平等院(京都府宇治市)は6日、境内の浄土院養林庵書院に保管されていた仏像片(右手首)が、鳳凰堂建立の前年(1052年)に建てられた本堂の本尊「大日如来像」の右手部分の可能性が高まったと6日発表した。
現在の本尊は鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝)だが、平安末期の古文書「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」などによると、境内北東部にあった本堂には、大日如来坐像を中心に5体の仏像が安置されていた。本堂はその後焼失し、鎌倉初期になって現在の観音堂が本堂跡地に建てられた。本尊は姿を消したとみられていた。
仏像片は右手首から先で、長さ27・2cm、幅14・8cm、厚さ9・8cmのヒノキ製。人さし指を天に向けて印(智拳印)を結ぶ「大日如来」独特の形をしており、指や手のひらなどに漆や金箔が残っていた。また、仏師・定朝が確立した寄せ木造り技法の特徴が残っていた。
鎌倉時代の記録「門葉記」や平安時代の辞典「伊呂波字類抄」によると、本堂の本尊は大日如来像で、金箔を施された高さ約1・5mの坐像とされており、この仏像片が本尊の一部の可能性が高いという。
仏像片は平成10年、平等院の塔頭・浄土院の書院を修理した際、仏間から出てきた「最重要」と記されたヒノキ箱に納められていた。平等院が、現在同寺で開催中の秋季展(来年1月14日まで)の展示準備をしていたところ、専門家らの指摘を受け検証していた。仏像片は秋季展で公開されている。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース]
千年間不明の本尊右手? 平等院に保管の仏像片(共同通信) - goo ニュース
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平等院
現在の本尊は鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝)だが、平安末期の古文書「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」などによると、境内北東部にあった本堂には、大日如来坐像を中心に5体の仏像が安置されていた。本堂はその後焼失し、鎌倉初期になって現在の観音堂が本堂跡地に建てられた。本尊は姿を消したとみられていた。
仏像片は右手首から先で、長さ27・2cm、幅14・8cm、厚さ9・8cmのヒノキ製。人さし指を天に向けて印(智拳印)を結ぶ「大日如来」独特の形をしており、指や手のひらなどに漆や金箔が残っていた。また、仏師・定朝が確立した寄せ木造り技法の特徴が残っていた。
鎌倉時代の記録「門葉記」や平安時代の辞典「伊呂波字類抄」によると、本堂の本尊は大日如来像で、金箔を施された高さ約1・5mの坐像とされており、この仏像片が本尊の一部の可能性が高いという。
仏像片は平成10年、平等院の塔頭・浄土院の書院を修理した際、仏間から出てきた「最重要」と記されたヒノキ箱に納められていた。平等院が、現在同寺で開催中の秋季展(来年1月14日まで)の展示準備をしていたところ、専門家らの指摘を受け検証していた。仏像片は秋季展で公開されている。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース]
千年間不明の本尊右手? 平等院に保管の仏像片(共同通信) - goo ニュース
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