朝、雨が降っている。
「冷たい雨」
荒井由実(松任谷由実)さんの歌だったかな。
先週自由民主党総裁選挙が行われ、議員票、党員票が石破候補に思った以上に流れたことを含め、予想通り安倍晋三氏が三選を果たした。
翌日の新聞報道でこんなものがあった。
「挙党態勢のない選挙後の自民党」
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自民党は、僕の記憶する範囲では、思想的にも行動原理的にもずいぶん幅の広い人材のいる政党、振れ幅が大きな政党だったと思う。
義務教育(+高校教育)で、地方議員からたたき上げで、国政進出をした人もいれば、古い例になるが、一高・東大・大蔵省というスーパーエリートコースの人もいた。それが一つの政党の中で「あ~でもない」「こ~でもない」と議論し、戦後の日本をリードしてきた。そのことは認めざるを得ない。
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党内の権力闘争は現在よりえげつなかった。
某派閥の「一致団結・箱弁当」のような精神的な強さ、伝統、つながりは、おそらく現在はもう存在し得ないのだろう。派閥という「仮想敵」が党内にいくつもあることで、派閥間で疑似的な政権移動(交代)を続け、国政を担ってきたのが自民党である。でも、派閥の力は明らかに落ちた。
敵はどこにいる。
自民党はK首相のころから、党内に「敵」を作り、それを排除することで力を保持するようになった。よく言えば純化、悪く言えば組織構成員のDNAの均質化、多様性の喪失である。
生物多様性が大切であるように、組織内の人材多様性も、普段は気がつかないが有事の際は重要になる。勝ち組負け組の二極化構造、強すぎる勝者の存在は昔の自民党にもあったかもしれない。でも、ここまであからさまだっただろうか。
・・・違うような気がする。
自民党は日本社会の縮図。
日本社会から中流が消滅し、貧富の差・勝者とされるものと、そうでないとされるものの差があからさまになり、固定化されてきた。自民党には、見せかけのポーズだということが見え見えでも、総裁選挙等で、勝者が敗者に示す度量の広さ、「挙党態勢を求めるふり」が存在した。それが消えたということだ。日本の二極化、その固定化と表裏一体である。
・・・どちらが表か、言えないけど。
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さいたま市選出の野党党首のA代議士。30年前ならば、宮沢喜一さんのグループにいても、何の不思議でもない感じである。