歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

鳥取市・高住平田遺跡 平安時代の「木」と彫られた銅製印鑑が出土

2010年10月23日 | Weblog
 鳥取県教育文化財団が発掘調査の高住平田遺跡(鳥取市高住)から、3cm四方の面に「木」と彫られた平安時代の銅製印鑑が見つかった。
 遺跡内を流れていた川の岸から2、3m離れたところで発見された。「木」の文字は、氏名から一文字をとったものと考えられ、この地域に有力者がいたと推定できるという。
 現地説明会は、11月3日(水)午後1時半から開かれる。
[参考:毎日新聞]

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鳥取市・本高弓ノ木遺跡 弥生時代後期の盛土状遺構を確認

2010年10月23日 | Weblog
 鳥取県教育文化財団が発掘調査の本高弓ノ木(もとだかゆみのき)遺跡(鳥取市本高)から弥生時代後期の盛土状遺構が見つかった。遺構は四隅突出型だが、埋葬施設は見つかっておらず墓ではないという。祭壇の可能性もある。
 現地説明会は、11月3日(水)午前10時半から開かれる。続いて午後1時半から高住平田遺跡(鳥取市高住)で現地説明会が開かれる。
[参考:毎日新聞]
過去の関連ニュース・情報
 2009.3.26 鳥取市・本高弓ノ木遺跡 古墳時代の穂摘具が出土


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木津川市・恭仁宮跡 大極殿の南面回廊跡の遺構を確認 続日本紀の記述に符号

2010年10月23日 | Weblog
 京都府教委は22日、恭仁京の中心部「恭仁宮跡」で「大極殿院」南面回廊の可能性が高い遺構を確認したと発表した。
 今回の調査では、昨年度に見つかった朝堂院西塀跡の北側で、大極殿の南面回廊に関連するとみられる柱穴を発掘。すでに北東、北西コーナーが見つかっていることから、回廊と確定すれば、大極殿院の南北は、従来の予想より約60m以上長い約172mになる。
 また、東西幅は約142mのため、大極殿を囲む回廊の全長は628mとなり、回廊の外周は移築前の大極殿院の東西回廊を合わせた長さとほぼ一致する。続日本紀の記述(注1)や過去の平城宮発掘調査結果と符合することも分かった。
 現地説明会は30日午前11時~午後4時に随時行う。
[参考:産経新聞、共同通信、京都新聞]

(注1)続日本紀 天平15年(743) 十二月廿六 初壞平城大極殿并歩廊、遷造於恭仁宮四年、於茲、其功纔畢矣。

過去の関連ニュース・情報
 2009.11.22 恭仁宮跡 朝集殿院の区画が判明 平城宮と同形
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香南市・東野土居遺跡 古墳時代初期からの大規模集落跡やほぼ完形の庄内式土器が出土

2010年10月23日 | Weblog
 高知県埋蔵文化財センターは22日、香南市野市町土居の東野土居遺跡で弥生~室町時代の建物跡約60基や古墳時代初期の竪穴建物跡(5m四方)から、大阪の河内平野で作られた「庄内式土器」がほぼ完全な形で出土したと発表した。
 東野土居遺跡は、国道55号から香宗川までの東西1・5kmにわたる大規模な遺跡で、弥生時代に最大規模だった田村遺跡(南国市)の集落が消えた後にできたと位置づけされている。
 出土した庄内式土器は高さ24cm、幅20cm、口の直径17cm。きめの細かい土で薄く仕上げられているのが特徴。 煤(すす)が付いており、煮炊きに用いたらしい。 一帯では破片も多数出土した。
 付近からは奈良―平安時代の円形の硯や多数の瓦も見つかっており、寺院か役所があったとみられる。
 室町時代の遺構では中国製の陶磁器(青磁、白磁)が見つかった。
 現地説明会は24日(日)午前10時半~正午に開かれる。
[参考:読売新聞、高知新聞、朝日新聞、毎日新聞]

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京畿道広州市・駅洞遺跡 琵琶形銅剣を埋めた青銅器石槨墓を発掘、火葬風習も確認

2010年10月23日 | Weblog
 ハンオル文化財研究院は22日、京畿広州市駅洞の駅洞遺跡(광주 역동 유적)を6月14日から発掘調査した結果、青銅器時代住居跡29棟と紀元前5~4世紀頃青銅器時代石槨墓(석곽묘)1基などを確認したと発表した。
 韓国の青銅器時代中・後期を代表する青銅器の琵琶形銅剣(비파형동검)を人骨と共に埋めた青銅器時代石槨墓が韓国では初めて京畿広州市で確認された。
 石槨墓は東-西方向を長軸として、死体を火葬(화장)した人体各部位骨が発見され、その腰の周り付近では琵琶形銅剣1点と未詳の青銅器1点、多数の石鏃と玉製品が収集された。
 石槨墓内人骨は青銅器時代石槨墓に埋められた遺骨としては、初めて火葬されたことがわかった。さらに、石槨内部から木炭と焦げた石などが確認され、火葬はこの中で行われたようである。
[参考:聨合ニュース]

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