
☆明治、大正、昭和と日本の裏面史を形づくってきた”右翼の巨魁”といわれてる
☆頭山氏は、その生涯で数えきれないほどの政治事件に介入している
☆頭山氏が当局の調べを受けたのは1回
*頭山氏率いる玄洋社の社員、来島が大隈重信爆殺未遂事件を起こした時

☆皇太子裕仁(昭和天皇)の妃に久迩宮良子が内定した
☆元老の山県有朋が母方の島津家に色覚異常の血統があるとして反対した
*山県の本心は、皇室に政敵の薩摩系が入ることを阻むことにあった
☆頭山氏は右翼陣営をまとめ、山県を突き上げた
*山県は、結局、頭山氏の圧力に屈して横槍を引っ込めた

☆頭山満氏を語ることは、日本の右翼を語ることである
☆大川周明は、頭山氏の印象を語る
*大阪城の石垣のようで、押しても引いても動かない大雄峰
*西郷隆盛と同時代の人間たちが語った西郷像と同じもの
☆頭山氏自身も西郷の書として有名な「敬天愛人」という言葉を好んでしたためた
☆頭山氏は、朝鮮の金玉均や中国の孫文やあるいはインドなどの革命運動を援助した
*世間から打算的過ぎるとの批判もあった

☆当時から行動派右翼として一目置かれていた
*無双の豪傑としてやりたいことを思うままにやり尽くした天衣無縫の「右翼人」
☆内田氏はもともと身体強健というタイプではなかった
☆己の強い信念以上のものはないということを行動で示していたのが内田氏の生涯であった

☆内田氏は、朝鮮半島で政府打倒に立ちあがった東学党を支援する為
*玄洋社から朝鮮に派遣され、「天佑侠」に参加、革命戦線に加わる
*フイリピン独立軍の支援、中国革命の孫文への援助
☆アジアを駆け巡る行動派として内田の名前は内外に知られていく
☆「黒龍会」を結成する

☆朝日新聞は戦前から右翼陣営とは仲が悪かった
☆内田氏が”社会の木鐸”と思い上がっていた大新間に鉄槌を加えた「白虹(はっこう)事件」
☆政府は全国で勃発した米騒動の報道を禁止した
*大阪朝日新聞は、これに抗議する関西記者大会の模様を「白虹日を貫けり」の表現を用いて報じた
*内田氏は、中国の故事で、天皇を倒すという不敬を表しているとして朝日新聞を攻撃した
*同志とともに社主を拉致、大衆の前で「こいっは国賊だ」とやりだした
*朝日新聞は、全面屈服で社主は交代、左翼系記者6名を含む編集幹部は整理し退社した
☆右翼活動家として縦横無尽に剛腕を発揮した内田氏
*「言葉」というものをことさら大切にしていた


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右翼の人物と事件1(頭山満氏・内田良平氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)