歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

全南霊岩・沃野里方台形古墳 4本の木柱を立てて石室壁を築造した横口式石室墓を発見、埴輪も出土

2010年10月25日 | Weblog
 国立羅州文化財研究所は25日、全南霊岩郡始終面沃野里方台形古墳(영암 옥야리 방대형고분)に対する発掘調査結果、南北約30m、東西約26.3mの封墳の中に横口式石室墓、竪穴式石槨墓、甕棺墓、木棺墓等多様な埋葬施設が確認されたと発表した。
 封墳中央で発見された横口式石室墓は、石を積んで造った墓室が長軸3m、短軸1.1m程の細長方形であり、特に4つの木柱を立てて石室壁を築造していた。木柱を立てて石室壁を築造したものは栄山江流域古墳では報告されたことがなくて、伽耶地域に属する昌寧・校洞、金海・大成洞、良洞里古墳などの地だけから確認されている。
 封墳はクモの巣形状で、区域を分割して土を埋める方式で積んだことが明らかになった。分割盛土する方式は、今までは伽耶地域古墳築造方式の典型的な方法と知られたが、今回の栄山江流域古墳でもその事例が明確に現れたとしている。
 墳丘と封墳周囲を囲うような溝から、日本で「埴輪」と称する円筒形土器が多量出土した。
 これまで、霊岩始終面一帯には4世紀頃甕棺古墳が密集分布して初期甕棺古墳社会の中心勢力だったと知られたが、今回の発掘調査を通じて、6世紀前後の時点にも相当な中心勢力が存続していたことを確認することができたという。
[参考:聨合ニュース]

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東大寺・国宝「金堂鎮壇具」のうち、大刀2本が幻の宝剣「陽宝剣」と「陰宝剣」と判明

2010年10月25日 | Weblog
 東大寺(奈良市)と調査した元興寺文化財研究所(同市)が25日、東大寺の大仏足元から明治時代に出土した国宝の「金銀荘大刀」2本にX線を当てて調べたところ、刀身の把(つか)近くの内側部分から「陽劔」「陰劔」と象嵌された銘が浮かび上がり、約1250年間にわたり行方不明だった宝剣「陽宝剣」「陰宝剣」と分かったと発表した。
 光明皇后(701-760)が聖武天皇(701-756)の遺品として東大寺に献納後、正倉院から取り出し、埋納したとみられるが、理由は不明。皇后からの献納品目録「国家珍宝帳」の武器リスト筆頭に記した貴重な宝剣で、正倉院研究の上でも画期的史料。
 「陽宝剣」と「陰宝剣」は鉄製で、長さはいずれも1m弱。鞘は木製の漆塗りで金銀の金具で装飾されており、把にサメ皮を使っている。明治40年(1907)と翌年、屋根改修工事の際に足場の支柱を立てるために大仏の須弥壇周囲に穴を掘ったところ、右膝近くから出土。同時期に見つかった別の大刀、銀製鍍金狩猟文小壺、瑞花六花鏡、水晶玉などとともに「東大寺金堂鎮壇具」として1930年に国宝指定された。
 今回の調査で、別のもう一口の金鈿荘大刀には北斗七星を象嵌した七星文が確認された。
 大仏殿への大刀などの「鎮壇具」の埋納が、従来考えられていた地鎮とは異なるとの見方も出ている。
[参考:時事通信、共同通信、MBS毎日放送、読売新聞、東大寺展図録(1980朝日新聞社)]

消えた正倉院宝物と確認=東大寺大仏殿の大刀2振り―1251年ぶり・奈良(時事通信) - goo ニュース
1250年ぶり幻の宝剣判明 東大寺大仏の足元埋納大刀(共同通信) - goo ニュース
大仏殿で発見の刀、1250年不明の正倉院宝物(読売新聞) - goo ニュース
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上野・寛永寺の大奥の華麗な副葬品を修復

2010年10月25日 | Weblog
 昨日24日の読売新聞で、2007年から08年に行われた徳川家の菩提寺・寛永寺(台東区上野)の改葬に伴う発掘調査で、歴代将軍の正室や生母らの墓に納められていた主な副葬品の修復作業が終わり、十二単(じゅうにひとえ)や装飾品などがよみがえったと報道されていた。
 このブログでも、発掘当時のニュースを採り上げていたので、昨日は想定外のアクセスがあった。
 13代将軍家定の正室・澄心院(ちょうしんいん)の墓から見つかった十二単の大袖(丈189cm、幅145cm)は、亀甲綴り模様の絹地に、金糸で鳳凰が刺繍されており、一条家から将軍家に嫁いだ時の嫁入りの正装としてまとっていた可能性があるとしている。他に、約20点のガラスの簪(かんざし)。中に、葵の葉の飾りが付いたものもある。
 12代将軍家慶の正室・浄観院(じょうかんいん)の墓からは、水晶を刳り貫いた仏舎利容器(高さ2・7cm)や経典類などが見つかった。
 寛永寺には、寛永寺霊園と谷中霊園があり、澄心院および浄観院の墓は、谷中霊園の方にある。
[参考:読売新聞]

大奥の妻たちの華…寛永寺の副葬品修復(読売新聞) - goo ニュース

過去の関連ニュース・情報
 2009.6.13 徳川13代将軍家定の正室・澄心院の墓所に八角覆堂の遺構が見つかる
 2008.6.10 徳川12代、13代将軍の正室・浄観院と澄心院の墓誌が見つかる 2.9m四方の最大の大きさ
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