ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

やっぱりか!『風立ちぬ』

2015-02-21 09:32:34 | 映画
 またまたまた、古映画の感想だ。なんせ、映画はテレビで見る人なんで。

 宮崎駿の『風立ちぬ』、封切りになった時、なんか見たくなかった。『永遠の0』なんかあったりして、どうも零戦映画はきな臭いぜ。時代に便乗する人なんかでないのは十分わかっているし、愛国鼓吹なんて縁遠い作品に違いないとは思った。けど、やっぱり、あの時期、っていうか今もだけど、零戦映画に付き合う気持ちにはなれない。

 でも、せっかくお茶の間でただで見せてくれるなら見とこう、ごめん!ずいぶんちゃらんぽらんで。いや、結構姿勢ただして見たんだ、焼酎のグラス片手にだけど。

 滑り出し、引き込まれた。飛行機への限りない夢の描写を見ながら、監督のこれまでの作品、飛行機への限りない愛情を思い起こしつつ、本当に好きなんだなぁ!それとこの飛行機の魅力的なこと!なんてほほえみつつ見た。細部の描写へのこだわりも、うーん、さすがだ!徹底してリアルにこだわる部分と適度にデフォルメされてメルヘン的な表現が巧みにミックスされて心地よい。あれ、これ意外と面白いかも、・・・

 うん?なんか、ちょっと、と違和感を感じ始めたのは、菜穂子との再会あたりからかな。なんかどっかで見たような、読んだような、聞いたような既視感。高級別荘地での出会いと愛の芽生えとか、病を押して二郎のもとに押しかける菜穂子とか、言葉悪いけど、ありきたり?駅で菜穂子を抱きしめるシーンの時なんか、これイタリア映画とかフランス映画でよく見るぜ、なんてつっこんでしまった。

 後半、零戦の設計・製作の部分になると、もやもやはとんどんと膨らんだ。いくら美しい飛行機を!って夢を語ったって、戦闘機だよね、機銃は搭載されているし、爆弾だって積み込まれる構造のはずだ。それは言うまでもなく、殺戮・殺傷のための道具だ。美しい夢で語りつくしていいのか?

 いや、戦争批判を盛り込めなんて言いたいわけじゃない。あの戦時、ほとんどの国民は、戦争遂行に心も体も没頭していたと思う。だから、二郎が全身全霊かけて零戦の開発にのめり込んだことを批判したって、そりゃ無い物ねだりってわかってる。こりゃ違う!どうも違う!と思い始めたのは、あの時代ならそこいら中に溢れていただろう、出征兵士や戦場や銃後の様子が、まったくない!ってことなんだ。批判する必要はない。零戦の開発はあの戦時の中で行われたってことは描いて欲しかったってことだ。飛行機作りの純粋培養!そりゃあんまりだ。

 一方に美しい飛行機=戦闘機を作る夢があり、もう一方になにがあるかって言うと、純愛だ。不治の病・結核に冒された女性が、命を懸けて愛する人のもとに走り、余命を削りつつも夢実現を応援する。聞いたような話し、ってことはもう書いた。不満は、いわばこの世俗部分に庶民がまったく顔を出さないってことなんだ。高原の別荘地、東京近郊のお屋敷、資産家のお嬢さん、いったい、いつの、どこのお話しなんだい?そう、こっちはこっちで、純愛の純粋培養!ああ!
 
 だからなのか、偶然なのか、この作品で描かれる庶民の表情は、どこか卑しげで、不満げで、頑ななのも気になった。

 尊敬する宮崎駿、作りなしてきた長編アニメの世界が、この作品で幕を下ろすなんて、なんかとても寂しい。やっぱり、見ない方がよかったんだ。
 

 
コメント
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