石原莞爾。
1889年生、1949年没。
「帝国陸軍の異端児」との異名を持つ
日本の陸軍軍人。関東軍作戦参謀として、
柳条湖事件、満州事変を実質指揮したとされる。
と、確かに日本史で習った
なので、イメージは「悪い人」だ。
俳優座は今年度のラインナップのひとつに、
二・二六事件を扱う予定である。
石原はその時、反乱軍の鎮圧に当たった。
軍中枢部の将校のほとんどが反乱軍により
登庁を阻止された中、統制派、皇道派の
どちらにも属さない自称「満州派」の石原を
反乱軍が敵か味方か判断できず、
本部に入れたことが鎮圧の起因となった。
この件でいえばクーデターを止めた「良い人」。
・・・作家や演出、役者には及ばないまでも
制作も作品に関連する周辺を学ぶ。
当然だが、今日はそれとは少し別の話。
巣籠生活で読んでいた小説のなかに、
【莞爾と笑う】という一文があって、
「莞爾」には「にっこり」とルビが振られていた。
ムムムとググッてみたら、blogタイトルの
〈莞爾とは、喜んでにっこり笑う様子〉や
〈形容動詞。にっこりとほほえむさま〉と。
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恥ずかしながら、そんな意味があるとは
知らずに今日まで生きてきた。
軍服を着た石原莞爾の印象は
幼ごころに「怖い人」と刻み込まれている。
まさか真逆の意味が、としばし茫然。
我を取り戻してまず思ったのは、
山形県鶴岡市で産声をあげた我が子に
両親はどんな思いで命名したのか、と。
そして次に「軍事の偉才」と謂われた彼も
得意の「毒舌」を四六時中吐いていた
・・・わけではなく笑うこともあった筈で
実際に茶目っ気の逸話も残っている。
俳優座公演『血のように真っ赤な夕陽』
(2019年上演)は満州が舞台だった。
が、満蒙開拓団を主に描いたので
石原は劇中に登場していない。
勿論、彼は満州において影響力大であり、
少し詳しく言えば、ある時期からは力を失い、
最終的に挫折して終わっている。
という話も枝葉。
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名前と実際の人物のギャップ、
同じ人物の善悪や喜怒哀楽などなど
多面性を当たり前と知っているはずなのに、
つい、小さな自分の眼鏡の内に納めたがる性
(なのか業なのか、はたまたもっと科学的なこと)
を、巣籠生活で再確認する毎日……は嘘だな……
再確認を珠にしたりする、と綴る4月下旬。
そう、昨日は母の誕生日。喜寿を迎えたのだった。
1889年生、1949年没。
「帝国陸軍の異端児」との異名を持つ
日本の陸軍軍人。関東軍作戦参謀として、
柳条湖事件、満州事変を実質指揮したとされる。
と、確かに日本史で習った
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なので、イメージは「悪い人」だ。
俳優座は今年度のラインナップのひとつに、
二・二六事件を扱う予定である。
石原はその時、反乱軍の鎮圧に当たった。
軍中枢部の将校のほとんどが反乱軍により
登庁を阻止された中、統制派、皇道派の
どちらにも属さない自称「満州派」の石原を
反乱軍が敵か味方か判断できず、
本部に入れたことが鎮圧の起因となった。
この件でいえばクーデターを止めた「良い人」。
・・・作家や演出、役者には及ばないまでも
制作も作品に関連する周辺を学ぶ。
当然だが、今日はそれとは少し別の話。
巣籠生活で読んでいた小説のなかに、
【莞爾と笑う】という一文があって、
「莞爾」には「にっこり」とルビが振られていた。
ムムムとググッてみたら、blogタイトルの
〈莞爾とは、喜んでにっこり笑う様子〉や
〈形容動詞。にっこりとほほえむさま〉と。
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恥ずかしながら、そんな意味があるとは
知らずに今日まで生きてきた。
軍服を着た石原莞爾の印象は
幼ごころに「怖い人」と刻み込まれている。
まさか真逆の意味が、としばし茫然。
我を取り戻してまず思ったのは、
山形県鶴岡市で産声をあげた我が子に
両親はどんな思いで命名したのか、と。
そして次に「軍事の偉才」と謂われた彼も
得意の「毒舌」を四六時中吐いていた
・・・わけではなく笑うこともあった筈で
実際に茶目っ気の逸話も残っている。
俳優座公演『血のように真っ赤な夕陽』
(2019年上演)は満州が舞台だった。
が、満蒙開拓団を主に描いたので
石原は劇中に登場していない。
勿論、彼は満州において影響力大であり、
少し詳しく言えば、ある時期からは力を失い、
最終的に挫折して終わっている。
という話も枝葉。
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名前と実際の人物のギャップ、
同じ人物の善悪や喜怒哀楽などなど
多面性を当たり前と知っているはずなのに、
つい、小さな自分の眼鏡の内に納めたがる性
(なのか業なのか、はたまたもっと科学的なこと)
を、巣籠生活で再確認する毎日……は嘘だな……
再確認を珠にしたりする、と綴る4月下旬。
そう、昨日は母の誕生日。喜寿を迎えたのだった。
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