たけじいの気まぐれブログ

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憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを

2023年11月14日 06時07分58秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その36

憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
はげしかれとは 祈らぬものを

出典
千載集(巻十二)

歌番号
74

作者
源俊頼朝臣

歌意
私の恋ごころに対して冷淡であった人の心を、
こちらになびくように、初瀬の観音にお祈りしたのに、
初瀬の山おろしよ、おまえのように、
冷淡さがますます激しくなれとは、祈らなかったのになあ。

注釈
「憂かりける人を」は、「私に対して冷淡であった人を」の意。
「ける」は、過去の助動詞。「人」は、相手の女性のこと。
「初瀬(はつせ)」は、奈良県桜井市初瀬の長谷寺のこと。
「山おろしよ」の「山おろし」は、山から吹き下ろす激しい風のことで、
「はげしかれ」の縁語で、「よ」は、呼びかけの間投助詞。
「はげしかれ」は、「冷淡さが激しくなれ」の意。
「祈らぬものを」の「ものを」は、「ものなのになあ」と訳す。
詠嘆の気持ちが含まれている。

千載集の詞書(ことばがき)により、
「祈れども逢はざる恋」の題詠であることが分かる。
祈っても逢えない恋の悲しみを、
冷淡さがますます激しくなるばかりであることを嘆きに高め、
その心を、初瀬の山おろしの激しさで象徴的に歌い上げている。
主想「憂かりける人をはげしかれとは祈らぬものを」の間に
「初瀬の山おろしよ」という具体性をもった語句を挿入することで、
恋の苦悩の告白として重みや余情をもたせている。


源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)

大納言源経信(みなもとのつねのぶ)の三男。
堀河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇、三朝に仕え
従四位上・木工頭(もくのかみ)となった。
父親の歌風を継承し、当代随一の革新的歌人。
「金葉集(きんようしゅう)」を撰進、
歌論書に「俊頼髄脳(としよりずいのう)」が有り、
家集に「散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)」が有る。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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