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忠南瑞山市・礼川洞遺跡 1世紀の墳丘墓から漆鞘鉄剣が出土

2010年10月27日 | Weblog
 百済文化財研究院は瑞山市礼川洞一帯を発掘調査した結果、18号墳丘墓と命名した墓から漆鞘鉄剣1点を収集したと26日発表した。
 18号墳丘墓では、1世紀頃に作った埋葬施設(土壙・木棺墓)の他にも4世紀初めの土器が出土した2次埋葬施設が発見され、後代に追加葬があったことがわかった。
 漆鞘鉄剣は、1次埋葬施設で木の鞘が腐食され青銅製鞘装飾と短い鉄刃だけ残った状態で発見された。このほかにも、鉄斧、鉄矛、鉄鎌、鉄鏃、削刀等各種鉄器と多量の玉が副葬されていた。
 2000年前の漆鞘鉄剣はこれまで慶州や昌原・茶戸里遺跡、慶山のような慶尚道地域だけで発見されてきたが、慶尚道以外の地域では初めて瑞山で発掘された。

今回の調査区域では、
 青銅器時代前期の駅三洞型住居跡(서울역삼동집터)6基
 初期鉄器時代の土壙墓2基、甕棺墓1基(光州新昌洞遺跡出土のものに似る)
 原三国時代から三国時代(百済時代)の墳丘墓103基・甕棺墓2基
 高麗時代の土壙墓1基
 朝鮮時代の住居跡12基
など計171基の遺構が確認された。

 このうち、礼川洞遺跡(서산 예천동 유적)の中心をなす墳丘墓は大部分が方形の周溝を廻らした埋葬施設で、大部分が木棺を使ったとみられる。103基中36基の埋葬主体部が調査されたが中心年代は3世紀後半と推定した。
 一部の墳丘墓では、慶州・舍羅里古墳で出土したのと形状が類似した鉄鋌が1~2個ずつ立てられたまま発見され、被葬者の頭や足下側から環頭大刀・刀子など多量の鉄器類と二重口縁土器や兩耳附壺などの土器類および玉類が出土した。
 研究院は、黄海道地域古朝鮮勢力の南下と関連した集団と推定すると推測する。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2010.6.19 慶州平野内・塔洞 2千年前の新羅建国勢力の首長の木棺墓を発掘か? ・・・漆鞘鉄剣が出土



コメント
 表題に「礼川洞遺跡(예천동 유적)」としたが、聨合ニュースの記事では、「礼川洞」としか書いていない。既に礼川洞遺跡は存在して発掘調査が行われているので、推測の元に「礼川洞遺跡」とした。
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