🌸「三英傑」の知られざる女性観2
⛳信長の長男、次男、三男を生んだ母親はだれなのか
☆信長は子沢山で、20人近くの子どもがいた
*彼らを産んだ母親は誰か、確固たる史料はない
*跡取り息子である信忠の母親も誰だか不明
*跡取り息子である信忠の母親も誰だか不明
☆次男の信雄の母は、生駒吉乃と女性と言われている
*彼女は尾張生駒家の女性で、信長の本妻との説もある
*彼女は尾張生駒家の女性で、信長の本妻との説もある
*彼女が本妻だと思われるのは
*次男の信雄と三男の信孝の序列
*三男信孝は次男の信雄よりも20日ほど先に生まれたが
*三男信孝は次男の信雄よりも20日ほど先に生まれたが
*母親の身分が低かったので、信雄が兄として扱われたとの説がある
☆生駒家はさほど立派な家ではない
☆生駒家はさほど立派な家ではない
*重視されたのは、母親の家の格ではなくて
*彼女が信長の正妻扱いされていたからだ
*吉乃が信孝の生母よりも上に置かれた
⛳史料から読み解く、信長の女性関係
☆信長の女性関係に言及している史料は『信長公記』
☆『信長公記』には、信長の妻についてはまったく書かれていない
☆「信長公記』が当てにならない以上
*キリスト教の宣教師たちが書いた史料しかない
☆信長に妻が複数いたのは間違いない
☆信長に妻が複数いたのは間違いない
*信長の愛を独占したような女性がいたのか不明
☆歴史研究者としては歯がゆい限りです
⛳信長は、女性に対する愛情が薄い人間だった
☆史料の少なさを見ると
☆史料の少なさを見ると
*信長は、日頃から妻をいたわったり
*妻を愛したりする人物ではなかったのでは
*信長は、女性を子どもを作る道具のように扱っていたのでは
☆信長、秀吉、家康の三人の天下人を見ても
☆信長、秀吉、家康の三人の天下人を見ても
* 女性たちのサポートなどを必要としないのは信長だった
*秀吉は女性がいないとダメだ
*家康も女性との恋愛話は多々残っている
*信長には一切それがない
☆信長の部下に対する扱い「使い捨て」が基本
☆信長の部下に対する扱い「使い捨て」が基本
*その感覚は妻にも通じるところがあったのかもしれない
*信長は多くの妻を要ったかもしれませんが
*信長は多くの妻を要ったかもしれませんが
*彼女たちの人格をきちんと認めていなかった
☆信長は、自分の妹であるお市の方に対しても
*夫の浅井長政を減ぼした上
*彼女が産んだとされる長政の男の子も殺している
☆信長が、北政所にしたためた優しい手紙にしても
☆信長が、北政所にしたためた優しい手紙にしても
*他人の妻には優しくとも、自分の妻には優しくしない人物だったのでは
(敬称略)
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⛳出典、『愛憎の日本史』
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「信長の子ども」「生駒吉乃」「信長と女性」
(ネットより画像引用)