慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「小山田圭吾」「ロッキング・オンJ」「いじめ紀行」

2024年02月23日 | 社会
🌸小山田圭吾炎上事件(1)

 ☆東京2020オリンピック・パラリンピック開会式
 *作曲担当として参加していたミュージシャンの小山田圭吾
 *学校時代のいじめ行為や、障害者への心ない発言を
 *過去の雑誌インタビューで語っていたことを明らかにし
 *自身の謝罪文をツイッター掲載した
 ☆大会組織委員会も謝罪を受け入れたが
 *SNSで非難が殺到したことに加え
 *障害者団体から批判的な声明が出され辞任を申しでた
 *開会式の楽曲も新たなものに差し替えられた
 ☆公職など社会的に重要な役職に就く者に対して
 *その言動が倫理・道徳に反しているという理由で
 *辞職を求める運動は、欧米で「キャンセルカルチャー」と呼ばれている
 ☆一般の日本人もこの潮流が到来したことを目の当たりにした

プロモーションのためのインタビユー
 ☆小山田圭吾はバブル絶頂期にメジャーデビューした
 *人気絶頂だった時期、突然解散しソロアーティストとして活動する
 ☆日本のロック・ポップスに特化した音楽雑誌として創刊以来
 *アーティストのロングインタビューを売りにしていた
 ☆1994年1月号の特集は「血と汗と涙のコーネリアスー」と題され
 *アルバムの発売を控えた小山田を大々的に取り上げている
 ☆巧みな情報操作でスマートに泳ぐ小山田
 *ついに掟破りの2大タブー企画を強行
 ①デビューまでの生い立ちを全て告白
 ②今まで見せた事のないレコーディング現場に潜入
 *撮影、インタヴュー、リニューアル記念やり過ぎ巻頭特集、独走
 ☆27年を経て大きな社会問題となったインタビュー記事
 *ミュージシャン小山田圭吾を売り出すためのプロモーションだった
 *『ロッキング・オンJ』の記事に大きな問題があることがわかった
 ☆小山田は先の謝罪文で述べている
 *記事の内容は、発売前の原稿確認ができなかったこともあり
 *事実と異なる内容も多く記載されていると
 *小山田へのインタビューにより、
 *これが『ロッキング・オンJ』を指していることが明らかになった
 ☆批判の対象となったもうひとつの雑誌記事である
 *「いじめ紀行第1回グスト小山田圭吾の巻」を先に検討する

いじめはエンタテインメント
 ☆「いじめ紀行」
 *いじめた側の人がその後どんな大人になったか
 *いじめられた側の人がどうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか 
 *テーマに連載し、単行本にまとめる予定だった
 *この企画の背景にあったのは、相次ぐいじめ自殺だ
 ☆クラスで追悼の儀式(葬式ごっこ)をすることにして
 *「さようなら 2Aとその他一同より」と書いた色紙を机に置き
 *生徒らがコメントを書いた
 *担任の教師のほか英語、音楽、理科の教師もこれに参加し
 *「かなしいよ」「やすらかに」などと記したことも大きく報じられた
 ☆ミニコモ編集者で後太田出版入社の村上清は
 *自身がいじめられた体験にも触れながら述べている
 *いじめスプラッター(飛び散る)には
 *イージーなヒューマニズムをぶっ飛ばすポジティヴさを感じる
 *小学校の時にコンパスの尖った方で背中を刺されたのも
 *今となってはいいエンターテイメントだ
 *どうせいじめはなくならないんだし
 ☆去年新聞やテレビでは、 いじめ連鎖自殺が何度も報道されていた
 *「コメンテーター」とか「キャスター」とか呼ばれる人達が
 *「頑張って下さい」とか「死ぬのだけはやめろ」とか
 *無責任な言葉を垂れ流して、嘘臭くて吐き気がした
 ☆村上の意図はいじめを肯定することではなく
 *「マスメディアのされいごとのヒューマニズム」への反発から
 * いじめについて、これまでにない視点で論じることだった
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界はなぜ地獄になるのか』





「小山田圭吾」「ロッキング・オンJ」「いじめ紀行」
(ネットより画像引用)
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「立花誾千代」「立花宗茂」「菊池家=松田聖子」

2024年02月23日 | 歴史
🌸戦国時代の英雄と剛毅な妻たち4

立花誾千代は、歴史学者の間でも異論ない正当な女城主
 ☆武勇で知られる立花道雪の悩みは跡継ぎがいないこと
 *彼は自分の娘立花誾千代(ぎんちよ)に城を継がせようと決めた
 ☆当時、女性に城を譲ることはありません
 *女城主・井伊直虎はあくまでフィクション
 *吉岡妙林尼は、鶴崎城の女城主と言えるが
 (息子が臼杵に行っている間に城主代理を務めたに過ぎない)
 *妙林のような実質的な城主はたくさんいます
 *北政所といわれる通称・おねもそうです
 (長浜城自体は、おねが全てを取り仕切って政治を行っていた)
 (しかし、彼女は女城主とは言えません)
 ☆文書の上で、「この人は女城主だった」のは立花誾千代一人だけ
 *彼女は父親から立花城を受け取った際
 *立花家に伝わる様々な宝物も譲られています
 *父からの財産を全部譲られた、確固たる女城主だった

立花誾千代の夫は、戦国大名の立花宗茂
 ☆立花家に養子で、誾千代の婿として迎え入れられた立花宗茂
 ☆立花宗茂は、「戦国時代で一番強い武将だった」
 ☆宗茂が立花家に養子に入った際
 *道雪が行ったスパルタ教育はとんでもないものだった
 *彼の勇敢さを高めようとした教育を徹底的にした
 *今なら虐待で通報されてもおかしくない所業の数々
 *そんな環境の中で道雪は少年・宗茂を育てていく
 ☆その後、宗茂が誾千代の夫になった様子を見届け、道雪は亡くなる
 ☆父の肝入りで結ばれた二人
 *その夫婦仲はなんとも難しいものでした
 *勇敢な武将・道雪の娘であった彼女も相当気が強かったらしく
 *ことあるごとに夫婦は対立し、うまくいかなかったようです

別居状態だった宗茂と誾千代
 ☆島津に攻められた大友宗麟が秀吉に助けを求め
 *秀吉が島津を征伐するために大軍で九州へと押し寄せてた
 *立花宗茂は立花山城を島津の軍勢から見事に守り切った
 ☆彼の雄姿を見た秀吉が「大友の家来をやめて俺の家来になれ」と
 *ヘツドハンテイングした
 ☆秀吉の家来になった宗茂は柳川に12万石を与えられ、城主になる
 ☆誾千代は、夫が柳川の城主になったことが気に入りません
 *お父さんから大友にしっかり仕えろと言われたのに
 *勝手に大名になってしまうのか
 *私が父から受け継いだ大事な立花山城も捨ててしまうなんてと怒った
 ☆誾千代柳川城には入らず、柳川城のすぐそばに家を建てて
 *宗茂とは別居するようになる
 ☆立花宗茂は、秀吉の部下で、朝鮮出兵に参加し、高い功績を上げた
 ☆彼の人生を変えたのが「関ケ原の戦い」
 *宗茂は、関ケ原の戦いでは豊臣率いる西軍に味方
 *戦に負けた後、家康に領地もお城もすべて没収されてしまう
 *浪人になった宗茂は、大坂周辺で暮らすことにした
 ☆彼の人生が変化したのは、徳川二代目将軍の秀忠との出会い
 *秀忠は戦などの武勇伝が大好きな人物だった
 *勇猛さで名を馳せた宗茂は彼の大のお気に入りになる
 *少しずつ領地をもらうことになり
 *自分が城主だった柳川の城を取り戻すことができた
 ☆関ケ原の合戦で城や領地を取られてしまった武将たちの中で
 *宗茂は唯一かつての自分の領地を取り戻した戦国武将になった
 ☆誾千代は浪人になった宗茂とは行動を共にせず
 *柳川のすぐ隣の熊本県にいる加藤清正に面倒を見てもらいながら
 *腹赤村という場所で生活を送っていた
 *誾千代は不遇のうちに亡くなってしまう
 ☆柳川の城に戻った後、彼は妻の誾千代の墓を建てた
 *柳川に建てられたお墓は非常に立派なもの
 *墓がある寺は、柳川のある筑後の国では最も格式の高い寺です
 *蒲池家の一族が、その寺を治める僧侶です
 *菊池家からは、松田聖子さんやZARDの坂井泉水さんなど
 *日本を代表するアーティストが生まれている
                       (敬称略)
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⛳出典、『愛憎の日本史』





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「天一坊事件」「御落胤」「吉宗の女好き」

2024年02月23日 | 歴史
🌸将軍の子供を自称した天一坊改行

天一坊、徳川吉宗の隠し子でなかった
 ☆第8代将軍の徳川吉宗の世を舞台にした「天一坊事件」
 *天一坊と名乗る若者が手下を引き連れて江戸城下に現れる
 *彼は、自分こそが吉宗の御落胤であると証拠の短刀をちらつかせた
 *将軍に面会を求めた
 *吉宗のほうでもその短刀には見覚えがあった
 *紀州で暮らしていた時代、愛人に短刀を渡したことがあった
 *すべて事実なら、次期将軍候補にその名前があがるかもしれない
 *将軍家を揺るがす大スキャンダルに江戸中は騒然となった
 ☆吉宗の右腕として江戸の治安を守った町奉行の大岡忠相
 *彼は密かに調べを続け、吉宗が天一坊と面会を果す直前
 *天一坊がまったくの偽者であることを見抜いた
 *天ー坊一味は御用となり、詐欺事件は名奉行大岡の活躍で防がれた

将軍吉宗には身に覚えがあった
 ☆幕府にある訴えが寄せられた
 ☆源氏坊改行と称する山伏
 *自分は将軍家の血筋の者で大名に取り立てられると触れ回っている
 *彼に金品を差し出す者もいる
 *その周辺には不穏な空気が漂っているというのだ
 ☆調査にあたったのは大岡忠相ではなく関東郡代
 *吉宗は若い頃から女性関係の噂が絶えなかった
 *改行が将軍の隠し子である可能性否定できなかった

天一坊刑場で獄門刑を受ける
 ☆半年あまりの調査の末、関東郡代は改行一味を捕えた
 *彼は「由緒ある血筋」であると聞かされてきたことを白状した

 *彼が吉宗の子であることを示す証拠は何ひとつ見つからなかった
 ☆彼は、大名になったあかつきにはそれなりの役職に就かせると
 *人々をだまして甘い汁を吸つていた
 ☆天ー坊は、江戸三大刑場鈴ヶ森刑場において獄門刑に処せられた
 *この処分には幕府のある思惑が見え隠れしている

 *吉宗の過去の女性問題を考えると
 *このような御落胤話が持ち上がらないとも限らない
 ☆この改行の事件について聞かれた吉宗
 *心当たりがある旨をほのめかしたというのだ
 ☆府の狙いはうまくいったようだ
 *改行の処刑のあとは、御落胤の訴え途絶えてしまった
                       (敬称略)
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⛳出典、『日本史の黒幕』



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My English practical training23FEB

2024年02月23日 | 英語練習
🌸My English practical training

I would like to make an effort
and continue listening English this year.

⛳5分間英語:旅行「岩手県チャンバラ&染物」

⛳今日のセンテン7
*outdated(jidaiokure)
*let go of (tebanasu)
*same here
*They cheered a lot for us.
*ruins
*bunce off the wall(kabekarahaneru)
*bring us closer together(watakusitachiotigazuketekudasai)

⛳Cram school (review)
*Nothing special

⛳Cram school(Diary+ home work)
Nothing special

★I am inspired by the Chinese.
★I will write a blog for my own study every day
 in English.
★There are many uncorrected sentences and mistakes.
 Please forgive me.
★I think there is an unknown point in description
 because I have no knowledge.
★If you wont to know details, please check
 the source of articles, programs and images.
★Source: 『中学生基礎英語2』他
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