歴歩

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宇治市・平等院 幻の本堂の本尊「大日如来像」の一部か

2010年10月06日 | Weblog
 平等院(京都府宇治市)は6日、境内の浄土院養林庵書院に保管されていた仏像片(右手首)が、鳳凰堂建立の前年(1052年)に建てられた本堂の本尊「大日如来像」の右手部分の可能性が高まったと6日発表した。
 現在の本尊は鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝)だが、平安末期の古文書「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」などによると、境内北東部にあった本堂には、大日如来坐像を中心に5体の仏像が安置されていた。本堂はその後焼失し、鎌倉初期になって現在の観音堂が本堂跡地に建てられた。本尊は姿を消したとみられていた。
 仏像片は右手首から先で、長さ27・2cm、幅14・8cm、厚さ9・8cmのヒノキ製。人さし指を天に向けて印(智拳印)を結ぶ「大日如来」独特の形をしており、指や手のひらなどに漆や金箔が残っていた。また、仏師・定朝が確立した寄せ木造り技法の特徴が残っていた。
 鎌倉時代の記録「門葉記」や平安時代の辞典「伊呂波字類抄」によると、本堂の本尊は大日如来像で、金箔を施された高さ約1・5mの坐像とされており、この仏像片が本尊の一部の可能性が高いという。
 仏像片は平成10年、平等院の塔頭・浄土院の書院を修理した際、仏間から出てきた「最重要」と記されたヒノキ箱に納められていた。平等院が、現在同寺で開催中の秋季展(来年1月14日まで)の展示準備をしていたところ、専門家らの指摘を受け検証していた。仏像片は秋季展で公開されている。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース]

千年間不明の本尊右手? 平等院に保管の仏像片(共同通信) - goo ニュース

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 平等院


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韓国江原道江陵市・崛山寺址 川石を敷いた歩道、門跡2基や銘文瓦などが出土

2010年10月06日 | Weblog
 国立中原文化財研究所は6日、江原道江陵市の崛山寺址(굴산사서、史跡448号)に対する10ヶ年(2010~19年)研究の初年度、寺域中央部東側地域の試掘調査の結果を発表した。
 調査結果、寺域南側境界と推定される東西方向の石垣塀が排水路と連結されたまま長く露出して、寺の中心部に通じる約4m幅に達する門跡2基が確認された。
 西側門を通じて内部に連結される所では、薄くて平たい石をきめ細かく敷き詰めた一種の歩道施設が一定の幅で北に長く確認され、崛山寺址東側に寺刹中心区域とは区別される別途の重要な建物が存在した可能性があることがわかった。
 さらに、建物跡と排水路から高麗時代土器とともに「屈山寺」と刻んだ銘文瓦をはじめとして多量の瓦片が出土した。
 崛山寺は、江陵端午祭主神人の梵日国師が新羅文聖王13年(851)に嶺東地域に創建し、新羅末~高麗初に韓国仏教界を主導した九山禅門(구산선문)の一つで闍崛山門の宗刹格。今は昔の寺跡だけ残る廃寺跡になっているが、崛山寺の寺勢を見ることが出来る高さ5.4mの幢竿支柱(宝物第86号)が残っている。1936年大洪水と2002年台風「루사(ルサ)」で建物跡一部が露出して部分調査が実施されることもあった。
[参考:聨合ニュース]

備考
 崛山寺は屈山寺とも書かれる。正式名は崛山寺なのだろうが、出土した瓦の銘には「屈山寺」と書かれている。

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加賀国一宮・白山比咩神社 昭和55年頃撮影

2010年10月06日 | Weblog


 石川県白山市三宮町に鎮座する白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)です。
 昭和55年頃の撮影です。昭和57年の昭和大造営により大々的に増改築されたため、よく見ると現在の写真とはちょっと異なります。
 拝殿の後ろの高い屋根の幣殿?が写真では見えません。(写真左)
 また、白山奥宮遥拝所にある真ん中の大きな石は、現在は一回り大きくなっています。(写真右)



金沢方面と元鶴来町を結ぶ鉄道・北陸鉄道石川線は、「加賀一の宮」駅がありましたが、平成21年(2009)11月に、鶴来駅から加賀一の宮駅までの区間が廃止されました。
写真は、昭和55年当時の加賀一の宮駅。

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