<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



玉ねぎの値段が異常だ。

大阪府は玉ねぎの産地でとりわけ南部の「泉州たまねぎ」はブランド物である。
しかも大阪湾を挟んで対岸の淡路島も玉ねぎの産地として有名で、これでだけ産地に囲まれているにも関わらず最近1ヶ月ほどの玉ねぎの値段は常軌を逸しているものがある。

たとえば2個入ったネットのものがスーパーで300円近くもする。
6個以上まとまって入っているものは500以上することも普通で、これでは我が家の料理のバリエーションに多大な影響が及ぶことこれ必須なのである。

ちょっと前なら398円も出せばどっさりとした玉ねぎの袋を買い求めることができた。
なぜか地元産のものよりも北海道産のほうが安かったりするのだが、フードマイレージの観点からして地元産を買うのが適当だと思っていたが、今や地元産はおろか北海道産も手に入らないくらい高価な食材になっている。

原因はなんなのか?
ウクライナ情勢か、それとも石油価格の高騰が原因なのか。
はたまた円安のためか。

で色々調べてみたら北海道の玉ねぎが記録的不作で需要に見合うだけの収穫量を確保することができていないのだという。
その原因は干ばつということだが、一体この状態はいつまで続くのか。
このままでは美味しいデミグラスソースもカレーライスも味のパンチダウンが続いてしまう。
玉ねぎのスライスサラダは夏場には欠かせない。

今年はトマトとともに玉ねぎを家庭菜園で作ってみようかと画策している我が家なのである。


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ラーメン屋というのは何故にこんなに自己主張が強いのか。
例えば、
「京都〇〇通りで生まれて30年...」
とか、
「福岡の〇〇ラーメンを食べて衝撃をうけ、豚骨を極めるべく...」
とか、
「お釣りのないように厳守してください...」
とか、
「ちゃんと並ぶべし。自転車を入り口に置かないこと」
とか、
言ってみれば「それがどうしたんだ」という自己欺瞞や「客を客とも思わない」ぞんざいな発言をするところが少なくないように思う。
実際はどうかは知らないが、総主張する文章を大きくかげたり、入り口にダンボール製プレートに寺西化学工業製マジックで中学生のような汚い字で大書きしたりしているところを見ると、どうもいい感じがしないということも正直な感想である。

先日名古屋で入ったラーメン屋もそんな店の一つだった。
名古屋ではそこそこ著名なチェーン店のようだがメニューの横のご託がなかなかであった。
要約すると、
「この店の創業者は、九州のあるラーメンを食べて感動をした。あまりに感動をしたものだからそれを名古屋で再現しようと切磋琢磨した。それでもなかなか実現できなかったので修行の旅に出て自分の味を見出し、ついにこの店を開いたのだ〜」
みたいなことが書かれていた。
だから、
「うちのラーメンは美味いのだ!」
という論理なのであろう。
大変疲れる一文ではあった。

そういうこともあって名古屋の一等地に構えるその店には行列ができている。
この日、私は開店時間早々ということもあり並ばずに入ることができた。
もちろんこの店をターゲットにして立ち寄ったのではなく、昼前ということもあり単に腹が減っていたのでたまたまこの店に入ったのだ。
で、オーダーを選ぼうとするとメニューのヨコに目に飛び込んできたのは件の「主要趣意書」あるいは「創業者の苦労物語」なのであった。

目の前に文章があると無意識に読んでしまう活字中毒一歩手前の私なので当然この宣誓文書を読むことになってしまった。
で、読んで抱いた最初の感想は、
「.........ほんで、美味しいんやろな!」
ということであった。
クダクダ屁理屈を述べる前に味で勝負いただきたいと思った。
こういう苦労話や御託を色々並べる飲食店に美味いところがあるとは思えないからだ。

私はベーシックなスープの煮玉子入りラーメンとランチタイムのサービスである唐揚げセットを注文。
暫し待つこと運ばれてきたラーメンは九州ラーメン独特の白いスープでそこそこ美味そうであった。
ただ、丼の中央に渦巻状の鳴門かまぼこが1枚配置されているのが印象的なのであった。
鳴門かまぼこは直径2センチほど。
いかにも小さい。
しかもかなりの薄切りで歯ごたえはなさそう。
かまぼこのサイズに少々失望しながらスープをレンゲで掬って飲んでみると、これが美味い!
豚骨の出汁がよくできていて口に含んだ瞬間に「美味い!」と思える出来栄えなのであった。
流石に厳しい修行の旅の後に獲得したスープ。
創業者がそれを自慢するだけの価値のある素晴らしいものなのであった。

ところが、ランチサービスの唐揚げを食べてその印象は一変。

名古屋は手羽先が有名なように唐揚げも美味いことが多い。
しかしこの店の唐揚げはサイズが大きくビックリさせることを除くと、あまり良くなかったのだ。
良くないというより残念な出来栄えなのであった。

唐揚げそのものは一般的な唐揚げの倍サイズはある。
見た目は美味そうだが、実際に食べてみると「なんじゃこりゃ?」という代物なのであった。
唐揚げの上には何やらソースのようなものがかかっていたのだが、これが甘い。
ヒジョーに甘い。
唐揚げというどちらかというと塩味の大切なものに甘い汁をかけてどうするんだ。
私はこの残念な仕打ちに暫し呆然とした。
そして口直しに美味かったスープを口に含むと、愕然。
食べ合わせが悪いのかスープが美味いと感じなくなってしまっていたのだ。
「クドい」
という味に変化してしまっていたのだった。

塩辛いはずの唐揚げが甘い。
ナポリタンスパゲティの上に粒あんをドサッと乗っけて食べるこの地の文化は知っていたけれども手羽先の美味しい文化を持ちながらこの唐揚げはないやろうというものなのであった。

確かに主張の強い味ではある。
とかく名古屋は関西とも関東とも違う不思議な食文化が存在する。
しかし御託を並べて主張する前に普通のラーメンを食べさせていただきたいのであった。
独自の薀蓄を展開するのはその次で良いではないか。
ラーメン屋の味に妙な解説や御託は必要ないと感じた昼前のひとときなのであった。

帰宅してチキンラーメンで口直ししたのは言うまでもない。


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家に引きこもり家庭で食事、とうシュチュエーションが増加しているためにスーパーマーケットの売上は絶好調。
それに対してコンビニは負け組になっているそうで、流通が一昔前に戻っているようだ。
私んちもご多分にもれず外食が激減。
というか無くなってしまい、ほとんどの食事を家で食べるようになった。
不急不要じゃない外出をしたときも外で買って食べずにできるだけ自宅に戻ってから食べるようにしている。
そのうち腹が減って背中の皮とお腹の皮がひっつくかもしれない。
なお、その場合肋骨や背骨はどうなるのであろうか。

それはともかく、スーパーマーケットへ行くと生鮮野菜の値段が急上昇していて驚くことがすくなくない。
例えば白菜は1/6サイズで1つ200円ほど。
キャベツは1玉498円
茄子は3個で298円。
チンゲン菜が1束148円。
ブロッコリ1個198円。
などなど。
天候に左右されないはずのえのき茸なんかが値上がりして1つ98円だったのが128円もしていることがある。
優等生は玉ねぎぐらいで1袋5〜6個入って298円。

私は体がなまってはいけないということで仕事の合間に自転車で10〜20kmほど走ることがあるのだが、先日関西空港対岸の泉佐野市の畑の中を走っていたら衝撃的な光景を目にしたのだった。

なんと、収穫前のキャベツが放棄され、腐っているのだ。
キャベツである。
1個498円もするキャベツ。
「ああ、もったいない!」
その畑は一面キャベツ畑になっており、サッカーボール大のキャベツが出荷も収穫もされずに腐っていたのだ。

「これは......キャベツの値段を吊り上げるための陰謀なのか.....お好み焼き屋が目撃したら激怒するぞ」
と思ったのは言うまでもない。

もしかすると農業の実態を目撃したのかもわからない。


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我が家では時々「生八ツ橋」がおやつの時間に登場する。
京都の定番お土産品である生八ツ橋。
最近はニッキ以外の味、たとえばチョコレートやイチゴなどもあるがそれらはゲテモノ。
私はニッキオンリー。
百歩譲って抹茶を許すかどうかというところだ。
で、大阪や京都では普通にスーパーマーケットで売られていて手軽に楽しめる和菓子の一つなのだが、どういうわけか個装になったものがなかった。
食べたいと思って買ってきてパッケージを開けたらすぐに食べきらなくてはならなかった。
なんせ生ものなので消費期限が限られている。

先日、東京へ出張しなければならないが「どうするどうする」という状況で新幹線に乗るべきか中止すべきかどうか迷いながら新大阪駅をウロウロしていると「おたべ」の広告を見つけた。

「おたべ再生 おたべは生まれ変わりました」

と改札外のコンコースの天井に大きな看板が吊られていた。

何が生まれ変わったのかというと、おたべは個装になったというのだ。
プラスチック包装資材を削減しなければならないこの時代に大胆な、と思ったが生八ツ橋の個装は確かに革命的な発想かもしれない。
これでパッケージを開けた瞬間から急いで食べる必要がなくなるわけで、保存もしやすくなるというものだ。

おすそ分けもやりやすくなる。

ということで、出張は迷っている間に客先の責任者と連絡が取れて、
「打ち合わせ、やめときましょう。午後からWEB会議形式で」
ということになったので即事務所である我が家にもどることになったのであった。

で帰宅してみるとカミさんが、
「おたべもろてん」
と、個装になったおたべが一箱。

お茶を入れてWEB会議に備える一時なのであった。



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「そうめんが食べたい」

と数週間前からカミさん。
よくよく調べてみるとラーメン屋、うどん屋、蕎麦屋というものは無数に存在するものの「素麺屋」というものはあまり聞いたことがない。
もしかすると「うどん屋」や「蕎麦屋」の夏季メニューとしては存在するのかもしれないが素麺専門店というのは存在しないのではないか。
すくなくもと私の地元周辺では「ぐるなび」や「食べログ」で検索しても素麺屋やそうめんが積極的メニューに採用されている店はなかった。

「家で作ったら」

と言ったら、

「誰かに作ってもらいたいの.......あなた作ってくれる」

となってしまった。
私は料理が全くできず、作れるのはチキンラーメン程度だ。
チキンラーメンができるのであればマルタイラーメンも作ることが可能だから、同じ乾麺である素麺はその応用と考えると作れないことはないと思うのだが、いかにせん面倒ください。
よって、

「そのうち奈良に行ったときに食べに行こうか」

と適当に答えておいたのだ。

その適当に答えていたことに応える必要が出てきた。
所要で奈良へ行くことになったからだ。
奈良というえば、かなりのパーセンテージでものの始まりが存在する。
最大のものは酒造り。
日本酒は奈良で作られ始め、それが各地に広がり現在に至っている。
考えてみれば当たり前で奈良は太古の昔は首都だったので、そこでいろんなことが始まってもいたって自然である。
酒について言えば、奈良の中南部に三輪明神大神神社があり、ここが酒の神様であることは酒飲みであれば知らないものはいない。
山の辺の道に接するこの三輪の地は素麺の産地でもあり、三輪そうめんといえば全国に名前の通っているメジャーな存在だ。

この日、私達は奈良市内に要件要件があったのだが、少し遠まりをして桜井市を周り三輪を訪れた。
そもそも三輪へ素麺を食べに来たのは関西で生まれ育って半世紀のわたしも初めての経験なのであった。

かみさんが旅行ガイドブックで目をつけていた三輪山本というお店に行ってみると、すごかった。
駐車場を埋める自動車は全国各地からやってきていた。
奈良ナンバーや大阪ナンバーだけではなかったのだ。
もちろん国道から駐車場に入るには車列ができていて駐車するまで15分待ち。
駐車してから店に併設されるレストランは1時間待ちなのであった。

店の中では素麺はもとより、素麺を使った菓子類も販売されていた。
素麺そのものも太さの異なる種類があり、この後レストランで食べることになった白龍というブランドの素麺は太さ0.6mmだが腰があり実に美味で奥行きのある風合いなのであった。
また菓子類も大阪帝塚山にある人気パティシエと共同で作ったと思われるクッキーは素麺のパリパリ感と小麦の香ばしさが相まってこれまた絶品なのであった。

素麺の専門店はなかなかない。
それでもその産地を訪れるとそこでしか見つけるのことのできない絶品を体験できるというのを強烈に感じた奈良訪問なのであった。
なお、三輪は案外近くて大阪の私の自宅からは1時間かからないことが判明。
今年の夏は素麺にハマってしまいそうな、そんな予感がしているところなのだ。


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今年の夏は例年になく暑い夏だった。
我が家も冷房に使用した電気代が半端ではなく、家計に与えた影響は小さくない。
24時間つけっぱなしだった日も少なくなく、よくよく考えてみるとまだエアフィルターの掃除をしていなかったので暖房が必要な季節までにはなんとかしなければならないと、この文章を書きながら思い出した。

で、こう暑くなってくるとエアコンだけは対応できない時が出てくるのも当然である。
以前訪れたミャンマーのヤンゴン動物園ではあまりの暑さのためか、クマが水風呂に入って寛いでいるという漫画のような光景を目撃したことがある。
私はミャンマーのクマとは違って水浴びはしないが、そのかわりにアイスクリームやアイスキャンディ、それとオリオンビールで涼をとるということを繰り返したのだ。

そこでメインに登場するのがガリガリ君。
昨年あたりから暑くなると経済的に注目されているのが赤城乳業のガリガリ君アイスキャンディだ。
私も家族もあまりに暑いとこのガリガリ君を買い求めてしまう。
価格も100円以下という今時珍しい氷菓子でもあるのでついつい買ってしまう。
気がついたらガリガリ君にかなりの投資をしているのではないかと愕然とすることもあるのだが、暑い時はガリガリ君か生ビールなのでどうしようもない。

このガリガリ君を脅かすアイス菓子が最近出回っている。
それは何かと言うと「葛アイスキャンディー」なのだ。

葛きりの材料である葛をフルーツなどのフィレーバーと一緒に凍らせた和菓子ジャンルのアイスキャンディー。
これがなかなかいけてるのだ。

私はこれを昨年大阪万博公園で開かれていたスイーツエキスポで初めて食べた。
食べた瞬間にすっかり気に入ってしまったのだが、その存在を暑さのために忘れていた。
そういうボーッとしていた真夏のある日、今年は西宮市立大谷美術館を訪れた帰り道で美術館の近くにあった和菓子屋さんで売られているのを見つけて思わず買い求めた。
大いに満足したことは言うまでもない。

この葛アイスキャンディのメリットを挙げると次の通りになる。

1.溶けにくい
  もともと葛で固まっているため普通のアイスキャンディと違って「早く食べないと溶けて落っこちる」ということがない。
2.食感がある
  葛でできているので単にサクッとした歯ざわりではなく、サクッとしたなかに弾力があってほのかに噛みごたえがある。

ということだ。
従来のアイスキャンディーにはない上品さがいい。

デメリットは値段が高いということか。
ガリガリ君は1つ100円以下だが、葛アイスキャンディは200円と少しする。
かなり高級なのである。

とは言うものの、アイスキャンディなら世界中どこへ行ってもあるのだが、葛アイスキャンディは我が日本にしかないであろうことから、今後のインバウンドのネタにも使われるのではないかと大いに期待されるところなのだ。
私には関係ないけど。



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スターバックスのストロー廃止宣言以来、各外食大手がプラスチック製のストローの使用を取りやめることを告知。
この背景にはやがて海洋を漂うプラスチックごみの量が魚の量を質量ベースで超えてしまうからということらしいが、これってストローをやめるだけで解決する問題ではない。
ストローはその象徴にすぎない。

夏。
海岸を歩いていると、最も目立つゴミがペットボトルなどのプラスチックごみ。
夏じゃなくてもゴミは存在するので、冬でも綺麗な浜辺でこういうゴミを見つけると一気に気分が害される。
さらにそこにハングル語や簡体文字が記載されていると、

「日本は島国です」

などという地理的優位性にも疑問符が灯る。

プラスチック資源が問題になり始めたのは今回が初めてではない。
スーパーのゴミ袋の必要論は最近の話題でもあるし、注射器やアンプル類の医療ゴミが問題になったのはもう随分と以前のことだ。

こう考えると昔の「便利ではない時代」のほうが環境に配慮していたことがよく分かる。
江戸時代の容器は容器自体に価値があったために竹筒にしろ弁当箱にしろ桶にしろ使い捨てのものはほとんどない。
握り飯を包む竹皮でさえリサイクルしたと思われる、もったいないが当たり前の時代だった。

会津若松市の野口英雄記念館を訪れたときに会津地方の人々がいに物を大切にしていたのかというものを見ることができた。
それは衣類のリサイクルで新調された着物はボロになるまで着続けられることはもちろんのこと、着物として使用できなくなってからも繊維玉になる布であったことがわからなくなるまで実用に供される。
その着物から繊維の玉になるまでの工程が展示されており、少なからず衝撃を受けたものであった。

江戸時代や明治時代だけではなく、私が生まれ育った1960年代でも使い捨ての文化はそれなりに限られた分野だったように記憶する。
ジュースやビール、牛乳、醤油、サラダ油、マヨネーズはガラス瓶が圧倒的に多かった。
マヨネーズはスプーンで掬って使っていたと思う。
買い物はスーパーマーケットは珍しかったので買い物かごを提げて市場へでかけた。
市場の梱包材は古新聞であり紙袋だった。
ビニール袋なんてものはなかなか使わられなかったように思う。

玉子も紙製のパック材。
パンも小袋に入れて売られているのではなく、陳列ケースに並んでいるものを店の人に取ってもらって、それを油紙でできた紙袋に入れてもらっていた。
本や雑誌を買っても紙袋。
アイスキャンディーも箱に入っているものがあったように記憶している。

プラスチック容器と違ってこれらの容器は再利用できるし、本当に捨ててしまうことがなかなかない。
紙はリサイクル。
ガラス瓶は洗浄して再利用、あるいは溶かして作り変え。
捨てないのだ。
ただし「回収」という業務がついてまわるので、これが「面倒くさい」。
プラスチック容器は捨ててしまえば良いので便利で受け入れられ易かったのだ。

コンビニで買い物をするとあらゆるものが定価で売られている。
350ミリリットルのノンアルビールが1缶137円。
これをスーパーマーケットで買えば98円。
49円の価格差は「便利代」。
便利にはコストとリスクが付いてくる代表例だ。

プラスチック容器やストローはそういう49円。
ちょっと手をかけて使うのを止めたら得をすることを実はスタバは知っていたのかもわからない。

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ここ数年というもの趣味と実益を兼ねて頑張っているのが家庭菜園。
自分家の庭で植物を育てるのであれば花より食べられるもののほうが良いということで色々なものにチャレンジしている。

最も簡単なのがトマト。
これは当初苗を買ってきてそれを育てていたのだが、一昨年あたりから種から育てるものもいくつか始めて、今年はついにすべての株を種から栽培。
一袋だけでは足りないと思って二袋の種を買い求め植え付けたら40株ほどの苗が無事発芽。
現在そのうち38株ほどが順調に育っている。
2株は野良猫に踏まれたらしく10cmほど育ったところで根本が折られて枯れてしまった。
憎き猫かな、というところで撃退方法を考え中。

昨年はさつまいもにもチャレンジ。
これが意外に簡単で蔓を10本ほど買ってきて耕した畑に植えたら秋に大量の芋の収穫に成功。
カミさんと娘が喜んだことは言うまでもない。

私の住む地域の地場野菜に泉州水なすがある。
農家が作る最上級のものには築地の市場で1個8000円するものもあるという。
水々しさと甘さが特徴で、私はこれをサラダや漬物で食べるのが大好きだ。
もちろん8000円なんて食べられないので近所のスーパーマーケットやJA直売所で買い求める数百円のものだ。
ところがやはりものが茄子だけに育てるのがちょっと難しく、私が植え付けた苗は花がつき実もなったのだが、食べてみるとあまり美味しくない。
おまけに暫く放っておいたら虫がついて穴があいてしまったりで、なかなか栽培ノウハウを要する作物なのであった。

この他、赤唐辛子、きゅうり、ゴーヤなどにチャレンジしたが唐辛子とキュウリは収穫できたものの、誰の家でも沢山実るというゴーヤがちっとも実を付けず苦労をしている。
もしかすると相性が合わないのかもしれない。

しかしゴーヤよりももっと困難なのが葉野菜である。

葉野菜の栽培に成功したことは過去一度しかない。
しかもそれはスーパーのくじ引きで貰った景品だった種を適当に巻いたら目が出て葉が伸びて収穫して食べたら美味かった、という努力ほとんどゼロのミックスレタスだった。
従って育てたという感動が少ない、というか無い。

これに味をしめて以来、リーフレタス、ほうれん草、白菜、パクチーなど色々育ててみるのだが、どれもこれも食べるまでに至らない。
多くは、
1:芽が出たらナメクジにやられた
2:ナメクジにやられず5cmほどの大きさになったら猫に踏まれた
3:10cmほどの大きさになったた鳥に食われた。
4:防御のために網を張ったら育たたなくなった。
などなど。

現在進行中でリーフレタスを育てているのだが、どのような防御策が必要化。
頭を悩ましているところだ。



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明治製菓がスナック菓子の「カール」の東日本での販売終了を宣言した。
その理由は健康志向に伴う販売額の減少なのだという。
今後は四国の松山工場だけの生産になるため関東まで運ぶ運賃が採算にあわず、大阪以西での販売に限られるという。

あのカールおじさんが関東から、いや中京圏から東は消えてしまうことになった。

子供の頃。
カールと言えば私はカレー味であったが、これは全国から消えることになっており、残るはチーズ味とうすあじだそうで、どちらも私の好みではない。

それにしてもお菓子ひとつとってみても、大きな変化が起こりつつある。
じゃがいもの不作でカルビーがポテトチップスの出荷量を激減させているのは別として健康志向を原因として昔からあるお菓子が受難の時を迎えているのは、別に原因があるのではないかと思えなくもない。

健康を無視した食品は他にもたくさんある。
ブラジル産や中国産の食材、食品。
防腐剤いっぱいのコンビニ弁当。
食用油たっぷりのコンビニおにぎり。
脂肪注入安物焼肉などなど。

カールを食べて病気になったり死んだ人はいない一方、安物の牛肉で焼肉をやって食中毒で死んだ人はいるわけで、なにがなんだかわからないのだ。

ともかくカールおじさんは時代の食品イデオロギーの犠牲になり、関東から消える。

なお、大阪からカールを仕入れて首都圏で高く売ろうと考えているあなた。
もうすでにそんなだふ屋的取引は始まっているようなので、時すでに遅しなのだ。





※お断り・連載中の「旅と..」は少々書き直しをしております。
でき次第再開いたしますので、よろしくです。

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和食が世界遺産に登録されてから、全世界的に和食ブームなんだそうだ。
アメリカや東南アジアなど元々日本文化が入っていくのが早かったところはかなり以前から寿司屋やラーメン屋、牛丼屋などが普通にあったりするので「何を今更」という感がないこともない。
ただやはりヨーロッパや中国なんかでは日本文化の浸透が前記の地域と比べるとまだまだだったこともあり、現在一気にブレイクしているというのが実情なのだろう。

尤も和食ブームが広がると様々な影響が日本にも及んでくる。
良いことばかりではなく、悪いことも少なくない。

例えば「マグロの刺し身は美味い」ということを他国、とりわけ倫理観ゼロのC国に伝えてしまったためにマグロの乱獲が発生。
価格は上昇するは、ワシントン条約で保護されるなんて話は出てくるわで大いに迷惑だ。
なにしろブロードウェイ・ミュージカルの「ブック・オブ・モルモン」では「日本へ行きなさ〜〜い」と指示されたモルモン教徒の若い宣教師が「マグロだ!刺し身だ!」と言って喜ぶシーンがあったりするぐらいだ。

で、この和食ブームに乗っかって需要が増えているのが日本酒。
和食の蛋白で素材中心で、どちらかというと海産物の多い食事には日本酒が合う。
畢竟、海外でも日本酒の需要が増えてくるのは当たり前かもしれない。

しかも日本酒はワインと同じく繊細なアルコール飲料だ。
素材である米の質はもちろん、精米度や温度管理、水などにも味は大きな影響を受ける。
地域性も大きく物語がある。
今年の○○県の△△という酒蔵の純米酒は美味い。
なんていう具合に。
まるでワイン文化とそっくりである。

とは言え、日本酒の需要は劇的に改善されることはない。
ビールや焼酎に圧されて中小の酒蔵さんはもとより大手といえども、どうやって販売量を増やすのか苦心惨憺しているとこだ。
私の地元大阪には酒蔵が17社ほどあるのだが、1社を除き経営は決して楽ではないということを聴いている。
除外された1社はサントリーなので世界が違うし。

そんな国内市場を尻目に和食ブームの影響で日本酒の需要が全世界的に増えつつあるようだ。
ベトナムでビジネスコンサルをしている知人の話によると一升瓶1万円も2万円もするような酒が普通に消費されているという。
経済発展著しいベトナムとはいえ、国民の月収にも匹敵するような価格の酒を惜しげもなく購入するのはどういうことか。
そのあたりはベトナムのローカル経済ルールがあるようなのだが、それはまた別の話題。
フランスでは日本酒をライスワインとして普及させようと言う試みがあり、しかもそれなりのステータスをすでに得ているという。

ところで日本酒の英語表記がなかなかオカシイ。
Japanese Sake。
日経のグローバル欄でもJapanese sakeと表記されているので、多分正しいだろうし、私も外国人と英語で会話する時は清酒のことを無意識に「Japanese sake」と話す。
でもよくよく考えてみると、これっておかしくないか。
酒はsakeであって日本酒だからJapanese sakeというのは「なんのこっちゃ?」とならないのだろうか。

確かに私もJapanese sakeと話した後に「Japanese traditional liquor」と付加えることがある。
酒など知らない人に「sake」と言っても伝わらないだろうし、そこへ「Japanese」を付けたところで「日本のなんやらわからんもん」となることは間違いなく、まったくもって無意味だ。

日本酒ブームでの英語の呼び方。
Japansese sake以外になにかないのか。
最近の小さな疑問なのだ。


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