慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「甲相駿三国同盟」「嶺松院殿」「早川殿」

2024年02月25日 | 歴史
🌸戦国時代の英雄と剛毅な妻たち5
 
⛳武田・北条・今川の同盟の背後にいた女性たち
 ☆戦国時代には、婚姻を通じて、協定を結び
 *家同士の均衡を保つという試みがなされた
 ☆和平協定「甲相駿三国同盟」
 *武田家と北条家と今川家の有力大名三家の間で結ばれた協定
 * 一歩間違えば対立が起きそうな三家
 ☆お互いの利害が一致し同盟を結ぶ契機になった
 *武田信玄や北条氏康は越後の上杉謙信という共通の敵がいた
 *今川義元は三河国を攻め取りたいとの想いがあった
 *武田や北条の脅威、消え去ることは、都合がよいものだった
 *単なる口約束だけでは、相手を信頼しきれない
 ☆戦国時代に同盟を組む場合、絆を強くする方法
 *一番簡単なのは、婚姻で家同士の結びつきを強くすること
 *今川、北条、武田の三家の娘たちを、それぞれ嫁がせること
 ☆姻成関係を結び三国同盟が締結した
 *今川義元の娘・嶺松院殿は、武田信玄の跡継ぎとなる義信の妻になる
 *北条氏康の娘である早川殿は、今川義元の息子・氏真の元へ嫁に行く
 *武田信玄の娘・黄梅院殿は、北条氏康の息子である氏政の妻になる
 ☆当初は均衡を保っていた三家だが、バランスは大きく崩れた
 *今川義元が織田信長に「桶狭間の戦い」で惨敗する
 *次の当主となる氏真は、義元に比べると才能に欠けており
 *今川家の捕虜になっていたはずの徳川家康が自立、今川家には凋落した
 
「塩」を確保したかった武田信玄
 ☆今川の状況を見たとき、武田信玄は「領地を広げる」目的に立ち返った
 *武田信玄が欲しかったのは海
 *海がないと困るのが、塩がとれない
 *塩は人間の生活に欠かせないもの
 ☆周辺大名たちが結託して
 *「武田には絶対に塩を売るな」などと言われてしまったら
 *武田の国が干しあがって倒れてしまう
 ☆塩を得るために、武田信玄は海が欲しかった
 *今川の盤石な体制が崩れつつあると知ったなら
 *そこに攻め入って、駿河湾を手に入れたいと考えるのは自然な流れ

妻のために、同盟破棄に反対した武田義信
 ☆今川の領地が欲しいと思えば、武田は、三国同盟を破棄する必要がある
 *信玄がこの考えを実行に移そうと考えた際
 *同盟破棄を強固に反対したのが、跡取り息子の義信
 *義信と嶺松院殿の夫婦仲が非常に良かったことも要因だった
 *今川と敵対関係になった場合、妻とは離婚する必要がある
 *父である信玄に同盟破棄を反対した
 ☆信玄と義信の親子の溝はどんどん広がる
 *最終的には信玄は跡取り息子の義信を自害させる
 ☆息子が自害した後、信玄は三国同盟を破棄し
 *今川の治める駿河へと攻め込む
 ☆長年欲しいと思っていた海を手に入れた信玄でしたが
 *その裏には「妻と離れたくない」という息子・義信の犠牲があった
 *唯一不幸中の幸いだったのは、義信の死後
 *嶺松院殿は信玄に命を奪われることなく、今川の元へと帰れたこと

落ちぶれた夫を見捨てなかった妻の鑑・早川殿
 ☆婚姻の中でも純愛を貫いたのが、今川氏真と北条氏康の娘・早川殿
 *今川家の後継者である今川氏真は、出来のよい人物ではなかった
 *海を欲した武田信玄に、みすみすと国を奪われてしまう
 *北条氏康は、武田と戦う今川氏真に味方しましたが
 *駿河を武田にとられ、遠江を徳川に奪われてしまう
 ☆哀れなのは、今川氏真
 *自分の国を全部失った彼は、全国各地を放浪する
 *氏真は蹴鞠の名手だったので、織田信長に呼ばれて蹴鞠を見せるなど
 *芸人や 太鼓持ちのような生活に身をやつすようになる
 ☆悲哀漂う氏真の隣に必ずいたのが、北条氏康の娘である早川殿
 *浪人になったダメ夫を見捨てることなく、夫にずっと付き従いました
 *早川殿も北条家のお嬢様なので、戻ろうと思えば実家に戻り
 *家臣などと再婚もできた
 *彼女は夫を見捨てず、共に生きることを選ぶ
 *夫の氏真からすれば、なんともありがたい妻です
 ☆不遇の身だった氏真
 *徳川家康から幕府の儀式や礼儀作法などを教える高家として声がかかり
 *5百石ほどの領地をもらうことができた
 ☆大きな領地を失ってしまった氏真、不運だったとも言い切れません
 ☆早川殿の実家北条家は、秀吉に逆らったがゆえに減びています
 ☆三国同盟に参加した北条、武田、今川減亡した
 *狭山藩に一万石ほどの石高を得ることができた北条氏規を除いて
 *誰も生き残ることができなかった
 ☆戦国時代の夫婦はいつ何があるかわからない不安定な間柄
 *中でも女性は、家同士の結びつきのために
 *道具のように使われた側面もあったのでしょう
 *早川殿の生きざまを見ると、厳しい制約の中でも
 *「この人と添い遂げたい」との主体性を持った行動自体は、認められていた
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『愛憎の日本史』
 
 
 
「甲相駿三国同盟」「嶺松院殿」「早川殿」
(ネットより画像引用)
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「全裸でグルグル?」「大人への反発」「キャンセルカルチャの是非」

2024年02月25日 | 社会
🌸小山田圭吾炎上事件(3)

「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせて」
 ☆『クイック・ジャパン』の「いじめ紀行」でのインタビュー
 *小山田がいじめ加害の武勇伝を面白おかしく語っているとされた
 *記事全文がネットで公開されると
 *障害のある旧友との「屈折した友情」の話ではないかとの意見も出た
 ☆小山田へのバッシングが止まなかったのは
 *『ロッキング・オンJ』での発言が問題視されたからだ
 *原文を参照しても、とうてい擁護できないものだった
 *「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップして」
 ☆インタビューは小山田のファーストアルバムの
 *人々的なプロモーション企画の一環として行なわれた
 *編集部は、こうしたいじめの話を読者が面白がるはずだし
 *小山田の評価にネガティブな影響を与えることはないと考えていた
 ☆当時は価値観がちがったといえばそれまでだが
 *インタビューの1年前山形県新庄市の公立中学校で
 *一年生が体育館用具室でマットに巻かれた状態で
 *窒息死するという事件が起き
 *生徒7人が傷害致死で逮捕・補導された事件が起きている
 ☆なぜこのようなインタビュー、当のアーティストを応援する目的で
 *音楽雑誌の特集に掲載されるようなことが起きたのだろうか

小山田は、公演キャンセル等で無責任な若者代表とされた
 ☆小山田と小沢健二がフリッパーズ・ギターを解散した
 *全国規模のライブツアーのチケットがすでに発売されており
 *直前に公演を取りやめたことで2人は批判にさらされる
 ☆彼らが所属するポリスター・レコードなどの話を総合すると
 *異例の解散の理由は「二人の仲たがい」らしい
 *音楽的対立というより、「感情のもつれ」という見方が強い
 *二人については、以前から態度面で好ましくない声を聞いた
 ☆『ロッキング・オンJ』のインタビューでの
 *自身の発言に関して小山田は『文春』の対談で語っている
 *それは、「大人のきれいごと」への反発だった
 ☆小山田は『クイック・ジャパン』の対談企画を受けた理由
 *自分についていたイメージを変えたい気持ちがあった
 *そこで敢えてきわどいことや、露悪的なことを喋ってしまった
 *当時、アイドル的というか、軽くてポップな見られ方をしていました
 *極めて浅はかなのですが、キャラクターを変えたいと思っていた

小山田の「事実」をめぐる問題
 ☆『ロッキング・オンJ』のインタビュー内容
 *発売前の原稿確認ができなかったこともあり
 *事実と異なる内容が多く記載されていると小山田は述べている
 ☆「全裸にして紐でしばって、オナニーさせて、ウンコを喰わせた」の箇所
 *「事実ではありません」と小山田は語る
 ☆ロッカーに同級生を閉じ込めて蹴飛ばしたこと
 *小学生の頃、知的障がいを持った同級生に対して、段ボールの中に入れて
 *黒板消しの粉を振りかけてしまったことがあったのは事実です
 *相手の方には、本当に申し訳ないことをしたという思いです
 ☆はたしてこれが、五十代になったミュージシャンに対して
 *その存在そのものを抹消(キャンセル)するような「罪」なのだろうか
 *「それ以外のいじめもしていたにちがいない」と主張するのであれば
 *当然、その証拠を提示しなければならない
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『世界はなぜ地獄になるのか』
 
 
 
 
 
「全裸でグルグル?」「大人への反発」「キャンセルカルチャの是非」
(ネットより画像引用)
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「井伊直弼」「安政の大獄」「桜田門外の変」「開国」

2024年02月25日 | 歴史
🌸独断で日本の開国を決めた井伊直弼
 
⛳「桜田門外の変」
 ☆井伊直弼、出動の途中で浪人に襲われ
 *登城のため午前9時頃に駕籠に乗って屋敷を出た大老・井伊直弼
 *江戸城桜田門外において浪士の一団の襲撃を受ける
 *駕籠から引きずり出された直弼は首を一刀両断に叩き落とされた
 *暗殺したのは、水戸藩を中心とした18人の脱藩浪人たちだった
 *大老は江戸幕府の最高責任者、現在の総理大臣のようなもの
 ☆直弼は独断で、日本の開国を推し進めた、冷酷非情な独裁者だった
 *自分の政策に異を唱える者は容赦なく弾圧した

⛳黒船の対応で対立を深めた直弼と徳川斉昭
 ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航、開国を迫った
 ☆日本にはかってない激震が走った
 *彦根藩主直弼は有力大名として、戦っても勝ち目はない
 (交易を行って海外進出すべしと開国、非戦を主張した)
 *開国に、真っ向から反対したのが、水戸藩の前藩主・徳川斉昭
 ☆直弼の意見が通り、日本は開国へと踏み切る
 ☆又2人は将軍の後継者問題で対立を深めていく

⛳井伊直弼、後継者争いの一方で恐怖政治を開始

 ☆将軍徳川家定は病弱で奇行も多く、跡継ぎとなる子供もいなかった
 ☆次の将軍を決めておくことが必要だった
 *直弼が紀州藩主の徳川慶福を推した
 *斉昭は自分の息子である一橋慶喜を推した
 ☆幕府は慶福を擁立する南紀派と慶喜を担ぐ一橋派に分かれた
 *開国か攘夷かという問題も絡んで両者は激しく対立する
 ☆直弼は強権を発動し、反対派を一掃する恐怖政治を断行する

井伊直弼、勝手に条約を締結してしまう
 ☆直弼は大老に就任した
 *次期将軍を紀州の慶福、のちの徳川家茂に決定した
 *
慶福はなんと当時10歳にも満たない子供だった
 *慶喜は、英明な若者として周囲にも期待された人物
 *直弼は「英明さなどより血筋の近さが大事」と主張した
 ☆少年の家茂は直弼の意見には素直に従った
 *直弼にとってこれ以上に都合のいいことはない
 ☆開国問題に対しても直弼は豪腕をふるう
 *直弼は天皇の許可を得ずに、勝手に条約を締結してしまった
 ☆直弼の個人プレーに反対派も黙ってはいなかった
 *朝廷に対して直弼よりも水戸藩を信任するように働きかけた
 *結果、天皇は直弼より斉昭を認めた
 *直弼が激怒したのはいうまでもない
 *直弼は、朝廷に働きかけた水戸藩士、朝廷の最高幹部
 *次々と捕えて厳罰に処していくのだ
 *これが世にいう「安政の大獄」の始まり
 *幕末の思想家である吉田松陰や橋本左内らも処刑された
 *弾圧で死刑となった者8人、投獄・左遷された者は100人以上
 ☆徳川政権で、直弼に逆らえる者など誰もいなかった
 *桜田門外の変は「安政の大獄」の翌年に起こった
 ☆「井伊の赤鬼」とまで呼ばれた直弼の死後、幕府の権威は失墜する
 *世の中は、暗殺など暴力で政治を変えようという動きが広がっていく
 *直弼の意に反して、幕末の動乱は加速していく
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本史の黒幕』
 
「井伊直弼」「安政の大獄」「桜田門外の変」「開国」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)
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