歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

多賀城市・多賀城跡 創建時期頃の通用門跡と11世紀の中国白磁碗が出土

2010年10月21日 | Weblog
 宮城県多賀城跡調査研究所は20日、国特別史跡・多賀城跡(陸奥国府跡)の東側の外郭で多賀城創建(724年)に近い時期に建設されたとみられる新たな門跡と、11世紀後半に作られた中国白磁碗を見つけたと発表した。
 発見した門跡は、外郭東辺のほぼ中央部にあり、掘っ立て式の八脚門とみられ、大きさは幅約10m、奥行き約6m。門の規模は他の門とほぼ同じだが、柱を立てる穴は方形で、一辺2.1m、深さ1.7mもあった。奈良・平城京にもない巨大さという。直径約45cmの柱を安定して立てるため、地中で木材を連結する珍しい「地中梁(はり)」工法が施されたとみられる。多賀城跡で確認した門跡は今回で4カ所目。 約2km東には、物流拠点「国府の湊(みなと)」(現同県塩釜市内)があったことから、人や大量の物資が往来した通用門の可能性が高いとみている。
 一方、白磁碗は、調査区域の隅で、ほとんど壊れていない須恵系土器の小皿10点とともに見つかった。日宋貿易で中国から輸入され、身分の高い役人が宴会などで使ったとみられる。同種の高級白磁碗の出土品としては東日本では最も早い時代の物といい、京都や大宰府と並んで多賀城にもいち早く交易品がもたらされたことを裏付ける資料という。
 また、東北では1050~1080年代の「前九年・後三年の役」の合戦が続き、当時の多賀城については出土遺物も少なく不明部分が多かったが、同研究所は「高級白磁碗は、少なくともこの時期までは、国府多賀城がきちんと機能していたことを証明する」としている。
 現地説明会が23日(土)午前10時半から開かれる。
[参考:毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.11.6多賀城跡 苑地跡とみられる護岸施設や創建時の木の柵を確認
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盛岡市・館野前遺跡 経塚跡から「一字一石経」?出土

2010年10月21日 | 盛岡
 盛岡市飯岡山の麓の長善寺境内で16日、館野前遺跡の現地説明会が行われた。(曹洞宗飯鳩山)長善寺の位牌堂新築に伴い、盛岡市教委が9月から初めての発掘調査を行っている。
 これまでに平安時代の竪穴住居跡や江戸時代の経石などが発掘された。長善寺を中心に古くから地域が発展してきた歴史を物語る。
 平安時代(9世紀~10世紀)の竪穴住居跡5棟、柱穴、水場遺構などが見つかり、土師器や須恵器が出土した。 竪穴住居跡は方形で壁際にはかまどが用意され、排煙の煙道が掘られ、当時の土器が残されていた。
 江戸時代の経塚跡は山門脇にあり、約2・4m×1・8mの長方形。深さ40~50cm部分から直径3~5cmの石が多数見つかった。小石1個ごとに経文1字を墨書した「一字一石経」で、法華経の文字数と同じ約7万個埋まっていたとみられる。 経塚には、由来を示す経碑はなく、上にあったと見られる盛り土もなくなっていた。経塚の発掘は県内でも10例程度、市内で4例目だという。ほかに、陶磁器、金メッキが施された煙管(きせる)、砥石、寛永通宝や中国から輸入された宋銭の明道通宝などが出土した。
[参考:2010.10.17盛岡タイムス、2010.10.21読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.9.16 伊賀市・沖打越1号墳(全長23m)および沖打越中世墓(経塚)の発掘調査
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