東京へ向かって関西空港を離陸した飛行機は大阪湾上空で旋回しながら上昇し、再び関空上空に達した頃に東に進路を向ける。
天気が良ければA席からは大阪平野の北半分が臨まれ、K席からは和泉山脈から紀の川、紀伊半島が一望できる。
なかなか結構な眺めなのだ。
ちょうどこの頃、シートベルト着用のサインが消えて、
「電波を発信しない電子デバイスはご利用になれます」
というアナウンスが流される。
この時、A席に座っている場合、私はデジカメを取り出して仁徳天皇陵を始めとする百舌鳥古墳群や大阪市内の高層ビルがニョキニョキ立ち並ぶ光景を撮影する。
これが結構楽しい。
とりわけ眼下に広がる堺市北部は私の生まれ育ったところでもあるので、
「お、うちの中学校が見える」
「実家のマンションや」
「大和川が流れてる」
「金岡公園、プールに行ったな」
と何度飛んでも感慨ひとしおである。
先月の出張の時、この窓から八尾空港が見えた。
橋下徹大阪市長の「オスプレイを八尾空港に」の発言で注目を浴びていた頃で「とりあえず写真でも撮っておくか」とパシャッとやったのが最初の一枚だ。
八尾空港。
その存在を知らない人は大阪府民にも少なくない。
とりわけ若い人の中には知らない人が多いようで、
「八尾空港?なにそれ」
と言った感じだ。
ところが年配者には八尾空港はおなじみで、その存在感は小さくない。
定期便のないコミューター空港としては日本最大の八尾空港の歴史はかなり古い。
そもそも大阪には20年前に開港した関空を除いて空港が3つあった。
1つは大阪国際空港、2つめは八尾空港、3つめは今はなき靭飛行場。
靭飛行場は大阪市内のどまんなかで、今は靭公園に整備されている場所だ。
大阪空港はともかく、八尾空港は戦前も戦後もかなりの規模で使用されてきているようで、戦中はもちろん軍用飛行場として機能していたことは言うまでもない。
オスプレイを八尾空港にという「橋下流の問題定義」で目くじら立てて文句をいう必要はないけれども、その意義は本来の八尾空港のポジションとしてある意味的を射ているといえるかもしれない。
というのも、八尾空港はそもそも国の守りをというコンセプトで作られたという。
そのプロデューサーは日本財団の創設者笹川良一。
笹川良一は戦前から硬派な保守として知られており、その眼力は対立するものを恐れさせたという実力者だった。
「人類はみな兄弟」
「一日一善」
などのキャッチフレーズと高見山を使った親しげなCMを記憶されている人も多いに違いない。
私も子供心に良いCMだな、と思ったものだった。
その根底に流れていたのは、伝統を重んじ日本文化をしっかりと守ろうとする当時の日本船舶振興会、現日本財団の精神があったのだと思う。
その超保守的思想の笹川良一は若い時に実家の資産を使って八尾空港をつかって国を守るべき次世代の若者のために航空学校を設立。
以後、この空港は笹川良一の政治力で廃港、接収を押さえつけ今日に至っているという。
ところで、オスプレイの問題討論はいつもその「安全性」に目が向けられ批判にさらされている。
私も安全性と言う面では民間機に比べるといささか「?」だ。
でも、オスプレイを議論するときに避けてはいけないのは「防衛問題」。
オスプレイはヘリコプターと飛行機の両方の特徴を有していて、局地的な紛争対応に最も適した航空機であることは間違いない。
そしてその配備の目的は尖閣諸島への対応だ。
マスコミや左派政党がオスプレイ配備に反対するとき、あえて安全面しか討議しないのは、この尖閣問題に触れるからに違いない。
マスコミには中国や韓国の親派が少なくなくないからだろうか。
だから当たり前の国造りの議論も避けようとするし、それを唱える人を潰そうとする。
つまらない揚げ足をとって民衆を煽ろうとするのだ。
第一次安倍内閣のときの安倍晋三首相がそうだった。
橋本徹の慰安婦発言もその1つ。
どれもこれも都合のいいように編集して反保守主義を叩こうとする。
かくして、橋本徹大阪市長のオスプレイ誘致発言は、八尾空港の新しい使い方を見出したというところで笹川良一の提示したコンセプトに叶うのかもわからない。
つまり、国の守りを考えるという、討議のネタを提供して政治への関心を高めさせているのだから。
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