慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

小山田は、公職を受けなければ良かった

2024年02月26日 | 社会
🌸小山田圭吾炎上事件(4

「障害」言葉が消えた理由
 ☆『ロッキング・オンJ』小山田のいじめを武勇伝のように掲載した
 *小山田を「オシャレ系」から救い出し
 *いじめっ子ぶっていても所詮は「ヒ弱」な、才能を持った
 *やさぐれものというアーティスト・イメージ」をつくりあげた
 ☆小山田が小学・中学時代にいじめたとする沢田や村田
 *ともに重い発達障害・学習障害があった
 ☆『ロッキング・オンJ』のインタビュー
 *「障害」についての説明が完全に抜け落ちている
 *これはおそらく意図的なもので「障害者をいじめていた」は
 *許容されないと思ったからだ
 ☆結果、ごくふつうの学校で、級友を全裸にして
 *オナニー、犬のウンコを喰わせたとの印象を与えた
 *それが広く知られ「キャンセル」の嵐にさらされた
 ☆『ロッキング・オンJ』のインタビュアーの姿勢、編集長の判断
 *いじめという問題の倫理観や真摯さに欠けていた、間違った行為だ
 *小山田さんの回のみが後々まで前面化する形になったことも
 *取材・執筆者・編集長の未熟さの証だ

⛳小山田圭吾の「キャンセル騒動」
 ☆日本中に憤激の嵐を引き起こした
 *小山田の発言を追っていくとそれはいじめというより
 *一般生徒と障害のある子どもが混在する非日常生活について語られたも
 ☆小山田はキャンセルカルチャの「被害者」なのか
 ☆そうとも言えないのは現在ら「リベラル」の価値観に照らせば
 *小山田の発言のなかに、受け入れがたいものがある
 ☆「全国手をつなぐ育成会連合会」は、批判のコメントをしている
 (知的障害者の権利擁護と政策提言を行なっている団体)
 *「小山田圭吾氏に関する一連の報道に対する声明」として
 *学生時代に行き過ぎた言動に走ってしまうことがあったとしても
 *そのことを、成入して著名なミュージシャンとなった後に
 *わざわざ高名な音楽雑誌のインタビューで
 *面白おかしく公表する必要性はなかったはず
 *極めて露悪的と言わぎるを得ない
 ☆当事者団体からこのようにいわれた以上
 *小山田がパラリンピックにかかわるのは不可能な状態だった
 
小山田圭吾は、どうすればよかったのか
 ☆小山田は『週刊文春』のインタビューで述べている
 *「長年、 この件が重くのしかかっていました」としながらも
 *なぜ釈明や謝罪をしなかったのかと問われ、
 *「その時々で話題になっていることは知って¥ていました」と答え
 *どのように対応すれば良いか分からなかったと答えている
 *正直、自分から取り上げることで、話が大きくなってしまう恐怖もあり
 *なかなか一歩を踏み出すことが出来ませんでしたとも
 ☆小山田が困惑した理由は、この件が記者会見して
 *頭を下げればいいというような、単純なものではないから
 ①『ロッキング・オンJ』の記事に事実と異なることが書かれているなら
 *なにが事実(ファクト)であるかを確定しなければならない
 *これは必然的に、編集部との対立を引き起こす
 ➁ロッキング・オン・ジャパンは、日本の音楽業界に強い影響力をもつ
 *一人のミュージシャンとしては、過去のインタビューについて
 *そのような組織と「言った言わない」の泥仕合には躊躇するのは当然だ
 *取材当時の録音テープがないかぎり、小山田が話を「盛った」のか
 *編集部が面白おかしく話をつくったのかを確認する方途はない
 ☆小山田には、過去のインタビューを蒸し返すことで
 *これまで築き上げてきたミュージシャンとしての評判や地位
 *傷つけたくないという思いがあったはずだ
 ☆「キャンセル騒動」は、長い目で見れば
 *小山田にとってよい面もあったのではないか
 *自身の「政治的に正しくない過去」について謝罪することができた
 ☆小山田はどうすればよかったのか
 *このような複雑なケースでは、炎上してから謝罪しても手遅れで
 *それ以前に謝罪してもやはり炎上し、手のつけられない事態になる
 *キャンセルの対象になるような公的な仕事を受けなければ
 *ネットの一部でくすぶり続けるだろうが
 *ほとんどのひとは知らないままだった
 *これまで通り音楽活動を続けられたはずだ
 
キャンセルカルチャーの特徴
 ☆キャンセルされるような地位についた者
 *攻撃の対象になる一方で、同じことをしていても
 *キャンセルできる地位になければ無視される
 ☆小山田への過剰なバッシングに疑問を呈する声もあった
 *「いじめをした者は未来永劫許されないのか」
 *「法治国家で、法に基づかずに個人を晒し者にすることが許されるのか」等
 *「許されるいじめ」と「許されないいじめ」等を
 *誰がどのような基準で決めるのだろうか
 ☆小山田は自分の過去に傷があることを知っていたのだから
 *パラリンピックに関わる資格がないことを伝えて
 *辞退すればよかったのだ
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界はなぜ地獄になるのか』
 
 
小山田は、公職を受けなければ良かった
(ネットより画像引用)
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「阿茶局」「お梶の方」「お梅の方」

2024年02月26日 | 歴史
🌸「三英傑」の知られざる女性観7
 
『要旨』
 ☆家康が愛した女性は、有能な女性が多かった
 *家康の側室阿茶局という女性も、非常に優秀だった
 *淀殿たちと交渉する和平交渉の場に出ていったのも、阿茶局
 *三男の秀忠と四男の忠吉という息子たちの育ての母です
 ☆後年になって出現した、家康の少女好み
 *大田道灌の血筋に当たる英勝院、通称・お梶の方
 ☆部下に下賜された、お梅の方とお梶の方
 
 
                          (お梅の方)
「阿茶局」「お梶の方」「お梅の方」
(ネットより画像引用)

家康が愛した女性は、有能な女性が多かった
 ☆家康の側室阿茶局という女性も、非常に優秀だった
 ☆阿茶局は、未亡人で武田の家臣飯田直政の娘
 *今川氏の家臣と結婚しますが、夫が亡くなり、後に家康の側室になる
 *珍しく家康の計算が外れ、彼女との間には子どもは作つていませんが
 *優秀な人だったようで、家康は彼女をずつとそばに置いていた
 *女性に関する徳川家の奥向きの話、全部彼女に統括させていた
 *後の江戸幕府に生まれる大奥の元締めのような立場だった
 *家康は戦争に行くときにも、彼女を伴っている
 *淀殿たちと交渉する和平交渉の場に出ていったのも、阿茶局
 *三男の秀忠と四男の忠吉という息子たちの育ての母です
 *彼ら兄弟を産んだ西郷局は、出産後すぐに死んでしまった
 *阿茶局がこの兄弟を引き取り育てた

⛳後年になって出現した、家康の少女好み
  ☆若い頃は熟女、賢くて子どもがいる熟女が好きだった家康
 *後年になる十代の少女を愛するロリコン傾向
 *家康は次第に若い女性を寵愛するようになった
 ☆家康が36歳の年の差恋愛をしたのが
 *江戸城を作った大田道灌の血筋に当たる英勝院、通称・お梶の方
 *彼女も、若い頃から家康の寵愛を得たことで知られている
 *二人の出会いは、彼女が13歳、当時の家康は49歳
 *お梶の方は才気あふれる女性だった
 *家康は気に入っており、彼女もまた関ケ原の戦いにも同行した
 ☆彼女は家康との間に一人の女の子を産む
 *その子は生まれてすぐに亡くなり、可哀そうに思った家康
 *自分の末っ子である徳川頼房を彼女の養子にする
 ☆頼房は、水戸黄門で知られる水戸光國の父
 *水戸の殿様になるような子どもを養子にしたことで
 *お梶の方は家康の死後もずっと幕府で重用された
 ☆彼女は鎌倉に英勝院というお寺を建てた
 *このお寺は、水戸家のお姫様が尼になる際
 *格式の高い寺として位置付けられている
 *いまも尼寺として生き続けています

部下に下賜された、お梅の方とお梶の方

 ☆家康は、自分の2人の女性たちを部下に下賜した
 *お梅の方は、若手大名の本多正純へと嫁入りさせた
 *お梶の方は、徳川幕府の財政を担っていた松平正綱の妻にした
 ☆中国では君主が自分の籠愛する女性褒美として家臣に下賜した

 *家康はこの真似をした
 ☆日本でも、君主が女性を家臣に下賜することはたまにある

 ☆平清盛が白河上皇のご落胤だという噂が生まれたのは

 *祗園の女御という自分の愛した女性を上皇が、清盛の父・平忠盛に

 *プレゼントしたという逸話から生まれた
 ☆家臣に下賜されたお梅の方とお梶の方
 *お梅の方は、家康に言われるがままに本多正純に嫁ぎ

 *彼の妻としてひそやかに生涯を終えた

 *お梶の方は、 一度は松平正綱と結婚したものの

 *その後、夫を捨て、家康の元へと帰ってきた
 ☆結婚当時、本多正純の石高は三万石ほどで、松平正綱は二万五千石ほど

 *日本全国を手中に収める家康のほうが

 *お梶の方には惹かれるものがあったのかもしれません

                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『愛憎の日本史』
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「芹沢鴨」「力士乱闘事件」「大和屋襲撃」

2024年02月26日 | 歴史
🌸新選組の暴れん坊、芹沢鴨
 
芹沢鴨、仲間に暗殺される
 ☆新選組の局長は、発足当初近藤勇他2人の局長が存在していた
 *芹沢鴨と彼の腹心だった新見錦
 *筆頭局長芹沢は、新選組の誕生になくてはならない存在だった
 *彼らは清河八郎が集めた「浪士隊」という集団の隊士だった
 *名目上は上洛する将軍・徳川家茂の警護を目的としていた
 *清河の真の狙いは尊王攘夷にあった
 ☆彼らが会津藩の預かりになれたのは、
藩内に芹沢の兄がいたから
 ☆新見と芹沢は相次いでこの世を去っている
 *近藤たちに粛清された
 ☆新選組には「局中法度」と呼ばれる厳しい規則がある
 *少しでも規律からはずれるとすぐさま切腹させられた
 *粛清された者は40名以上
 ☆芹沢の場合は切腹ではなく暗殺だった
 *会津藩から密かに芹沢暗殺の命令が下っていた
 ☆芹沢は、近藤も会津藩も手に負えないほど悪行の限りを尽くした
 *悪の主役というべき人物だった

⛳芹沢、力士を相手に大暴れ
 ☆芹沢は背が高く、神道無念流という剣術の使い手だった
 *気に入らないことがあれば即座に実力行使に出る
 *粗暴な性格のため、何度となく騒ぎを起こしていた
 ☆水戸天狗党に参加していた頃には
 *資金が集まらないというだけで部下を3人も斬り殺した
 ☆新選組に加わってからも
 *上洛途上で宿の部屋割りが気にくわないと騒ぎを起こし
 *近藤が土下座して謝る場面もあった
 ☆彼が引き起こした数々の事件の中でも
 *大坂力士乱闘事件は有名だ
 ☆芹沢らは、もめ事で力士を蹴散らしたた
 ☆力士が仲間30人を連れて報復にやってきた
 *両者入り乱れての大乱闘が始まった
 *芹沢は、棒切れしか持たない
力士3人を斬り捨てた
 
芹沢鴨、死後も新選組に影響を与える
 ☆芹沢の暴挙が頂点に達したのが、大和屋襲撃事件
 *豪商大和屋に軍資金の依頼に行ったところ、断られる
 *激怒した芹沢は隊が所有していた大砲を持ち出して
 *大和屋を砲撃し、店を焼き払ってしまった
 *この一件が、芹沢自身の首を絞めることになった
 ☆彼の暴走をこれ以上放つてはおけないと判断した会津藩
 *近藤らに芹沢を抹殺する指令を下した
 *芹沢は仲間に惨殺されるという最期を迎える
 ☆彼の死によって新選組の結束は近藤を中心とし強固なものになる
 *幕末最強の剣客集団として京の街を震え上がらせていく
 ☆芹沢が暗殺された場所は長崎の島原だった
 *宴会で酒を飲み、そのあと愛人とともに床にいたところに
 *隊士が乱入して惨殺されている
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の黒幕』
 
「芹沢鴨」「力士乱闘事件」「大和屋襲撃」
『日本史の黒幕』記事より画像引用)
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My English practical training26FEB

2024年02月26日 | 英語練習
🌸My English practical training

I would like to make an effort
and continue listening English this year.

⛳5分間英語:旅行「和歌山県梅干し」

⛳今日のセンテン4
*Please Forgive me
*bunce off the wall(hanekaeru)
*My favorite moment was getting my best--.
*last years
 
⛳Cram school (review)
*Nothing special
 
⛳Cram school(Diary+ home work)
Nothing special
 
★I am inspired by the Chinese.
★I will write a blog for my own study every day
 in English.
★There are many uncorrected sentences and mistakes.
 Please forgive me.
★I think there is an unknown point in description
 because I have no knowledge.
★If you wont to know details, please check
 the source of articles, programs and images.
★Source: 『中学生基礎英語2』他
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