歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

前原市泊リュウサキ遺跡  奈良後期から平安初期の木簡5点が出土 公的施設の跡地か

2008年06月10日 | Weblog
 9日、前原市教委は同市の「泊リュウサキ遺跡」から、8世紀後半から9世紀前半(奈良時代後期から平安時代初期)の木簡が出土したと発表した。
米俵の荷札などに使われたとみられる。
 木簡は5点。1点は破片で、4点に文字が残っていた。
(1)「豊乙阿子米(おつあここめ)五斗」(長さ約13cm、幅約3cm)
→「乙阿子」という農民が「米五斗」を年貢として納めた。「豊」は文字の削り残しとみている。
(2)「白米五斗」(長さ約10cm、幅約2cm)
(3)「三味米(さんみこめ)五斗」(長さ約13cm、幅2cm)
→「三味」という農民が「米五斗」を年貢として納めた
(4)「大」(長さ約6cm、幅約2cm)という文字がかすかに分かる。

 市教委は、公的施設があったことを想定させるとし、役人がこれらの木簡を米俵にひもでくくりつけていたとみている。
 木簡は井戸跡から水に漬かった状態で出土し、一緒に見つかった土器片から年代を推定した。
 鉄を船で運び出す港湾施設跡地で、年貢米を保管する蔵もあったのかもしれないと想像している。
[参考: 西日本新聞]
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徳川12代、13代将軍の正室・浄観院と澄心院の墓誌が見つかる 2.9m四方の最大の大きさ

2008年06月10日 | Weblog
浄観院、楽宮喬子(さざのみやたかこ)女王(1795~1840)
12代将軍・徳川家慶の正室 京都の宮家・有栖川宮織仁親王の王女
澄心院、一条秀子(寿明姫)澄心院(1826~1850)
13代将軍・徳川家定の正室 一条忠良の娘

現在NHKで放送中の大河ドラマ「篤姫」では、篤姫は13代将軍・徳川家定の正室であるが、浄観院・楽宮喬子は12代将軍・徳川家慶の正室であり、澄心院・寿明姫は13代将軍・徳川家定の正室である。
浄観院は1840年、澄心院は1850年に逝去している。1856年になって篤姫は初めて江戸城大奥に入る。
その浄観院と澄心院の墓誌が上野・寛永寺で見つかったとの報道である。
墓誌の大きさは、2.9m四方、重量約5トンで現存する最大の大きさ。
木棺には水銀朱が充填されていたため、遺骨や副葬品は朱色に染まっていた。
水銀朱は虫よけだったのではないかと考えられるという。
水晶製の数珠や、水晶の容器入りの仏舎利、金銅や黒漆塗りの厨子に入った念持仏などの豪華副葬品が出土。
大奥が相当の実権を握っていたことの大きな裏づけになる。
ちなみに、篤姫こと天璋院は明治16年(1883年)に東京の一橋邸で死去し、上野・寛永寺に家定の墓と並べて埋葬されている。
[参考:毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、共同通信など]

2012.10.29 追記
 2008年6月に、徳川幕府12代将軍・家慶(いえよし)の正室・浄観院(1795~1840)の墓から出土した念持仏2体(注1)が10月27日から11月18日まで修復した元興寺文化財研究所のある元興寺(奈良市)で初公開される。
(注1) 木製の阿弥陀如来立像(3.3cm)と不動明王坐像(2.8cm)で、ともに厨子(高さ8~9cm)に納められていた。仏像本体は、鎌倉~室町時代初期の作。
[参考:朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 浄観院
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五反田散策 もうひとつの薬師寺展 と 三猿庚申塔

2008年06月09日 | Weblog
先週6日に、五反田へ散策に出かけました。目的は、薬師寺東京別院で開催されている「もうひとつの薬師時展」です。
折角行くのだからと周辺を調べ、島津邸にあった英国人J・コンドル設計の洋館(今は清泉女子大本館)、池田山公園、そして薬師寺東京別院の3ヶ所へ行くことにしました。地図で見る限り、距離の長いところでも旧島津邸と池田山公園が500mであり、総距離は多く見積もっても1.5~2kmとふんで出かけました。さらに、三浦雄一郎さんならぬ、片足に2kgずつの錘をつけて歩きました。
そうしたら、目的地はそれぞれ島津山と池田山という二つの小山の頂上の方にあって、しかも周囲は豪邸だらけ。道を間違えると、50mから100mと続く屋敷の塀を逆戻り、それを何回も繰り返してヘトヘトになってしまいました。
最初は、旧島津邸へ向かいましたが、途中でお寺に通りかかり中を覗いてみました。宝塔寺という天台宗のお寺でした。お寺の中に庚申塔があって、寛文八年と読めました。そして下の方に三猿の彫刻がありました。(写真) 家に帰って調べると、寛文八年とは1668年でした。ご存知のように、三猿は「見ざる、聞かざる、言わざる」を表現したものですが、江戸時代の庚申塔には申(さる)との連想により庚申信仰とも結びついて、三猿像が彫られることも多かったそうです。また、「見ざる、言わざる、聞かざる」は、8世紀ごろ、天台宗の教えとして日本に伝わったものだという説があるようです。このお寺も天台宗でした。
日本で最古の三猿塔は茅ヶ崎市輪光寺の庚申塔といわれてきました。真言宗のお寺のようです。昨年8月に三重県伊勢市で「三猿庚申塔」(個人蔵)に室町時代の「永享十二年(1440年)」の銘があるのが見つかり、これが最古になる可能性があるそうです。(読売新聞より)
次に、旧島津邸ですが、邸宅の後ろの部分でしょうか、大きく立派な洋館に出会いましたが、出入り口は閉鎖されており、清泉女子大の正門に向かいました。残念ながら関係社外立ち入り禁止になっており断念しました。
次に向かったのは池田山公園です。こちらの方も迷いに迷って、途中で「ねむの木の庭」を通りました。中を見るときれいに手入れされた庭になっていて花が咲いています。中に入ってよく見ると、皇后陛下美智子様のご実家・正田邸の跡地でした。年配のご婦人方が入れ替わり拝観されていました。池田山公園は、国分寺にある殿ヶ谷庭園を少し小さくしたような感じでしょうか。岡山藩池田家下屋敷の一部分の跡です。もみじがあり、秋には紅葉できれいなのではないのでしょうか。
次には、途中道に迷って交番でいただいた案内図に福澤諭吉の墓所跡である常光寺があったので、遠回りでしたが立ち寄りました。福澤諭吉の墓は、現在は麻布・善福寺に移されているので記念碑だけが残っています。
最後に、薬師寺東京別館です。重要文化財の十一面観音菩薩立像が三体もあります。そして直ぐ手に届く場所で、真近に見れます。その他にも重要文化財が10点ほど、真近で見れました。鎌倉時代の作ではありますが、大津皇子座像も展示されており、じっくりと拝見しました。
 ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
磐余池(吉備池・百済大寺跡)の石碑に書かれた大津皇子の和歌が思い出されました。
次の日には、筋肉痛が出るのではと心配しましたが大丈夫でした。
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若冲の鹿苑寺(金閣寺)大書院障壁画 デジタル複製し本来の設置場所で公開

2008年06月08日 | Weblog
 江戸中期の絵師、伊藤若冲(1716~1800)が描いた、金閣寺(京都市)の襖絵「鹿苑寺大書院障壁画」(重要文化財)全50面をキヤノンが複製し、本来の設置場所である大書院で10年秋に一般公開する。
現物は本山の相国寺で保存され、ほとんど公開されていない。
複製画は、京都市の姉妹都市パリでも展示される予定とのこと。 [参考:朝日新聞]
キャノンのホームページではいち早く5月28日付けで発表している。
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行田市・池守遺跡 最古(6~7世紀)の機織り部品出土

2008年06月07日 | Weblog
 行田市教育委員会文化財保護課は6日、同市中里の池守遺跡の地下約1m、広さ470㎡の沼地からから古墳時代後期(6~7世紀)の大量に出土した木製品の中から、最古の機織り機の部品が見つかり、機織り機の変遷を知る貴重な発見であることを発表した。
発掘した大半が沼地にあたり酸素に触れていなかったため木製品が腐らずに当時に近い状態で残った。
 出土したのは土製品(土師器や須恵器)や木製品、石製品等で、壊れて使用できなくなり投棄された遺物群とみられる。
 木製品は農具や紡織具、工具など約370点にのぼる。
このうち機織り機の地機(じばた)の部品が多数見つかり、「中筒受け」(長さ66cm、幅8cm、厚さ2.6cm)と呼ばれる縦糸を上下に分けて横糸を通しやすくする部品は全国2例目の発見。
同部品は山梨県平田宮第二遺跡で平安時代の遺跡から出土しており、今回の発見で地機の構造が古墳時代までさかのぼることができるという。
また馬にひかせて開墾した馬鍬(まぐわ=幅135cm、厚さ10cm、刃の長さ47cm))も出土し、刃の部分が刀状に加工された全国的に珍しい形態という。福岡県のカキ遺跡に次いで全国で二例目。
市教委は「現在の織り機とほぼ同様のものが出た。ほかにも機織りに関連した遺物がまとまって出ており、専門集団が集落を形成していた可能性もある」と話した。
発掘品は現在、東都文化財研究所(川口市)で保存処理をし、来年度には展示を予定。
調査概要は7月27日に県立さきたま史跡の博物館で開く遺跡発掘調査報告会で報告する。併せて、埼玉古墳群にある奥の山古墳の整備状況なども報告される。
<参考情報>
毎日新聞 埼玉新聞
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東大寺 不空羂索観音立像 

2008年06月05日 | Weblog
法華堂(三月堂)の不空羂索(ふくうけんさく)観音立像は、天平二十年(748)頃東大寺の一堂として建った法華堂の本尊である。
法華堂は、もともと羂索堂と云われ、法華会を修することから法華堂とも呼ばれ、法華会が三月に行なわれるので三月堂とも呼ばれる。
不空羂索観音立像の宝冠には2万個を遙かに超え、3万個近い水晶、翡翠、真珠、琥珀が使用され彩色溢れるもの。しかしながら、お堂の中は薄暗いため、この彩色をきれいに見ることは難しい。

現在、東京国立博物館(上野)のTNM&TOPPANミュージアムシアターでは 「東大寺法華堂 国宝 不空羂索観音立像宝冠」を超高精細の臨場感あふれる映像で大型スクリーンで観ることができる。
期間は、5月30日(金)から7月27日まで。

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三井寺・行者堂の木造不動明王像 日本最古級と判明

2008年06月05日 | Weblog
不動明王像は日本最古級 大津・三井寺、9世紀の作と判明(共同通信) - goo ニュース

 9世紀の不動明王像は2、3例しかなく貴重な発見とする。
 像は高さ約90cm、一木造り。
 像は、11月1日から大阪市立美術館で開かれる「国宝三井寺展」で初公開されるという。
 「国宝三井寺展」は、大阪の次は東京にて下記日程で開催されるが、この不動明王坐像が出展されるかは不明。
 会期:平成21年2月7日(土)~3月15日(日)
 会場:サントリー美術館
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