奈良県立橿原考古学研究所(橿原市)の調査で、1988年の発掘調査で東大寺境内西塔跡の北約60mから出土したヒノキの建築部材2点が、寺創建時(8世紀半ば)にあった西塔の建立中に割れて捨てられたものだったことがわかった。
2点は、柱上で軒などを支える「巻斗(まきと)」とみられ、幅42~43cm、奥行き42~44cm、高さ17~26cm。ともに加工中に割れたらしい。
最近、1点について、年輪年代測定をしたところ、正確な伐採年はわからなかったが、518年以降に切られたと判明し、出土場所や地層などから、西塔用だったと判断した。
西塔(推定高さ70mあるいは約100mとも)は752年頃に完成したとみられ、承平4年(934)に雷で焼失。現在は基壇だけが残っている。
部材「巻斗」は、同博物館の秋季特別展「奈良時代の匠たち―大寺建立の考古学―」(10月2日~11月21日)で展示される。
[参考:読売新聞]
2点は、柱上で軒などを支える「巻斗(まきと)」とみられ、幅42~43cm、奥行き42~44cm、高さ17~26cm。ともに加工中に割れたらしい。
最近、1点について、年輪年代測定をしたところ、正確な伐採年はわからなかったが、518年以降に切られたと判明し、出土場所や地層などから、西塔用だったと判断した。
西塔(推定高さ70mあるいは約100mとも)は752年頃に完成したとみられ、承平4年(934)に雷で焼失。現在は基壇だけが残っている。
部材「巻斗」は、同博物館の秋季特別展「奈良時代の匠たち―大寺建立の考古学―」(10月2日~11月21日)で展示される。
[参考:読売新聞]