中原文化財研究院は24日、忠北清原郡梧倉面主城里(충북 청원군 오창면 주성리)一円の発掘調査結果、初期鉄器時代土壙墓をはじめとして三国時代と高麗・朝鮮時代までの古墳約370基を確認したことを明らかにした。
このうち、初期鉄器時代に作られた「41号土壙墓」は、長さ251㎝、幅60㎝、高さ110㎝で、その内部では長さ215㎝、幅40㎝、高さ9㎝以上の木棺があった跡が発見された。土壙底には灰色粘土が2~3㎝厚さで敷かれた。稜線斜面から、黒陶長頚壺(흑도장경호)と11片に割れた多鈕細文鏡(다뉴세문경이)、そして6片に割れた青銅武器・槍の一種である銅鉈(동사)などが出土した。
多鈕細文鏡は青銅器時代(BC700-300)末期~初期鉄器時代(BC300-100)の韓半島に登場する。一部分は消失しているが、かけらを接合した結果、多鈕細文鏡の本来大きさは直径が8.8㎝で、裏面には中心から若干上側にある鈕2個が確認された。
やはり、割れた状態で発見された銅鉈は、平面形状は細長方形だが先端は幅が若干広い。大きさは、長さ15.6㎝、幅2.1㎝、厚さ0.15~0.25㎝である。
銅鏡や鏡と同じような遺物は墓に死体と共に埋める時は、わざと破って入れることが多いと話す。
[参考:聨合ニュース]
過去の関連ニュース・情報
2010-08-10 全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の土壙墓70基以上と青銅鏡が出土
このうち、初期鉄器時代に作られた「41号土壙墓」は、長さ251㎝、幅60㎝、高さ110㎝で、その内部では長さ215㎝、幅40㎝、高さ9㎝以上の木棺があった跡が発見された。土壙底には灰色粘土が2~3㎝厚さで敷かれた。稜線斜面から、黒陶長頚壺(흑도장경호)と11片に割れた多鈕細文鏡(다뉴세문경이)、そして6片に割れた青銅武器・槍の一種である銅鉈(동사)などが出土した。
多鈕細文鏡は青銅器時代(BC700-300)末期~初期鉄器時代(BC300-100)の韓半島に登場する。一部分は消失しているが、かけらを接合した結果、多鈕細文鏡の本来大きさは直径が8.8㎝で、裏面には中心から若干上側にある鈕2個が確認された。
やはり、割れた状態で発見された銅鉈は、平面形状は細長方形だが先端は幅が若干広い。大きさは、長さ15.6㎝、幅2.1㎝、厚さ0.15~0.25㎝である。
銅鏡や鏡と同じような遺物は墓に死体と共に埋める時は、わざと破って入れることが多いと話す。
[参考:聨合ニュース]
過去の関連ニュース・情報
2010-08-10 全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の土壙墓70基以上と青銅鏡が出土