可愛がっていた愛犬が亡くなって一年が経過した。
そんなこと、私はすっかり忘れていた。
しかしカミさんがしっかりと覚えていたのだった。
「ロビンの命日忘れていた!お参りに行ったらなあかん」
とカミさんが夕食の時に思い出して叫んだのであった。
ちなみに、この犬の名前のロビン。
偶然にも大学時代の友人の旦那と同じ名前なのであった。
友人の旦那はイギリス人で名前をロビンといった。
話す時の日本語は関西弁という往年のイーデスハンソンみたいな変わった奴なのであったが、仕事はちゃんとした大手米国情報機器メーカーの社員ということだった。
その昔、彼に、
「イギリス人の英語はイントネーションがおかしい」
と言ったことがあった。
映画やテレビで慣れ親しんだ米語と比べての話だったが、それを聞いたロビンはにわかに怒り、
「ちがうよ〜、イギリス人の英語はおかしくないよ!アメリカ人の英語がおかしいんや」
と変な関西弁で返されたことがある。
彼は英語だけではなく日本語もおかしかった。
でこのマルチーズとなんかの混血だったロビンを一年前の6月に荼毘に付したには市営の斎場だった。
この斎場の敷地の隅に動物慰霊塔があり、ロビンの遺骨はそこにあることから一周忌のお参りをしてあげようということになった。
家族の一員として可愛がっていたロビン。
娘の成長を中学生から大学生まで見守ってくれたロビン。
番犬の役にはちっとも立たなかったロビン。
高速道路のSAのドッグランに連れて行くと他の犬から逃げることばかりしていたロビン。
公園の階段を上がることも降りることもできずに、階段の横の斜面を滑りながら上がったり降りたりしていたロビン。
ジャンボフェリーと南海フェリーに乗っけて四国旅行をしたらフェリーの中でビビリまくっていたロビン。
そんなロビンのためにカミさんが近くのドラッグストアで一輪の花を買い、私は自宅裏庭に咲いていた白詰草と三つ葉の花を摘んでそれをあけびの蔓で縛って小さな花束にして朝早く斎場へ向かった。
斎場へ行くとすでに一組のカップルが動物慰霊塔に手を合わせていた。
ロビンの一周忌を赤の他人がお参りに来ていくれていたわけはなく、別のお参りに違いないが、私達のような人は少なくないのだろう。
花束を花立に入れてカミさんは線香をカバンから取り出した。
チャッカマンで火をつけるのだが、これがいつもなかなかつかない。
風が邪魔をする。
火がつきにくい。
など色々と要因がある。
しかしこの時はどういうわけかすぐに火がついた。
しかも炎が上がっている。
「わ〜〜〜熱い熱い」
炎は小さいが線香を振っても消えない、叩いても消えない、風は少ししかないのでよく揺れている。
「きえへ〜ん」
とカミさんが喚く。
「そこの灰に付けたら」
灰に入れてもなかなか炎は収まらなかったが、やがて白い煙だけを出す普通の線香になったのであった。
「炎、ロビンのしっぽみたいやったな」
「そやな」
「来てくれたん喜んで飛びかかってきたんちゃうか」
有りえんことを話していたもののなんとなく、そんな感じがした。
ロビンはもともと亡くなった義父の犬なのであった。
義父が一人孫のうちの娘が中学校に上がったことを景気に「犬の散歩がしてみたい〜」と言っていた孫のために子犬から飼い始めた。
娘が高校に上がった年に義父は病のために他界してしまった。
義父の葬儀が終わった後、動物ホテルから連れ戻したロビンが義父の姿を求めてベッドの場所をあっちへこっちへと走り回ったのが寂しさを増幅させた。
その後、ロビンは特にカミさんに懐いた。
カミさんは義父のいろんな特徴を踏襲していて、とりわけ笑顔がよく似ている。ちなみに怒った時にわけのわからないのも似ている。
父と娘とはいいながら同じ臭いを感じたのかも知れない。
亡くなって一年。
生前よくしっぽを振って飛びかかってきたヘタレな犬は一年ぶりに訪れてきてくれたカミさんに嬉しくてしっぽを振って飛びかかってきたのかもしれない。
そんなことを思う、ロビンの一周忌なのであった。