慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

歴代天皇の大御心2(天皇君臨すれども親裁せず)

2019年12月23日 | 天皇論
歴代天皇の大御心2

君臨すれども親裁せず
 ☆御前会議で、ここに至るまで陛下はひと言も発言されなかった
 ☆昭和天皇は「君臨すれども親裁せず」で、天皇は専制君主ではなかった
 ☆大東亜戦争の開戦にも昭和天皇は反対だった
 *戦争回避のためにいろいろ画策された
 ☆昭和天皇がその生涯において、政治的な決断を下した出来事
 *ポツダム宣言受諾の終戦の「ご聖断」と「二二六事件」だけ
二二六事件
 ☆高橋首相は、陸軍の予算を削ったことで、青年将校たちの恨みを買っていた
 ☆青年将校ら
 *政党や財閥や政府重臣らを腐敗したと考えた
 *腐敗したものを取り除き天皇親政を実現するという理想に燃えていた
 ☆昭和天皇はこの事件が、日本の大きな分岐点になるという思いがあった
 *事件に昭和天皇は怒りをあらわにされた I
 *軍首脳部に「速やかに鎮圧せよ」と命じたが、陸軍首脳部は躊躇した
 *昭和天皇は、自らが近衛兵を率いて鎮圧すると宣言した
 ☆昭和天皇には、これを許したら、民主国家でなくなるという危機感があった
歴代天皇の「お言葉」
 ☆天皇の力、それが扇の要のようになって民が一つになる力
 *危急存亡のときに突如として現れる
 ☆本当に日本が危ない時、天皇の持つ力が国民に以心伝心で広がる
 *国民が一致団結して、ものすごい力で国を支える
 ☆幕末とポツダム宣言受諾は、その象徴的な出来事だった
ポツダム宣言受諾とマッカーサー
 ☆御前会議でポツダム宣言の受諾が決まる
 *日本はその時に「国体護持」を条件につけた
 *「国体護持」を条件につけたのは、天皇陛下の処刑はやめてくれという意味
 *連合国からの回答には、「国体護持」を保証する文言がなかった
 ☆会議では「国体護持」の保証が得られていない
 *陛下を守れないのでは「本土決戦やむなし」という空気が広がる
 ☆天皇陛下が立ち上がって仰った
 *「私自身は如何になろうとも、国民の生命を助けたいと思う」
 ☆アメリカ人使館で、マッカーサー連合国軍最高司令官と会談された
 *マッカーサーは、「ヒロヒトは命乞いするだろう」と思っていた
陛下のお言葉「責任はすべて私にある」
 ☆第一次世界大戦で敗れたドイツ皇帝ヴィルヘルムニ世
 *彼は終戦直前に莫大な財産を持ってオランダヘ亡命した
 *戦後は、戦争責任は認めなかった
 ☆マッカーサーは、それを知っていたので、「ヒロヒトも」と思っていた
 ☆昭和天皇は「責任はすべて私にある」とおっしゃった
 *文武百官は、私の任命するところだから、彼らには責任がない
 *私の一身はどうなろうとも構わない
 *国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたいと述べた
 ☆マッカーサーは大変な感銘を受けた
 *「これほどのジェントルマンがいたのか」と驚いた
 ☆昭和天皇は後日、自らの財産目録を差し出す
 *マッカーサーに「閣下に差し上げるから、日本国民を飢えから助けてほしい」と言った
 *この言葉にもマッカーサーは感銘を受けた
 ☆国民の多くがあの時を乗り切れた一つの要素
 *マッカーサー元帥が昭和天皇との約束を守ってくれたことにあったのでは
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『「日本国記」の天皇論』
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インドの歴史2(イギリスの統治・独立・パキスタン分離)

2019年12月23日 | 観光
インドの歴史2

イギリス統治時代
 ☆イギリスは、インドの綿織物産業を壊滅させた
 *綿製品を送り出していたインド綿製品に関税をかけた
 ☆イギリスは、インドで栽培したアヘンを中国に輸出
 *「アヘン戦争」を起す
 ☆イギリスは、最後の皇帝をビルマに追放しムガール帝国は滅亡させた
 *「イギリス女王ヴィクトリア」がインド女帝を兼任する
 *「イギリス領インド帝国」が生まれた
 ☆イギリスの支配下でのインド
 *イギリスはインドを「分割統治」という方法をとった
 (人種・宗教・地域で全く異なるインドをそれぞれにあわせた政策)
 *知識階級を取り込むため「インド国民会議」を設置した
 ☆イギリスは民族運動の中心ベンガルの力をそぐために「ベンガル分割令」を発した
 *分割は宗教で分けられたので、反英闘争が激化した
 (西をヒンドゥー教、東をイスラム教)
 ☆イギリスは民族運動の影響を少しでもそぐため都をカルカッタからデリーへ遷都した
2つの世界大戦と独立運動
 ☆日露戦争で、アジア日本人が白人国家に勝利した
 *インドでも民族運動から独立への意思が始まる
 ☆「第一次世界大戦」
 *イギリスは、「インド人の自治権」を約束してインドを参戦させた
 *戦後に発令された「インド統治法」は名前ばかりで、独立運動が活発になる
 *「マハトマ・ガンジー」が「非暴力独立運動」を唱えはじめた
 *イギリス軍による無抵抗な民衆を惨殺した「アムリットサル事件」が起きる
 *インド全域の大衆まで独立の気持ちが深まっていく
 ☆「第二次世界大戦」
 *イギリスに非協力で、日本軍の力を借りて「インド国民軍」を結成した
 *戦後インド国民軍の将校たちに対して、反逆罪で裁判をすると各地で暴動が起きる
 ☆戦後力が衰えていたイギリスは、押さえることが出来ず独立を認めた
インドの独立
 ☆インド内では、ヒンドゥー教とイスラム教の信徒たちの戦いが激しくなっていく
 *イスラム教国家としてパキスタンができた
 ☆ガンジー暗殺される
 *イスラム教との融和を言い続けて分離独立に反対していたガンジー
 *狂信的なヒンドゥー教の信徒に暗殺される
 ☆初代首相にネルーがなる
 *政教分離の「世俗主義」を根本において国を統一していく
 *「インド憲法」ができ「共和制」になる
 *根強い身分差別は廃止できず、義務教育も徹底出来なかった
 ☆フランス領インドが返還され、ポルトガル領インドが併合された
インド人民党政権VSインド国民会議政権
 ☆ネルー首相の後、娘の「インディラ・ガンジー」が長期政権を維持する
 ☆パキスタンと3度にわたる戦争
 *東西に分れていたパキスタン
 *インドが支持していた「東パキスタン」が独立
 *「バングラデシュ」ができた
 ☆パキスタンを支持していた中国が核を保持した
 *インドも核保有国となる
 ☆インディラ・ガンジー首相は復権したが、暗殺される
 ☆後任の息子もスリランカの内戦に「平和維持軍」を派遣した報復で暗殺された
 ☆インド人民党政権VSインド国民会議政権
 *現在は「インド人民党」が政権を取り戻して、現在にいたっている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『Wander Trip』




インドの歴史2(イギリスの統治・独立・パキスタン分離)

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インドの歴史1(インダス文明誕生→植民地へ)

2019年12月23日 | 観光
インドの歴史

 ☆西洋文化と東洋文化に多大な影響を与えるた神秘の国インド
 *インドは、「古代インダス文明」を生む
 *中国とローマを繋ぐ「シルクロード」の中間にある国
 ☆インドは、母なる川であるガンジス川を中心にたくさんの民族が集まる
 *哲学と宗教を育んできました
 ☆インド人は、数字の「0」を生み出した
 ☆インドは、多くの民族や国に侵略を受けた

四大文明のひとつインダス文明
 ☆インド・アーリア人がやってきた
 *紀元前1500年頃に「インド・アーリア人」がパンジャーブ地方に移住
 *ガンジス川流域の先住民を支配して定住生活に入った
 *「カースト制度」
 (インド・アーリア人が作った司祭階級(バラモン)を頂点にした身分制度)
 ☆初めての統一国家とガンジス文明
 *紀元前16大国が栄えた(お釈迦様が生まれた時代)
 *仏教は、戒律の解釈の違いで、「上座仏教」と「大乗仏教」に分裂
 (日本に伝わったのは大乗仏教)
 ☆アショーカ王が亡くなるとマウリア朝は分裂し北インドは混乱期に入る
混乱期のインド
 ☆デカン高原に「サータヴァーハナ朝」が繁栄
 ☆7世紀前半に「西遊記」のモデル「玄奘三蔵」がインドにやってくる
 *玄奘は、「ヴァルダナ朝」と「チャールキヤ朝」を訪れる
 *仏教の最高峰だった「ナーランダ大学」で勉強し、お経を中国に持って帰った
 *玄奘が訪問した国ガンダーラは古代王国の一つ
 ☆10世紀チャンデーラ朝が、「カジュラーホー」をつくった
 ☆仏教遺跡の最盛期だったが、その栄華にも陰りがやってくる
 ☆「北インド」は、イスラムの王朝に敗れてイスラム化していく
 ☆デリー・スルターン朝は、デリーを都とした
 *王は「スルターン」という称号を使ったためスルターン朝と呼ぶ
 *イスラム政権は、「カースト制度」をそのまま使う
 *改宗を強制はしなかったが、イスラム教が普及していく
 *14世紀デリー・スルターン朝が南インドの王朝を滅ぼす
 ☆デカン・スルターン朝が「ムガール帝国」に支配されて消えた
ムガール帝国がインドを統一
 ☆ムガール帝国は、イスラムとヒンドゥーの融合をし華々しい文化をつくる
 ☆ムガール帝国の衰退
 *6代皇帝が、厳格な「イスラーム教スンナ派」の教えを元とした政治を始めた
 *ヒンドゥー教の信者たちからの支持を失っていき、各地で反乱がはじまった
 *アウラングゼーブ皇帝はデカン高原に大軍を送ってマラーター王国を沈黙させた
 *ムガール帝国は最大領土を支配した
 *彼が亡くなると、その悪政の反動で帝国は衰退への道を歩き出した
 *帝国は皇帝が何度も入れ替わり大混乱
 ☆マラーター王国がデリーを攻撃する
インドの植民地時代
 ☆ポルトガル人の航海者で探検家の「ヴァスコ・ダ・ガマ」インドにきた
 *デンマーク・オランダ・イギリス・フランスがインドを手中に入れようと必死になる
 ☆ヨーロッパ諸国の新天地インド
 *ポルトガルは「ディーウ沖海戦」で、インドと他国の連合艦隊を打ち破りインド洋を制した
 *インド西部のディーウはムガール帝国を恐れていてポルトガルと同盟を結ぶ
 *ポルトガルは、城のような要塞をつくり島の統治権を手に入れてる
 ☆インドに返還されるまでポルトガルの領地で、インド植民地の始まりでもあった
 ☆ヨーロッパ諸国は、「東インド会社」を創設し、新たな新天地としてインドを狙ってきた
イギリス東インド会社の野望
 ☆「アンボイナ事件」で、イギリスは東南アジアから撤退した
 *インドに集中することになり、「ボンベイ」「マドラス」「カルカッタ」に商館を作った
 *ムガール帝国の力は衰退の時期を迎えていていた時期でもあった
 ☆「イギリス東インド会社」と「フランス東インド会社」
 *両社で、ヨーロッパ諸国を巻き込んでの「七年戦争」が起きた
 *イギリスとフランスは、アメリカ大陸とインドで全面戦争へと発展していく
 *インドの全王国を巻き込んでの大戦争となり、フランス東インド会社は敗北
 ☆イギリスは、ムガール帝国に三州の財務や行政や税金徴収等の権利を認めさせた
 *イギリスは、植民地化するため、更に侵攻戦争を繰り広げていく
 ☆インドはイギリス東インド会社の植民地となっていった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『Wander Trip』










インドの歴史1(インダス文明誕生→植民地へ)
(『Wander Trip』記事より画像引用)



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インドのスルバニア(工芸品・化粧品・お茶)バーチャルT

2019年12月23日 | 観光
インドのスルバニア

 ☆広い国土をもつインドは、シヨツピングが楽しい国
 ☆地域ごとの特産物や工芸品が豊富で暮らしのなかで磨かれた道真類も美しい

アートなインドの雑貨・伝統な伎
 ☆インドは工芸品が盛んな国
 ☆伝続工芸品が、手頃な値で買えるのも魅力

コスメの世界のインド
 ☆アーユルヴェーダ(伝統的医学)の考えに基づいた自然派コスメ
 *多くのメーカーが魅力的な製品を生み出しいる
 ☆体に優しいナチュラルコスメは、女性の友達が喜ぶ

お茶&食品
 ☆ダージリンやアサムなどのお茶で名高い国
 ☆スパイスを混ぜたマサーテイーやフレ‐バーテイーが喜ばれる
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出典、『地球の歩き方インド』








インドのスルバニア(工芸品・化粧品・お茶)
(『地球の歩き方インド』記事より画像引用)







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