たけじいの気まぐれブログ

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世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

2024年12月06日 11時39分52秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その21

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

出典
千載集(巻十七)

歌番号
83

作者
皇太后宮大夫俊成

歌意
この世の中というところは、
どこにも、憂きことから逃れる道はないのだなあ、
逃れようと思い込んで入ってきた
この山の奥にも、
私と同じような気持ちで、
鹿が悲しい声で鳴いているようだよ、

注釈
「世の中よ」=「この世の中というものはまあ」の意。
「よ」は、詠嘆の助詞。
「道こそなけれ」=「道はないものだなあ」の意。
「道」=「手段、方法」、
「思ひ入る(おもいいる)」=「考え込む」の意。
「山に入って行く」の意味と掛けている。
「山の奥にも」の「も」は、並列の係助詞。
「俗世間と同じように、山の奥にも」の意。
「鹿ぞ鳴くなる」=「鹿が鳴いているようだよ」の意。

作者27歳の時の作品、
藤原道真の流れをくむ名門公家の出身でありながら
官位に恵まれず、受領(じゅりょう、地方官)生活に
甘んじなければならなかった境遇の中で、
行き場所の無い無常の嘆きを歌った作品。


皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)

権中納言藤原俊忠の子、藤原定家の父、藤原俊成、
俊成は、「しゅんぜい」とも読む。
皇太后宮大夫(皇太后宮の長官)・正三位から出家、
法名「釈阿(しゃくあ)」
保守派歌人藤原基俊と進取派歌人源俊頼に学び、
独自の幽玄の歌風を確立した歌人。
平安末期の歌壇を指導、
後白河上皇の命により、「千載集」を撰進した。
歌論書「古来風体抄」、家集「長秋詠藻」等の作品も有る。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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