麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

ビザールでござ~る転居deびざ~る

2017年06月25日 | 制作公演関連
演劇集団ア・ラ・プラス
『ビザール~奇妙な午後』
作/ジェーリコ・フバッチ
演出/杉山剛志



長かった稽古も今日で最終日となった。

二週間にわたりお世話になった
参宮橋のレインボースタジオに
別れを告げて、シアター風姿花伝へ。



結局、昨日はセルビアの歴史を
途中でうっちゃって終わった(>_<)

「ユーゴスラビア」を牽引したのは、
ヨシップ・ブロズ・チトー(1892-1980)
という政治指導者だった。
クロアチア人の父とスロベニア人の母の
間に生まれ、錠前屋の見習いから
多民族の連邦を束ねるまでになった彼を
喪ったことで、国々が次々と独立した。

クロアチア、スロベニアが1991年6月、
次いでマケドニアが同年9月に。
ボスニア・ヘルツェゴビナは翌年3月に。

これによりユーゴスラビアの継承は
「セルビア・モンテネグロ国家連邦」が
担うことになるが、長くは続かず、
2006年6月、モンテネグロが独立。
08年2月にはコソボも独立宣言。

セルビアは前者を承認しつつも、
後者の独立は承認していない。
ちなみに日本を含む多くの国は承認。

以上、余りにざっくりながら背景を
「写させて」いただきました。

男子テニスの元世界ランク1位
ノバク・ジョコビッチをはじめとし、
リオ五輪金メダルの男子水球、
男子バレーはシドニー五輪の王者、
また2002年のバスケット男子が、
アメリカのドリームチームを撃破し
頂点に立ったのは未だに語り草だ。

政治に疎い僕にとって、この国は
球技に強い印象である。
ボールスポーツといえば、
サッカーも忘れてはいけません。

ピクシーことドラガン・ストイコビッチ。
背番号10を背負い、1994-2001年
J1の名古屋でプレーし天皇杯優勝二回。
また、グランパスエイトの監督として
リーグ通算351勝(2008-13)。
10年には悲願のリーグ制覇を成した。


演劇に勝ち負けはないけれど。
彼に負けないファイティングスピリッツで
我々も、千秋楽に向け「頂点」目指して
全力疾走だ!!!


【サッカーに詳しくない方への蛇足】
名古屋グランパスエイトというチーム。
つまり、ピクシーは選手・監督とも
同じクラブに所属していました。
コメント
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