図書館から借りていた、葉室麟著 「孤篷(こほう)のひと」(角川書店)を読み終えた。
本書は、戦国乱世の世、おのれの茶を貫くために天下人に抗い、切腹に追い込まれた「千利休」、「古田織部」とは異なり、「泰平の茶」を目指し生き抜いた、希代の大茶人「小堀遠州」を、あたたかくも感動的に描いた長編時代小説だった。
「小堀遠州」の名前だけは、若い頃からなんとなく知っていたが、これほどの大人物であったかと、目から鱗が落ちるようだった。
読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしている。
▢目次
「白炭(しろずみ)」、「肩衝(かたつき)」、「投頭巾(なげずきん)」、「此世」、「雨雲」、
「夢」、「泪(なみだ)」、「埋火(うずみび)」、「桜ちるの文」、「忘筌(ぼうせん)」
▢主な登場人物
小堀遠州(幼名=作介、政一、小堀遠江守)・栄、
小堀新介正次・村瀬佐助、
中沼左京・香、
賢庭(けんてい)、
千利休(せんのりきゅう)、古田織部(ふるたおりべ)・琴、山上宗二、
松屋久重(奈良の豪商)、沢庵(禅僧)、金森宗和、
後水尾天皇・和子、お与津御寮人、八条宮智仁親王、
金地院崇伝、南光坊天海、
本阿弥光悦・妙秀
後藤堂高虎、細川三斎(細川忠興)、
徳川家康、徳川秀忠、徳川家光、
鈴木左馬之助、
豊臣秀吉、豊臣秀頼、石田治部三成、加藤清正、豊臣秀長、豊臣秀保、豊臣秀次、
伊達政宗・伊達輝宗・義姫・小次郎、
近衛信尋(このえのぶひろ)、三宅亡羊(ぼうよう)
▢あらすじ等
戦国乱世を生き抜き、徳川の天下となった後も、幕府の要職に就き、官僚として功績を上げ、
三代将軍徳川家光に献茶をする茶人しての名声を得た小堀遠州。石田三成、伊達政宗、
藤堂高虎等々の戦国に生きた者達の権謀術数と渡り合いながら、
為すべきもの全て為すことに全霊を傾け、「人の心というものは、必ず届くものだ」を真骨頂に、
「泰平の茶」を目指した小堀遠州の生き様を描いた作品だ。
なかでも、「白炭」「投頭巾」「泪」、等々、茶道具にまつわる物語を語りながら、
「人の心というものは、必ず届くものだ」、「茶の湯の心」、「ひとの生きる道」を、
説くくだりは、著者の思い入れが感じられる。
とくに、最終章「忘筌」の一節、
臨終が迫った遠州は、妻栄、義弟中沼左京、家臣村瀬佐助に、
八条宮のことから江戸詰めの頃までの話を語り終え、微笑する。
「わたしは、多くのひとに出会って学び、自ら茶を全うにすることが出来た。
これ以上の喜びはあるまい。いまとなってみれば、何の悔いもない。
茶を点てたいと思う相手があってこそ茶なのじゃ」
永訣の言葉に、栄は「よくぞなさいました」。佐助は、涙を堪える。
「わたしは、川を進む一艘の篷舟(とまぶね)であったと思う。さほど目立ちもせず、
きらびやかでもないが、慎み深いさまはわたしの性にあっていた。
されど、孤舟(こしゅう)ではなかったぞ・・・」
「ひとはひとりでは生きられぬ」
正保四年二月六日に、遠州は逝去、享年六十九歳だった。
遠州の辞世は、
きのふといひけふとくらしてなすこともなき身のゆめのさむるあけぼの
遠州の遺骸は、京の大徳寺の孤篷庵に葬られた。
表題「孤篷のひと」とは何ぞや?と思わせる本書だったが、巻末の一節で、
その深い意味合い等を納得させられる。
どの作品にも、徹底的に調べそれを自らの感性に書かれています。
惜しまれる存在です。
何時も応援、訪問を有難うございます。
歴史上の人物を丁寧に描くには、膨大な資料の綿密な下調べ有って初めて可能になるのでしょうね。
小堀遠州にスポットを当て、ここまで描き出している作品、あまり多くは無いのではないかと思われますが?、
こちらこそ、いつもエールを送っていただき、励みになっております。
コメントいただき有難うございます。