慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「吉岡妙林尼」「立花誾千代」「耳川の戦い」

2024年02月13日 | 歴史
🌸戦国時代の英雄と剛毅な妻たち3

『要旨』
 ☆戦国時代、九州で名前を馳せたキリシタン大名大友宗麟
 *宗麟は、豊後国を中心に、九州九カ国の内六カ国にまで影響力があった
 *大友宗麟の離婚騒動、妻は八幡奈多宮大宮司の家系の娘
 ☆島津の侵攻から城を守った女性・妙林
 *「耳川の戦い」で、大友宗麟が薩摩の島津家に敗れた
 *この戦い以降、九州の覇権は大友の時代から島津の時代へと移る
 *島津家は大軍を率いて、大友の本拠地豊後国に攻撃をかけてきた
 *見事にこの城を守り抜いたのが吉岡妙林尼という女性
 *島津軍三千人が攻めてきたとき、妙林は鉢巻きをしめて戦う
 *妙林は女性ながら城をも守った人物として、大分では非常に有名
 ☆日本唯一の女性城主・立花闇千代
 *大友家の重臣の一人であった立花道雪の娘・闇千代

 *父、立花道雪は、武勇伝が残る程の名将





                        (立花誾千代女城主)

「吉岡妙林尼」「立花誾千代」「耳川の戦い」
 (ネットより画像引用)

大友宗麟を、パエリアを日本で最初に食べたキリシタン大名
 ☆戦国時代の九州で名前を馳せた大名は大友宗麟
 *宗麟は、豊後国を中心に、九州九カ国の内六カ国にまで影響力があった
 *有力大名、キリシタン大名としても有名
 *日本で最初にパエリアを食べた人
 ☆大友宗麟の離婚騒動
 *宗麟は、八幡奈多宮大宮司の家系の娘と結婚しました
 *妻は、夫・宗麟がキリスト教に傾倒を快くは思わなかった
 *双方、早く離婚したいと思っていたでしょうが
 *宗麟が信奉するキリスト教カソリックは離婚を認めません
 *その後、自殺騒動等で、離婚が成立したとのエピソードもある
 ☆宗麟はキリスト教との縁も深く、多くの南蛮船が豊後府中にやってきた
 *宗麟の得ていた利益は、膨大なものだった

 *南蛮との交易の中では、鉄砲などの武器も直接買い付けできた
 *経済的な利益を潤沢に得ていた
 *軍事的な謀略や政治的手腕がなくても
 *大友宗麟、いろんな形で他の大名を圧倒する力を持っていた

島津の侵攻から城を守った女性・妙林
 ☆大友による九州支配のパワーバランスが、 一変する出来事
 *「耳川の戦い」大友宗麟が薩摩の島津家を相手に戦った争い
 *耳川周辺で、大友は大敗、重臣たちがみんな討ち死にした
 ☆絶対的な九州の王者だと思われていた大友家の敗北
 *この戦い以降、九州の覇権は大友の時代から島津の時代へと移る
 ☆耳川の戦いから8年後
 ☆島津家は大軍を率いて、大友の本拠地豊後国に攻撃をかけた
 *見事にこの城を守り抜いたのが吉岡妙林尼という女性
 *島津軍三千人が攻めてきたとき、妙林は鉢巻きをしめて戦う
 *長引く戦いにお互いが疲弊する中、
 *彼女は「私は殺されても仕方がない、城の兵たちを助けてくれ」と
 *島津軍と和睦し和睦を結んだ両者は、盃を酌み交わす
 ☆豊臣秀吉の島津攻めで、大軍で九州へ押し寄せるという話が入る
 ☆それを聞きつけた妙林は、 一計を案じた
 *和睦の印にと言い含め、島津たちにしこたま酒を飲ませた
 *妙林はほろ酔い状態の島津軍を乙津川で待ち伏せし、奇襲をかけた
 *島津軍は妙林とは和睦を結べたと思い込んでいたわけなので
 *攻撃され、大きな打撃を受けた
 ☆妙林は女性ながら城をも守った人物として、大分では非常に有名
 *お土産物など様々なキャラクターにもなっている

日本唯一の女性城主・立花誾千代(ぎんちよ)
 ☆大友家の重臣の一人であった立花道雪の娘・誾千代
 *彼女は日本で唯一の女性城主として知られた人物
 ☆父、立花道雪は、武勇伝が残る程の名将
 *大友を支えるすばらしい働きをしたため、北九州を任されていた
 *博多は非常に大切な貿易拠点で、博多を守る城
 *立花道雪が治めていた立花山城だった
 ☆島津と大友が戦った耳川の戦いの時にも
 *立花道雪には博多を押さえる大事な役目があり参加していません
 *もしも彼がいたら耳川の戦いで大友が負けることはなかった
 ☆耳川の戦い以降、大友の勢力は下り坂になっていくが
 *道雪は主である大友宗麟を一生懸命支え続けた
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『愛憎の日本史』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半導体関連株式

2024年02月13日 | 
🌸半導体関連の投資信託・ETF

 ☆日本半導体関連株式、急成長の企業多いためなのか単元株が高い
 ☆米国株の場合は、単元株1株なのであまり問題は無いが
 ☆3回ブログ記載し、半導体の内容、メーカー仕事内容学びました
 ☆実践で活用したいと考えています
 ☆日本のETF信託報酬高い、年0.649%(米国の10倍)
 *S&P500 米国株 ETFの信託報酬年0.077%(シエアーズ)

⛳個別株式以外に半導体銘柄に投資する方法

⛳個別株式以外に米国の半導体銘柄に投資する米国ETF
 (基本的に購入者はドルでの決裁となる)



⛳個別株式以外に米国の半導体銘柄に投資出来る国内ETF
 (海外関連のメーカー中心)



⛳個別株式以外に国内の半導体銘柄に投資出来る国内ETF
 (日本関連がメーカー中心)


⛳まとめ(投資方法)

⛳参考(2243)



                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、YouTube「たくみ株式投資術」より記事画像引用
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「吉良上野介=最悪のヒール」「赤穂浪士=武士の鑑」

2024年02月13日 | 歴史
🌸吉良上野介(江戸時代中期)パワハラ

『要旨』
 ☆内匠頭は切腹すら覚悟のうえで上野介を討とうとした
 *事件の背景には上野介のたび重なる陰湿なイジメが隠されていた
 ☆上野介は、ウソをついて相手の仕事を妨げた
 *芝増上寺の畳替えにまつわるウソ、誤った接待料理の内容を教える等
 ☆吉良上野介、家に押し入られ殺害される
 *吉良上野介は、江戸時代最悪のヒールとして今も君臨している


「吉良上野介=最悪のヒール」「赤穂浪士=武士の鑑」
 (『日本史の黒幕』記事より画像引用)

斬りかかられるほど浅野を追い詰めた吉良上野介
 ☆赤穂藩主浅野内匠頭、突如吉良上野介に小刀で斬りかかった
 *その場に居合わせた者が内匠頭を後ろから取り押さえた
 *上野介が慌てふためいて逃げ出し騒ぎはとりあえず収束する
 ☆この一件を耳にした将軍綱吉が激怒した
 *内匠頭、その日のうちに切腹、御家断絶という厳しい処罰がされた
 *上野介には、なんのおとがめもなかった
 *なんとも上野介びいきの裁定だ
 ☆内匠頭は切腹すら覚悟のうえで上野介を討とうとしたのか
 *事件の背景には上野介のたび重なる陰湿なイジメが隠されていた

上野介は、ウソをついて相手の仕事を妨げた
 ☆吉良家は代々、幕府と朝廷との間の典礼をつかさどる高家の役職
 *礼法の指南役で、使者を接待する役目を任じられた
 *内匠頭を指導する立場にあった
 *上野介には、どのような名家も媚びて指南料として
 *賄賂を渡して教えを受けていた
 *潔癖な内匠頭はこれを拒否した
 ☆立腹した上野介が、内匠頭にさまざまな嫌がらせをした
 ☆芝増上寺の畳替えにまつわるウソ
 *浅野家が畳替えをすべきかどうかを上野介に質問したところ
 *「そこまでしなくてもいい」という答えが返ってきた
 *前日の夜になってじつは畳替えが必要だということが判明した
 *焦った浅野家の家臣たちは、畳を徹夜で新しいものに取り替えた
 ☆誤った接待料理の内容を教える等
 *事件当日も儀式で身につける式服の種類を偽って教える
 ☆何度も恥をかかされた内匠頭が怒りを募らせていった

卑怯なやりかたで、上野介は恨みを買う
 ☆上野介の言い分は疑わしく、自分も手傷を負ったとはいえ
 *相手をまんまと切腹に追いやったのだから
 *上野介は内心ほくそ笑んでいたかもしれない
 ☆こうした上野介のやりかたが赤穂浪十の討ち入りを引き起こした

吉良上野介、家に押し入られ殺害される
 ☆自分は非もないとシラを切りとうした上野介
 *最期のときが追っていた
 ☆松の廊下の刃傷事件から約2年後
 *赤穂藩の筆頭家老だった大石内蔵助率いる47人の赤穂浪士
 *本所吉良邸に討ち人った
 ☆その日、吉良邸では盛大な茶会が催されていた
 *夜になると人々は酒に酔ってすっかり寝静まっていた
 *吉良家の家臣は次々と斬られ
 *炭小屋に隠れていた上野介も見つけられる討ち取られた
 ☆上野介の首は高輪・泉岳寺にある内匠頭の基前に捧げられ
 *その後、吉良家は御家断絶の憂き目をみることになる
 ☆世間からは武士の鑑と賞賛された赤穂浪士
 *討ち入りから50年近く経って赤穂事件をモデルにした
 *人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が上演されると絶大な人気をし
 *現代に至ってもその勇姿は人々に語り継がれている
 ☆吉良上野介は江戸時代最悪のヒールとして今も君臨している
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の黒幕』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする