タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

今日の観察~3月15日

2010年03月15日 | タカの渡り観察
このうなると「キ印」と思われるかも分かりませんが、、、、、、

 タカ長は来月の韓国での調査を前に歯に具合が悪いところが見つかり、このところ治療に専念しています。火事にたとえれば、火の手が上がる前に消化に務めているのです。旅に出て、それも外国に行って歯が痛くなると大変ですから、しっかりと治療して調査に専念したいと考えているのです。

 今朝も治療が終わって観察地の上がるとジューヤクさんとトビ吉おじさんが傘をさして空を見上げていました。こうなるともう「キ印」と言われても仕方ないかも分かりませんね。



 しかし、チョッと待ってください。タカ長を含めジューヤクさんもトビ吉おじさんも単なる「キ印」で観察地に通っているのではないのです。少し我田引水的に言わせてもらうと、私たちのメンバーはデータをとることの意味が分かっているからこのようなことをしているのです。

 チョッと天気が悪いから止める。

 気分が乗らないから観察しない。

 などなど理由を上げ始めるとキリがなくなります。そのようにして集めた数字は、ある面ではまったく意味を成さないものになります。単なる気分屋の産物にしかなりません。

 タカ長たちも大きなことは言えませんが、しかし、観察の根っこの部分、分母の部分は出来るだけ統一していないと、そこに記録された数字の信用性が低くなると考えているのです。



 ご存知のように春の渡りを観察している観察地点は、秋に比べるとかなり少なくなっています。そのためにいつまでも解明できない問題が残っているようにタカ長は感じています。
 
 タカ長観察地のメンバーから聞いた話しですが、野鳥の会の某支部長が「春は数が出ないから観察しない」と言っておられたとか、、、、、。誰もが大きな渡りを見たいのです。そのことは良く分かります。しかし、美味しいところだけ食べたいと言うような気持ちでは調査は出来ないはずです。

 そのような気持ちで集めた数字は観察データにはなりません。そのような基本的なことも分からないで観察をされても、その観察データを見るほうはイマイチ信用できないものが残ってしまうのです。

 チョッと屁理屈になったかも分かりませんが、少なくとも私たちは単なる「キ印」で観察地に通っているのではないのです。

 そのようなことを続けてきたので「ノスリはハチクマより悪天候に弱いのか、チョッとした雨で渡りを止めるようだ」と言うようなことを実体験として言えるようになっています。



 タカ長が観察地に行く直前から雨になりました。

 それでも私たちは観察地の東屋で雨を避けながら観察しました。しかし、11時頃から本降りになってきたので今日の観察は終了としました。

 この降りかたを時間雨量にすると何ミリになるのか分かりませんが、いままでの経験ではこのくらいの降り方になるとハチクマも渡りを止めるようなことが経験上分かったような気がします。もちろん、タカ長観察地だけの経験ですから、その感覚がすべての観察地にあてはまるのかどうか、それはタカ長には分かりません。同じような観察データが多くの観地から寄せられると、かなりの信憑性を持って言うことが出来るようになるのでしょうが、そのような観察データは無いのではないかとタカ長は思っています。

 同じこの東屋で、これくらいの降り方になったとき一羽のハチクマが観察地の前の木に下りて休み、小ぶりになったのを見とどけて飛び立っていったのを見たことがあります。ほとんど目の前、至近距離を懸命に羽ばたきながら高度を上げていったあのハチクマは、気のせいか首の長さが通常のものより長く感じられたものです。

 天気がよくないときの観察は嫌なものです。その気持ちは誰も同じことだと思います。しかし、だからと言って皆が避けていたら天気が良くないときのデータはまったく集まらないことになります。そのことが定着すると、データがないから渡らないのだと言うことになりかねません。データが無いことと、データを取りに行っていないことが曖昧なまま、記録がないことだけが定着し、天気の悪い日には渡らないことになってしまうのです。

 ゼロもまた貴重な記録です。それを証明する調査は大変ですが、ゼロの調査をしてはじめて、「このようなときは渡らない」と自信を持って言い切れるようになるのです。私たちはその自信を得るために観察地に通っているのかも分かりません。


 それにしても天気が安定しませんね。困ったことです。

    以上のように今日の結果は「渡りを認めず」です。