これまで何回も、学校の勤務時間のめちゃくちゃ加減を書いてきたと思う。
基本的に僕ら先生には残業という考え方がない。超過勤務分の労働を金銭で手当てするという仕組みがない。残業手当というものがないのだ。
僕たちは民間のみなさまとは違い、残業の概念がそもそも認められていない。
先生は、放課後自主的に残り、部活動の指導をしていることになっている。その後で、クラスの仕事をしたり、授業準備をしている。夜一番最後まで電気がついている公的機関は、24時間体制の警察消防以外では、学校である。クラスの仕事も当たり前、授業の準備も当たり前、部活動時ちょっとでも事故が起きれば、全部先生の責任。これが学校の労働状況である。とにかくこんなに一人で性格の異なる仕事をこなす集団もそうはないと思う。
校務(僕だったら進路指導)の仕事(生徒との進路相談)も、昼休みにしていても、当たり前だろうととられる。放課後遅くまで残っていても、何もだれも気にもとめない。生徒も保護者も当たり前だと思っている。でも、昼休みは僕らの勤務時間ではないし、5時以降も勤務時間ではない。それでも僕たちは、生徒のためだから仕事をする。公務員組織・学校・教員という存在に対して、的外れ、言語道断のいわれなき罵詈雑言、敵視政策があっても、反論もしないでがんばっている。バカもいないわけではないが、今まで仕事をしてきて、こいつは民間人としても、公務員としてもNGと思った同僚は、それほど多くない。
これがもっとひどいのは、泊を伴う行事。修学旅行などである。旅先では寝るのは日付が変わってから、起きるのは4時、5時。これを放置する(しおりなど印刷物に証拠が残る)と、さすがに問題なので、勤務時間のふりかえを、お認めいただけることになっている。現在は、1泊について、6時間超過と見なしてもらうことになる。たとえば、通常は17時に勤務時間修了なので、23時までは仕事をさせ場合、その分は旅行から帰ってきてから、勤務に支障がないようにとらせていただける。でも、修学旅行で23時に仕事が終わる事なんてあり得ない。これは、サービス残業であり、搾取である。
6時間の振り替え。なかなか取り切れない。それでも、がんばっている。文句を言われる筋合いはない。
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先週木・金2日間で、9月第2週の文化祭の時の超過勤務の時間調整を行った。2日間で3時間。ほんの少しだけ明るいうちに家に帰れた。本を読んだり、ゆっくり教材研究ができた。食事時間も落ち着いて過ごせた。
現在の勤務校は、自動車通勤でない僕にとって、きわめて不便な場所にある。バス~鉄道~バス~徒歩で、毎朝90分かけて出勤し、帰りは交通渋滞で、だいたい100分以上かけて帰ってくる。1日が終わるともう、へとへとである。精神の安寧が脅かされるほどつかれている。土日も動けないことが多くなっている。通勤がどうしてもしんどいときは、愛車GYRO-Xで行くこともある。でも、いつもではない。雨の時は無理である。バイクに乗りながら、ぶつぶつ文句を言っていたりすることに気がつくことがあり、ちょっとギョッとすることもある。
だから、仕事を猛烈にがんばって、ちょっとだけ早く帰ってきた。今回、木金たった2日ほんの少し早く帰れて、ボーッとできた。土日も少し身体が楽な感じがした。
昨日、家からバイクで10分ほどの場所(農地・河原・公園)に出かけて、1hほど本を読んだりしていたら、妙に笑えてきた。その後、何かドォ~ンと気分が落ち込んだ。色々考えて、情緒が不安定というとオーバーだけど、何か揺れている感じだった。そして、時間がないことに怒りがこみ上げてきた。
ちょっと、きちんとした精神状態ではないのかな。考えすぎだろうか。何でだ。。。 必死に考えた。給与も下がり、ボーナスも削られ、勤務のふりかえもままならない。自分を一人称ではなく、二人称的に観察してみた。
『自分を含めた先生という職業集団とか、学校という職場が、世の中の八つ当たりのサンドバッグになるのはもうイヤなのだ。
『脳の中の何かを考えたり、疲れを感じる部分まで疲れてしまって、空虚になっている。
『お金の問題も大事だが、時間のなさに何か得体の知れないおそれを感じている。
『自分のことだけを考えれば、もう現在の勤務校では仕事を続けるのは体力的に無理なのだ。どこでもいいから、もっと近い学校に移りたい。
だいたい、こんなところだろう。何一つ自分の力では解決できないじゃないか。
やっぱり考えても、疲れがとれない。