麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

戸田、二十数年前

2017年06月06日 | 身辺雑記
日曜日に訪れた埼玉県戸田市。
駅を出て東の市文化会館へ、
と前回のブログに書いけれど。
遡ること二十数年前にも一度、
戸田駅に降りたことがあった。

まだ大学生だった私は、反対の西へ。
向かったのはスポーツセンター。
新体操のインカレを観に行った。

中学でも新体操部だった「ケメ子」
こと吉井は大学でも続けて、
ただ選手としては試合に出られず、
学連のスタッフの一員として
裏方に汗を流していた。

地元の駅でバッタリ再会し
お互いの近況から「近々ある大会を
よかったら観に来なよ」的な、
確かそんな流れだったよーな。
何たって遠い昔のことで定かではない。

二十数年前と書いたが、二十九か、
もしかしたら三十年前やも。

新体操界は山崎浩子というスターを
輩出したのち大塚裕子が台頭し、
二人の「ひろこ」が競技の人気を
牽引していた時代だった。

大塚は、シンクロの小谷実可子、
競泳の鈴木大地らと同学年、
いわゆる「丙午」の学年でケメ子や
私もまた同い歳なのだった。
(但し鈴木、大塚は早生れで未年)

バサロで金メダルを獲得した大地も
今や五十路、スポーツ庁長官に
昇り詰めたわけだけれど、
もしや「鈴木大地」といえば
プロ野球の千葉ロッテマリーンズ
背番号7のリードオフマンを
多くの人が先に思い浮かべるのか?

そうそう。千葉のキャプテンは、
東洋大学硬式野球部でも主将だった。
最近は、桐生の短距離に駅伝、
卒業したが荻野の水泳などが
体育会の看板になった東洋だが。
当時は野球のほか相撲、アイスホッケー、
そして男子新体操も強かった!

随分遠回りになったが1980年代後半、
まだマイナーだった男子新体操を
見ることがケメ子の誘いに乗った
理由のまず第一であり、加えて、
第二外国語の独語のクラスに
スポーツ推薦の新体操部の男が
いたことも後押ししていた。
・・・名前は忘れた。

で。男子新体操の団体が凄かった。
個人は正直、わりと地味だったが、
前転する一人の上を飛込前転が越え、
さらにそれを越えて回る・・・
で伝わるだろうか?
要は縦に重層的な回転があれば、
完全にシンクロした動きが
力強く、かつしなやかに展開した。

あの頃よりは少し認知度が上がった
気がしないでもないけれど・・・
「ケメ子」は今どうしているだろう、
と書きながら思ったりしている。
コメント
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