🌸源頼朝が政子を大切にした理由(1)
『要旨』
☆頼朝にとり重要だった関東の武家との婚姻
☆流罪で伊豆に流された頼朝
*最初、地元・伊豆で一番大きな武士団伊東の娘と結ばれ、子ども生まれる
*娘の父、結婚に大反対で、二人の間にできた男の赤ん坊も殺す
☆頼朝大物狙いから一転、一番近い武家の娘と考えた
*頼朝の部下の機転で、成立した頼朝と政子との結婚
☆北条家は小さい家「この家と縁を結びたい」武士も少なかった
*政子に来る縁談自体も少なかった
*政子は当時の尺度では美人ではなかった
*政子は当時の尺度では美人ではなかった
☆北条政子との婚姻は、関東の武士たちからすれば
*「頼朝さまは俺たちとずっと一緒にいてくれるんだな」という
*「頼朝さまは俺たちとずっと一緒にいてくれるんだな」という
*忠誠心を引き起こすのに十分な効果があった
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「源頼朝の婚姻」「北条政子」「伊東祐親」「北条時政」
(ネットより画像引用)
⛳頼朝にとり重要だった関東の武家との婚姻
☆オシドリ夫婦だった、源頼朝とその妻・北条政子
*北条政子にとり、頼朝は恋愛の末に結婚した、大切な夫だった
☆オシドリ夫婦だった、源頼朝とその妻・北条政子
*北条政子にとり、頼朝は恋愛の末に結婚した、大切な夫だった
*頼朝はこの結婚は計算づくのものだった
☆鎌倉幕府を立ち上げる以前の源氏は、孤立無援の状態
*源氏の貴公子頼朝にとり。強力な後ろ盾が欲しいところの婚姻
☆頼朝は、源氏の嫡流の貴公子だが
☆鎌倉幕府を立ち上げる以前の源氏は、孤立無援の状態
*源氏の貴公子頼朝にとり。強力な後ろ盾が欲しいところの婚姻
☆頼朝は、源氏の嫡流の貴公子だが
*自身は流罪になり、家は平家に減ぼされている
*自分が力を持つには、どこかの武家の娘と婚姻を結ぶのが最善だった
☆流罪で伊豆に流された頼朝
*最初、地元・伊豆で一番大きな武士団伊東の娘と結ばれ、子どもも作る
*頼朝の義理の父にあたる伊東家の当主・伊東祐親
*祐親は、当時の平家がどれだけ強い力を持っているか知っていた
*その為、二人の間にできた男の赤ん坊も殺してしまった
*頼朝自身も命を狙われたため、命からがら逃げだした
⛳部下の機転で成立した頼朝と政子との結婚
☆頼朝は、大物狙いから一転、一番近い武家の娘と考えた
☆頼朝は、大物狙いから一転、一番近い武家の娘と考えた
*選ばれたのが適齢の娘がいる北条家
*頼朝は、北条家にラブレターを書き、北条家の娘をデートに誘う
*頼朝は、北条家にラブレターを書き、北条家の娘をデートに誘う
(頼朝がラブレターでデートに誘ったのは、政子ではなくその妹だった)
*ラブレターを託された藤九郎盛長は、北条の館へと向かう
*藤九郎盛長は、姉の政子宛てにラブレターを持っていく
(藤九郎盛長は、姉の方が頼朝に向いていると考えた)
☆頼朝からのラブレター政子は大層喜んだ
☆頼朝からのラブレター政子は大層喜んだ
*頼朝も、自分の味方になってくれれば相手は誰でもいい
*「政子でいいか」と結婚することを決めた
☆父親の北条時政は、最初この婚姻には反対した
☆父親の北条時政は、最初この婚姻には反対した
*婚姻は、頼朝を 手伝うことで謀反を疑われてもおかしくない
☆政子は「頼朝さまと結婚したい」と言って譲らない
*娘の惚れ込みぶりをみて、時政のほうも次第に態度を軟化させる
*博打の気持ちが高まり、最終的には政子と頼朝の結婚を承諾した
*博打の気持ちが高まり、最終的には政子と頼朝の結婚を承諾した
⛳頼朝が政子を大切にして、引き出した関東武士の忠誠心
☆北条家は小さい家「この家と縁を結びたい」武士も少なかった
☆北条家は小さい家「この家と縁を結びたい」武士も少なかった
*政子に来る縁談自体も少なかった
*政子は当時の尺度では美人ではなかった
*政子は当時の尺度では美人ではなかった
*20代まで結婚しなかった理由、外見だろう思われる
☆頼朝からしてみれば、不美人でも構わない
☆頼朝からしてみれば、不美人でも構わない
*孤立無援の中で自分を認めてくれる女性・政子に深い愛情を抱いた
☆頼朝にしてみれば、政子と結婚できたことは
*「関東武士」への大きなアピールにもなった
☆頼朝は京都生まれの京都育ち
*清和源氏の血筋で由緒正しい家柄の人間で京都へ帰ってもよかった
*頼朝がそんな選択肢を捨てて、関東の武士たちとの生活を選び
*北条政子という関東武士の娘の典型のような女性と共にいる
☆関東の武士たちからすれば
*「頼朝さまは俺たちとずっと一緒にいてくれるんだな」という
*「頼朝さまは俺たちとずっと一緒にいてくれるんだな」という
*忠誠心を引き起こすのに十分な効果があった
(敬称略)
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⛳出典、『愛憎の日本史』