タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

久しぶりの裏山

2020年01月20日 | 山歩きから
    

久しぶりに裏山を歩きました。

色々なことがあり、ほとんど1週間ぶりの山歩きです。もちろんソロ歩きです。

    

天気は晴れ。今日はひと汗かくつもりで、チョットだけ着こんで歩きました。

タカ長は汗かきですが、汗で濡れるのを恐れないほうが良いのでは、と言うような気がして、今日は終始厚着でした。

    

いつも通り歩いて、水苔池に行きました。ご覧のような状態です。

この時期は人頭大の石を投げこんでもびくともしないくらいの氷が張ることもありますが、今年は氷など見たこともありません。

今さらタカ長が言うまでもないことですが、わが裏山も暖冬です。

    

水苔池から東亜の森に行き、そこから椿乗越を経由して下山しました。

途中、植林をしたところがありました。何かのイベントで植林した感じです。

それ以外には何もない裏山歩きでした。

    

スマホのデータです。いつものことですが、この数字にはいつも不満です。

「それはないよ」、、、、、と言いたい感じです。しかし、、、、

        

下山したときの歩数計の数字には満足「まぁ、そんなものだろう」と思います。

いまのタカ長にはこの程度の山歩きを、週に3回するのがベスト、だと思われますが、、、

それくらいは簡単に出来そうな、、、、いやいや難しいような、そのような気分です。


    

この笑顔があれば

2020年01月19日 | 日々雑感
今日の広島は「全国男子駅伝」です。

わが広島県は前半は良かったのですが、折り返し点あたりからズルズルと後退、入賞することも出来ませんでした。残念。

    

私たちの団地では餅つき大会です。

夜明けと同時に準備開始です。タカ長はカメラを持って取材?

    

一般住人の人たちが来れれるまでにお餅の準備をする必要があるので、ご覧のように集会所がガラガラの状態のときから餅つき開始です。

先ずは会長様に頑張ってもらいます。

    

本当のことを言うと、餅をつき始める前にこれで景気づけしました。

喉をうるおし、心身の準備が出来てからの始動です。

    

ホールの中でもこの状態の時から婦人部隊が頑張っています。

住民の皆さまには「10時開始」と案内していますが、当たり前のことですがその時間までには多くのことを片づけておかないといけません。

    

餅を準備することはもちろんですが、ぜんざいやら豚汁、屋外では石焼き芋も始めています。

そして、、、、皆さまが来られ、、、ハッと気がついたら、、、、、

    

ホールの中はこのような状態になっていました。

大入り満員で、豚汁やぜんざいを頂く人の行列。本当に「満員御礼」です。

    

この会場では食べ放題で、売り切れ御免ということですが、これだけの人が来られても大丈夫でした。

豚汁やぜんざいをどの程度準備したのか知りませんが、お餅は40キロの米をついたそうです。

臼にして21、その配分が良かったのか、今日の餅はとても良くできていて美味しかったです。

    

お隣さんの孫です。

他の写真は紹介しませんが、今年はこのような、小さな子どもが目立ち、目を輝かせてついていました。

それをサポートするパパやママの目も輝いていて、、、、

その姿を見ると嬉しくなりました。

今日の餅つき大会だけではありませんが、ひとつのイベントをするためには、何日も前から水面下の準備は始まっています。

関係者にはそれなりの苦労があると言うことでしょうが、しかし、子どもたちの輝いた目を見るとその苦労もどこかへ飛んでゆきます。

実働の面ではほとんど戦力外のタカ長ですが、子どもたちの笑顔には癒されました。

あの笑顔があるのなら、来年も頑張らないといけませんね。



ご馳走をかこんで

2020年01月17日 | 山歩きから
    

今日は山グループの新年会でした。

開宴かなり前に会場に出かけたら、皆さまご馳走づくりの真っ最中。会計のことは分からないタカ長ですが、この会費でこのご馳走!

    

そして、会場の別コーナーではご覧のようなご馳走がならんでいました。

女性軍を中心に頑張った結果ですが、食べきれるかどうか心配になるほどの料理がならんでいました。もちろん、、、、、

    

こちらのほうも十分あります。これは差し入れですが、ビールなどの飲み物も十分あります。

    

型どおりの乾杯で開宴しましたが、そのあとはにぎやかな酒の席です。

本当に楽しい酒の席で、タカ長プラスアルファの人は箒を逆に立てられるまでおしゃべりしました。

その時の話題は、ひとことで言えば、町内会活動にレビューして良かった、と言うことです。

タカ長たちの山グループには私たちの団地以外の、近隣の町にお住いの人が何人もいて、今日もそのような人が何名かいて、、、

皆さん分け隔てなく、同じ団地に何十年も住んでいるような雰囲気で新年会を楽しんでいました。

その人たちも地域活動にレビューしている人なので、話を始めたら話題が尽きることはないのです。

     

いつの間にか出来上がった楽しいグループですが、この雰囲気だけはチョッと自慢したくなります。

今日も仲間から入会希望者がいると聞きましたが、もちろん、大歓迎です。この雰囲気を愛する人なら大歓迎です。

だって、この歳になって友だちが増えるって、これ以上の幸せはありませんから、、、、、。

       

年齢不問の私たち、これが本日もっとも若い参加者です。

楽しいでしょう!



無影樹

2020年01月16日 | 日々雑感
何となく肌寒いような曇り日です。しかし、雪は降りません。

今年は雪が降らなくて、列島各地でその影響が出ているようです。そこでチョッといたずらして、、、、

2013年12月20日の、拙宅の雪景色を使いながらブログの更新をします。

    

    

気になっていた広報紙の、ふるさと特集号はほぼ完成しました。あとは校正するだけです。

タカ長の仕事の目鼻はついた、と言うことになります。

    

その作業をしながらまたまた松原泰道師の本のことを思い出しました。

このように書くとタカ長はよほどの読書家、と思われるかも分かりませんが、それは違っています。

手元に置いていて、ときどきパラパラとページをめくるだけです。座右の書、と言うことばもありますが、、、、

本当のことを言うと、炬燵の番をしながらパソコン仕事をするそばに置いて、この本をマウスパッドがわりにしているのです。

この本んが大きさと言い、表紙の固さと言い、マウスパッドに丁度いいのです。そのようなことを知られたら、松原泰道師は何と言われるかなぁ???

    

鳥は無影の樹(むようのじゅ)に住む、と言う禅語についてでの解説です。(木扁に西と言う字が出せません。)

無影樹“というのは「暗夜の樹に影が無いと思うようなもの、形があって影がないわけはないので、目に見えないというだけのことである」との経典から出た言葉です。それは「自分」というものを全く忘れた、跡をとどめないおおらかな心を示されています。


善をしながら、それを忘れて心にとどめず、恩にもきせず、得意にもならない、ふかぶかとした行いを意味されます。それはちょうどくらやみの樹のように、少しも目だたないのです。しかし、目につかないといって消えてしまうわけではありません。目にはつかなくとも“鳥は住む“とあるではありませんか。


    

広報紙づくりのために、人知れずパソコンと格闘(?)しながらの、この作業もまた無影樹なのかなぁ、と思ったわけです。

タカ長のようなぼんくらは「それを忘れて心にとどめず」の心境にはなれませんが、タカ長のことは別にして、私たちの団地には「無影樹」の活動をされている人はたくさんいます。だから、私たちの団地活動は活発に、そしてスムーズに進んでいるのだと考えています。

もし、タカ長だけが頑張っているのならおおいに自慢、、、、、、

と言うような心がすぐに頭をもたげてくるので、無影樹の教えは、タカ長には「永遠の課題」になりそうです。

    

とか何とか言いながら、タカ長たちは日曜日の餅つき大会の準備を始めています。

もちろん、これも私たちだけではありません。多くの人が陰で頑張っています。

私たちの団地に限ったことではありませんが、世の中にはたくさんの無影樹があり、、、、

だから、日々の生活が出来ているのですね。

その心境には到達できないタカ長ですが、自分のまわりにもたくさんの無影樹があることを感じることのできる人にはなりたいと思っています。




朋ありてこそ

2020年01月15日 | 日々雑感
    

今日は2ヶ月に1回の、中学校時代の同級生たちとの食事会でした。

会場はいつものファミレスです。11時ころでかけて15時ころまでおしゃべりしていました。

タカ長だけではありませんが、私たちにとってはとても楽しい食事会です。

    

乾杯ですが、ひとつだけ色が違うのがタカ長のコップです。

ビールは別会計でしょうが、その他は何を飲んでも良い「ドリンクサービス」ですから、タカ長は色々な色のものを少しずつ飲んでいます。

    

例によって、おしゃべりばかりしていて、写真は二の次、三の次になりました。

一度くらい自分のオーダーしたものを写真に撮りたいとは思うのですが、それだけのことがなかなか出来ません。

それだけおしゃべりが楽しいのです。

    

本当に有難いことですが、食事会にはいつも十数名の友だちが集まってくれて、いつも時間を忘れるような楽しい時間を共有しています。

朋ありてこそ出来る「贅沢」です。そう、本当に贅沢な時間だと思います。

もう一つ言えば、それだけ楽しい時間を過ごさせて頂いて、参加費はたったの1,000円、これは嬉しいですね。

前回の残金があるから出来ることですが、でも、次回は2,000円で同じような食事会が出来ます。

この方式は年金生活者向きです。そして参加者の人数を確定するのが難しい食事会の幹事さん向きです。

基本的に安いので、誰が何をオーダーしたか覚える必要はありません。ファミレスへの総支払い額÷参加人数で計算し、1,000円単位で集金、残金は次回に使います。

食事会2回で清算するようにしています。この方式は楽ですよ。幹事さん、ファミレスでやるのはいいですよ。

ファミレスから袖の下をもらったわけではありませんが、経験者の実感としてお勧めします。

綱渡りのようなもの?

2020年01月14日 | 山歩きから
    

仲間たちとの裏山歩き、今日は全員で中国自然歩道を歩きました。

と言っても、皆さんは荒谷林道まで歩かれましたが、タカ長たち2軍は途中でひき返しました。

この画像は荒谷林道側からのもので、タカ長が46番鉄塔に向かっているところです。

    

46番鉄塔ではコーヒータイムです。

何度も書きますが、この「メイドイン燕三条」のやかんとイワタニのバーナーは同一メーカーが製造したみたいに、1ミリの狂いもなくピタリと合っています。

単なる偶然かどうか知りませんが、とにかく、怖いくらいピタリと合います。

    

そのセットで湯を沸かし、本隊の到着前にコーヒーを楽しみました。

もちろん、本隊の皆さまもコーヒータイム。太陽の光の無いカフェ46でしたが、風が無かったので2軍も寒さを感じないで本隊の到着を待つことが出来ました。

    

この中にタカ長は写っていませんが、今日はこの状態で立ったままでした。

と言うのは、、、今朝ザックを持つときに、何となく腰に違和感を感じて、ある角度に体を曲げると痛みを感じるからです。

つまり、本日のタカ長は正真正銘の2軍選手、と言うことなのです。

    

だから、今日はいつも以上に歩く姿勢に注意しました。腰の立った姿勢で歩けば問題ないのですが、体が少しでもぶれると痛みを感じるからです。

ここに記録されたデータはいつも通りだと思いますが、歩数計を見ると3,500歩、いつもの半分もありません。

何かの間違い、それとも歩数計が感知しないくらいの、猫のような歩き方だったから???

本当のことは分かりませんが、いつも通りにザックを持ったつもりでも、何かが違って腰に違和感を感じるようになったり、、、、

歩き方が違って(?)歩数がいつもの半分しか記録されなかったり、、、、、

考えてみれば私たちの生活は、細い綱を渡っているようなものかも分かりません。

何かのはずみで、何かが少し、ほんのミリ単位でくるっただけでどこかに障害が現れる、、、、。

高齢者の生活、特に高齢者の山歩きはそのようなものではないだろうかと愚考したわけです。




心したい言葉

2020年01月13日 | 日々雑感
毎度同じようなことを書いて恐縮ですが、今日のタカ長は広報紙の紙面づくりを一歩も二歩も進めることが出来ました。

そのために疲れたわけではありませんが、今日はブログの更新を休むつもりでした。

そうして、、、、、テレビで相撲観戦しながら、松原泰道師の本をパラパラめくっていたら、、、、

ひとつの言葉に心がピリピリと反応しました。その言葉です。

とかく、小さい病気を自分で大きく、ひろげすぎるね。

松原泰道師ご自身の言葉ではありません。引用された言葉ですが、タカ長はこの言葉そのものに反応したのです。

    

お蔭さまで80歳を過ぎても元気に山歩きを継続しているタカ長ですが、細かくみれば全身無傷ではありません。

外反母趾らしい足の痛みはありますし、腰が重いこともあります。

内科的には心臓を修理しました。いまのところなんの問題もありませんが、場所が場所なので注意は怠らないようにしています。

人間の体は「工場生産品」ではないので、毎日同じように作動するとは限りません。この歳になれば多少の不具合が生じでほうが「正常」で、たとえば、血液検査の数字を見て必要以上に反応するほうがおかしい、と考えています。

そのように考えながら生活しているので、この言葉に反応したのでしょう。

自分で病気を大きくしないように、、、、、

心したい言葉です。


オオルリマンション管理人

2020年01月12日 | 山歩きから
    

相棒と二人で裏山に行きました。今日の二人はオオルリマンション管理人です。

裏山に10棟あるオオルリマンションの掃除などの仕事です。

    

現場に行って、シュロ縄のゆるみをチェック、多くの場合は新しく締め直しです。

    

オオルリはタカ長たちが設置したマンションを利用してくれますが、、、

このベットだけは毎年彼らがつくります。このベットを取り出して、マンションの床をキレイにしておかないと営巣してくれません。

    

取り出したベットです。これは傷んでいなくて、ご覧のようにキレイな状態でした。

    

    

10棟の管理はけっこう大変でした。

と言っても、タカ長は現場監督(?)です。すべては相棒がやってくれます。

    

    

    

その度に上がったり下がったり、、、、、。

これも毎年恒例の仕事ですが、10棟の中には朽ちてきているのがあり、新しく作りかえないといけないところもあります。

とは言っても、マンションの建て替えはそれなりに大変なので、どうしようかなぁ???

    

半日の仕事を終えて意気揚々とご帰還ですが、あの袋の中に〇〇茸みたいないいものは入っていません。

ひとつは仕事道具、そしてもう一つはゴミです。

    

スマホのデータです。

あちらこちら歩いて、けっこうアップダウンがあって、、、、、、

それでも歩数は9,400歩でした。狭い範囲なので歩数は伸びていませんでしたが、それなりの作業量はありました。

ところで、このブログをさくちゃん見ているかなぁ?

マンション10棟を見つけたらお好み焼き1枚ですが、、、、、早くしないと期限切れになりますよ。(笑)






古戦場めぐり?

2020年01月11日 | 山歩きから
昨日の初登山、宮島の桟橋から先は二つのグループに分かれて行動しました。

タカ長たち精鋭部隊(?)は桟橋の前の要害山(標高27メートル)に登りました。

    

太陽の光線状態が良くないので、一目でそれと分かる写真は撮っていません。カメラを向けたのは山の方向です。

    

左の峰が弥山で、右側の尖った峰が駒ケ林です。本隊はその間の谷すじを登っています。

タカ長たちは、その時は意識していませんでしたが、結果的には古戦場めぐりをしていました。

その戦いとは「厳島の戦い」のことです。

1555年10月1日毛利元就が、大内氏の実権を握っていた陶晴賢を破った戦いです。戦国三大奇襲戦と言われています。

要害山(宮尾城跡)は毛利元就が陶晴賢を引きつけるために築いた城跡です。そのとき陶晴賢は塔の岡に陣を張り、元就軍が海から攻めてくることを想定していました。

    

    
                ネットから借用した画像です。

五重塔が見えているところがその「塔の岡」です。

ところが毛利元就は博打尾から攻め下ってきました。そのため要害山の毛利方との挟み撃ちにあったことになり、陶軍は総崩れ、陶晴賢は宮島の大江浦で(他の説もあり)自刃することになります。

    

       

その博打尾は弥山から北方向に下がる尾根の、標高160メートルくらいの所です。毛利元就は1555年9月30日に風雨の中を、その尾根の向こう側の包みが浦に渡ってきます。
そして夜陰にまぎれて博打尾に登り、10月1日の未明に夜襲をかけたわけです。

数的には圧倒的に不利だった毛利元就は奇襲をかけることで活路を見出したのです。さすがは戦国の大大名になる毛利元就ですね。

    

    

    

その博打尾からの展望はご覧のように、木が茂ってあまり良くありません。一生懸命に撮ってこの程度です。

昨日、聖崎の近くで昼食を終えたタカ長たちは、同じ道を桟橋にひき返しても面白くないし、時間もあり余っているので、博打尾への登り口を案内するつもりで往路を離れたのです。

博打尾へのルートから最初の分岐を右折して町に帰るつもりだったのです。しかし、その前に本隊に電話をしたら、彼らは博奕尾に向けて下りているという返事。

その言葉を聞いてついフラフラ博打尾へ登る気になり、結果的に「古戦場めぐり」をすることになったのです。

タカ長的にはそれでも良いのですが、脚力に問題がある人には少しハードになったかも?

ゴメン、ゴメン。

安芸の宮島聖崎

2020年01月10日 | 山歩きから
仲間たちとの初登山です。安芸の宮島に行きました。

1軍の連中はもちろん弥山を目指します。タカ長たち2軍は別行動です。

別行動隊の隊長としては、ひそかに行きたいところがありました。安芸の宮島の最北端、私たちの町に一番近い地点、聖崎です。

そこに行きたいと思ったのは、そこに三角点があるからです。タカ長は勉強していないのですが、ブログの記事によると安芸の宮島には三角点が4つあるそうです。そのうちのひとつがこの聖崎にあります。

標高は19.7メートル、20メートルに満たない高さです。そのようなところですから、ここだけを目指して行くことはありません。

令和2年の初登山に、本隊が弥山に登っている時に行き、どこかで彼らと合流すれば丁度良いプランが出来そう、と考えたのです。

    

フェリーターミナルの前で全員の記念写真を撮ったあと、私たちはすぐ目えの要害山に行きました。初登山にですから、とにかく、と名前がつくところに行かねばなりません。

そのあと杉の浦への道を歩き、途中から左手の山道に入ります。

原始林(?)をぬけて、、、、、

    

海辺に下ります。この前方が広島市の市街地です。

    

その海辺を歩いて前方の岬を目指します。

でも、そのまま直進ではありません。途中から左手の森に入り、、、、、

    

岬の反対方向にでます。広い湿地帯のような感じでした。

この画像の、右の森と遠くの尾根が接するところがわが裏山です。

    

その湿地みたいな、、、、タカ長はサバンナ地帯のように感じたところを左に見ながら、右の尾根を登ります。

標高が標高ですからひと登りです。

    

尾根に登り、尾根道をチョットだけ縦走(?)すると聖崎に着きました。

残念ながら展望はありません。木の間から対岸や広島市方面を見ることは出来ました。

すぐ下には大きな岩が二つ。そのような風景を見る前に、、、、、

  

誰かさんを真似て三角点にタッチです。

ここで2軍の5名だけで記念撮影。来た道をひき返しました。

    

先ほどの浜に帰りランチタイムとしました。

そのような聖崎ですが、私たちの新記録(?)が二つ出ました。

その一つは私たちの山歩きで標高が最低の三角点にタッチしたこと。そしてもう一つは、、、、

山歩きのランチタイムの最低地点です。これより低いことは無いでしょう。

    

本日の記録です。スタート地点が桟橋です。軌跡の最北端が聖崎です。

    

ズームアップするとこのような感じです。

安芸の宮島に行って、わざわざ行くところではないかも分かりませんが、、、、

それだけに、マニアックな山歩き(?)が出来てハッピーでした。

今日の安芸の宮島、他にも紹介したいことがありますが、それは明日の記事にするつもりです。