天皇の権威と万世一系
☆記紀(『古事記』『日本書紀』)の記述内容に疑問を抱く2点
第二五代の武烈天皇の記述に疑問を抱く
☆武烈天皇は、「諸悪を造し、 一善をも修めたまはず」の記述
*多くの悪業を行い、一つの善業も行わなかった
*悪逆非道な天皇として描かれている
*天皇の偉大な事績を書くはずの『日本書紀』
*こんなことを書くのはおかしい
☆継体天皇の記述
*武烈天皇が崩御し、継体天皇即位経過
*武烈天皇が崩御した時、皇位継承者が見当たらなかった
*越前から応神天皇の五世の孫である男大述王を迎えた
* 翌年、男大述王は後の継体天皇となる
(「継体天皇」は死後、おくられた「諡号」)
*男大述王(継体天皇)が即位したのは五七歳の時
*継体天皇が都入りするのは、即位後一九年も経ってから
☆他に皇位継承者は見つからなかったのか?
*即位して都に入るのに一九年かかった
☆本当の理由は、おそらく権力争いだったのでは?
*何かの戦いがあり、その争いが一九年続いた
☆一種の皇位寡奪に近いことが行なわれたのでは?
*だから、前の天皇を残虐に書いたとも考えられる
*「武烈」という怖そうな諡号もさもありなん
*「継体」という諡号も、極めて暗示的です
応神天皇の記述にも疑問を抱く
☆応神天皇の父は仲哀天皇
☆仲哀天皇の妻神功皇后が神懸かりになる
*神から「西海の宝の国(新羅)を授ける」という信託を受けたという
*仲哀天皇はそれを信じず神を非難し、すぐに亡くなった
*天皇が神罰を受けたとも読める記述があるのは異様
*その時に神功皇后は、妊娠中だった
*仲哀天皇が亡くなってから、子供が生まれた、その子供が後の応神天皇
☆応神天皇は父の仲哀天皇の死後、15カ月後に生まれたことになっている
*何かあったのではないか、と見るのが普通
*そういう目で見ると、仲哀天皇の亡くなり方もおかしいし
*「仲哀」という名前もおかしい
*「後世の読み人よ、わかってくれ」の気持ちで、記紀編纂者がこの字を使った?
「神」がつく三人の天皇
☆仲哀天皇は、熊襲との戦いで戦死
*代わって熊襲が大和朝廷を減ぼして権力を掌握したとの説
*ここで王朝が入れ替わつたのではないか?
☆応神天皇の「神」の字
*124代の天皇の中で「神」の字がつく天皇は三人
*初代は神武天皇ですね
*十代目の崇神天皇(畿内を統一して、強大な大和朝廷をつくった)
*応神天皇
☆日本の天皇で「神」がついている三人だけは特別
☆初代の神武天皇と10代目の崇神天皇と同一人物という説も根強くある
*「ハツクニシラススメラミコト」という同じ称号を持っている
(「初めて国をつくった天皇」という意味)
☆応神天皇を産んだ神功皇后にも「神」がついている
*「神」の字がついた唯一の皇后
☆応神天皇の時代に何か大きな変化があったのではないか?
*王朝が入れ替わった、と類推する人がいる
☆記紀編纂者が苦労し託したことは
*「万世一系こそが守るべき原則だ」と記した
「神武東征」の記述
☆大和平野から発掘される銅鐸はほとんど壊されている
☆世界の歴史を見れば、ある民篠・国家が別の民俗を征服した場合
*被征服民族の宗教を弾圧することがままある
*宗教的施設や祭祀の道具を破壊することも珍しくない
☆大和平野から壊された銅鐸が出てくるということ
*そこにあった国を別の文化圏の国が征服し、銅鐸を破壊したのでは
日本という国名
☆日本は、日が昇ると処の意味
*皇室の祖神である天照大神「日の神」です
*古代から日本は太陽を神聖視していた
☆国旗が「日の九」で、神話と結びついた国旗
☆「日の丸」は古くは源平合戦から使われている
☆現在、国旗に使われている「日の丸」
*江戸時代の薩摩藩主、島津斉彬が提唱したと言われている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『「日本国紀」の天皇論』
☆記紀(『古事記』『日本書紀』)の記述内容に疑問を抱く2点
第二五代の武烈天皇の記述に疑問を抱く
☆武烈天皇は、「諸悪を造し、 一善をも修めたまはず」の記述
*多くの悪業を行い、一つの善業も行わなかった
*悪逆非道な天皇として描かれている
*天皇の偉大な事績を書くはずの『日本書紀』
*こんなことを書くのはおかしい
☆継体天皇の記述
*武烈天皇が崩御し、継体天皇即位経過
*武烈天皇が崩御した時、皇位継承者が見当たらなかった
*越前から応神天皇の五世の孫である男大述王を迎えた
* 翌年、男大述王は後の継体天皇となる
(「継体天皇」は死後、おくられた「諡号」)
*男大述王(継体天皇)が即位したのは五七歳の時
*継体天皇が都入りするのは、即位後一九年も経ってから
☆他に皇位継承者は見つからなかったのか?
*即位して都に入るのに一九年かかった
☆本当の理由は、おそらく権力争いだったのでは?
*何かの戦いがあり、その争いが一九年続いた
☆一種の皇位寡奪に近いことが行なわれたのでは?
*だから、前の天皇を残虐に書いたとも考えられる
*「武烈」という怖そうな諡号もさもありなん
*「継体」という諡号も、極めて暗示的です
応神天皇の記述にも疑問を抱く
☆応神天皇の父は仲哀天皇
☆仲哀天皇の妻神功皇后が神懸かりになる
*神から「西海の宝の国(新羅)を授ける」という信託を受けたという
*仲哀天皇はそれを信じず神を非難し、すぐに亡くなった
*天皇が神罰を受けたとも読める記述があるのは異様
*その時に神功皇后は、妊娠中だった
*仲哀天皇が亡くなってから、子供が生まれた、その子供が後の応神天皇
☆応神天皇は父の仲哀天皇の死後、15カ月後に生まれたことになっている
*何かあったのではないか、と見るのが普通
*そういう目で見ると、仲哀天皇の亡くなり方もおかしいし
*「仲哀」という名前もおかしい
*「後世の読み人よ、わかってくれ」の気持ちで、記紀編纂者がこの字を使った?
「神」がつく三人の天皇
☆仲哀天皇は、熊襲との戦いで戦死
*代わって熊襲が大和朝廷を減ぼして権力を掌握したとの説
*ここで王朝が入れ替わつたのではないか?
☆応神天皇の「神」の字
*124代の天皇の中で「神」の字がつく天皇は三人
*初代は神武天皇ですね
*十代目の崇神天皇(畿内を統一して、強大な大和朝廷をつくった)
*応神天皇
☆日本の天皇で「神」がついている三人だけは特別
☆初代の神武天皇と10代目の崇神天皇と同一人物という説も根強くある
*「ハツクニシラススメラミコト」という同じ称号を持っている
(「初めて国をつくった天皇」という意味)
☆応神天皇を産んだ神功皇后にも「神」がついている
*「神」の字がついた唯一の皇后
☆応神天皇の時代に何か大きな変化があったのではないか?
*王朝が入れ替わった、と類推する人がいる
☆記紀編纂者が苦労し託したことは
*「万世一系こそが守るべき原則だ」と記した
「神武東征」の記述
☆大和平野から発掘される銅鐸はほとんど壊されている
☆世界の歴史を見れば、ある民篠・国家が別の民俗を征服した場合
*被征服民族の宗教を弾圧することがままある
*宗教的施設や祭祀の道具を破壊することも珍しくない
☆大和平野から壊された銅鐸が出てくるということ
*そこにあった国を別の文化圏の国が征服し、銅鐸を破壊したのでは
日本という国名
☆日本は、日が昇ると処の意味
*皇室の祖神である天照大神「日の神」です
*古代から日本は太陽を神聖視していた
☆国旗が「日の九」で、神話と結びついた国旗
☆「日の丸」は古くは源平合戦から使われている
☆現在、国旗に使われている「日の丸」
*江戸時代の薩摩藩主、島津斉彬が提唱したと言われている
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『「日本国紀」の天皇論』