみ」と呼ばれ批判された。

国鉄のままだったら、Suicaや駅ナカもなかったかもしれない。秋田などでは、いまだに冷房なしの客車を機関車が引っ張る普通列車が走っていたかもしれない。秋田新幹線(しかも赤い車体の)も、秋田駅周辺活性化にJRが関わってくれることもなかったかもしれない。
国鉄末期には、運賃の値上げがひんぱんに実施されていたそうだが、民営化後、本州3社では消費税導入・税率アップ分以外の値上げを行わずに現在に至っているのも、民営化が功を奏したと言えそう。
ただし、急行列車廃止や新幹線開業で、特急券などの料金は実質値上げされている。庶民の経済感覚の変化(優等列車が身近になった)があるかもしれないし、割安な企画きっぷも増えたから、評価は分かれそう。


個人的に分割民営化されて気になるのが、JR東日本対JR東海に代表される、会社間の連携不足。(一方で東日本はJR北海道とは仲良し)
各社ごとにおトクで便利なきっぷが発売されているが、エリアを越えると正規料金で乗らざるを得ないものがほとんど。それは百歩譲っていいとして、例えば東京-熱海間の正規乗車券は、(この区間では制度上は問題ないのだが)在来線経由か新幹線経由かを決めて購入しないと、場合によっては自動改札機で止められたり、駅員に雑に扱われたり(←JR東海の一部社員。東日本や西日本は丁寧に対応してもらった経験あり)してしまう。
同じ系列会社なんだから、もっと一体感を持てないのだろうか。


30年前、僕は小学校上学年。
当時から鉄道は好きだったし、秋田では鉄道=国鉄。
「民営化」は、電電公社(現・分割前のNTT)、専売公社(現・JT)の先例があって、なんとなく理解できており、それが国鉄にも及ぶことは理解していた。
だけど、分割されるというのが理解できなかった。
エリアを越えて旅行するには、きっぷをどうやって買うのか(会社ごとに分けて買うのか)、「白鳥」「日本海」のようなエリアをまたぐ列車はどうなるのか、など疑問だった。

分割民営化の少し前のNHKのテレビのニュースだと思うが、どのように分割するか(すなわち現在の旅客6社・貨物1社)を解説していたのを見た記憶がある。
東北地方は、首都圏とともに「東日本」になることを知って、戸惑った。てっきり「北日本」とか「東北」というくくりになると思っていたので。
「東北や甲信越だけに分けてしまうと、ローカル線を多く抱えて経営が厳しくなることが予想されるので、収益が大きい首都圏といっしょにした」と理由が説明されていて、納得。
あと、東海道新幹線と東北上越新幹線が別の会社になること(上記の通り、今も若干不服だが)、貨物列車が別会社になるということも、不思議な感じがした。


小学校の学区内には「国鉄官舎」があり、1クラスに1~2人は親が国鉄に勤めている児童がいたかと思う。
彼らのお父さんたちは、分割民営化時にはそれぞれ東日本または貨物へ配属されたことにはなるわけだが、表面上はほとんど変化はなく、新しい学年に上がった。建物の名称は「JR社宅」になったけれど。

その中で、知る限りで1人だけ、1987年春に国鉄官舎から転出していった子がいた。
行き先は首都圏と聞いた。首都圏の支社(や本社)に異動になったのだろうと漠然と思っていたけれど、改めて考えれば、当時は所属する労働組合によって待遇の差があったり、JR社員として採用されなかった元職員もいたりした。もしかしたら、その子のお父さんもそんな事情があって、転出したのかもしれない。(まったくの憶測です)


沿線や駅で見る限り、分割民営化されたといっても、当初はこれまでの車両や看板に「JR」マークを付けた程度に感じた。※1988年の十津川警部シリーズ
当時はあまり乗る機会がなかったけれど、大人たちは「JRになって窓口の対応が良くなった」と話したり、秋田駅前広場(今の西口のポスト付近?)に貨車を改造したパン屋ができたり(余剰人員対策か)、JRになって変わったのかなと感じた。
ちなみに、当時は自動改札機はおろか、きっぷの入鋏はスタンプでなくハサミによる穴開けだった。少なくとも平成に入ってから数年間はハサミだった。あと、「JR」の名はかなり速く国民に浸透・定着したけれど、「国電」の言い換え「E電」はぜんぜんだったね。

民営化翌年には青函トンネルや瀬戸大橋の開業、さらに翌年には平成になり、世の中全体が新しい時代へ。
やがて、それまでは北から南まで塗装が同じだった車両も、JR九州の真っ赤な485系電車など、各社の個性が出始め、さらに各社ごとに個性的な新型車両が増えていく。秋田ではなかなか新車両は来なかったけれど。

気がつけば、新幹線が延び、ブルートレインや急行など国鉄時代の列車がなくなり、インターネットできっぷを買えるようになり、国鉄時代の車両は「国鉄型」と呼ばれて消えていったり、そんな30年。

東北新幹線でこんな車両があったのをご記憶ですか?(2004年撮影)
写真は、東海道新幹線の100系のような、先頭部がとがって、前照灯が細長い、「100系タイプ」とか「シャークノーズ」と呼ばれたタイプ。
東北上越新幹線では別形式ではなく、先頭部が丸っこい200系のデザイン違いとして製造または改造された。民営化直後の1987年に登場したそうで、JR東日本のJR東海への対抗心によるものか。【3日追記】今見れば、昭和末期~平成初期特有のバブリーな雰囲気が漂っている。
写真のような窓下に緑の細い線があるものは、2階建てグリーン車・カフェテリアが連結され、停車駅が少ない通称「スーパーやまびこ」に充当された花形車両だった。(丸っこくても2階建て、とがっていても平屋の編成もあった)
写真は、2階建てが抜かれ臨時列車用となっていた廃車間際の姿。
どちらも200系
この記事に2003年の200系

JR各社では、民営化とその後10年ごとに、記念のフリーきっぷを発売している。
1987年には3月31日に限り6000円で新幹線など含む全線が乗り放題になる「謝恩フリーきっぷ」を発売し、大混雑。なんとなくテレビで見た記憶あり。
1997年3月には3日間3万円で乗り放題の「JR発足10周年記念謝恩フリーきっぷ」が出たそうだが、記憶にない。当時はネットでの情報収集の習慣もなかったし、また日頃から週末のJR東日本エリアが乗り放題になるきっぷもあったので、当時は目立たなかったのかもしれない。今にして思えば、がんばって他社エリアへ行っておけばよかった。
2007年は普通列車限定「青春18きっぷ」を春だけ値下げすることでお茶を濁し(?)、2017年はグループ全体でのきっぷはなく、各社ごとの対応になるようだ。

この途中、2003年には、JR東日本の完全民営化(2002年の日本鉄道建設公団保有株の放出)を記念した、「JR東日本パス」が発売された。(東日本大震災後にも同名商品発売)2003年3月の週末にエリア内全線乗り放題で1日用8000円、2日用1万2000円。
これは利用したけれど、どの列車もかなり混雑しており、秋田新幹線は全便満席。北上線経由で「やまびこ」に乗って首都圏へ行き来した。

今回のJR東日本は、7月下旬の3日間有効の「JR東日本30周年記念パス」を発売。
乗車券部分のみ1万3000円(新幹線・特急券等は別途購入で利用可)。
3連休用のフリーきっぷと似ていて、エリアが若干狭く、若干安い程度の違い。(それでもJR東日本でない3セクが一部含まれるのがおもしろい)青春18きっぷよりも割高。
かつてのように大混雑しても困るから、夏休み直前~初期という、あまり客が多くない時期にしたのだろうか。
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