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宇宙エンタメ前哨基地





1981年のスペースシャトル”コロンビア号”の打ち上げ以来、宇宙へ行くことはそれほど特別ではなくなってしまった。
いや、まだまだ特別だけど、遊園地のアトラクションの親玉のような機械に乗って特別な訓練を積んだ宇宙飛行士だけが宇宙へ行く時代ではなくなったことは間違いない。
一昨年、スペースシャトル計画が終了。
人類が宇宙に行くにはソユーズ宇宙船しか手段がない今日だが(中国の有人宇宙船には乗りたくない)、現在宇宙へ人を運ぶために開発されている乗り物は単なるロケットではなく、航空機の延長線上にある「宇宙船」であることも、スペースシャトル以前と、その後の大きく異なっている部分なのだ。

この特別ではなくなった宇宙飛行。
つまり昔は特別だった。
人類は選ばれし人のみが生きて帰れるかどうか分からない乗り物に乗って宇宙へ飛び出した。
宇宙船と呼べるような代物ではなく、単なるカプセル。
そこにガスバーナーの親玉程度の制御エンジンを取り付けて地球をグルグル回っていた。
そんな時代が1981年まで続いていたのだ。

その最初の宇宙旅行はもちろん超特別だった。
なんといって宇宙空間なんか誰も行ったことがないので、行ったら何が起こるのかわかない。
そんな状況でミサイルを改造したようなロケットの先っちょに取り付けた宇宙カプセルに乗って飛び出して行った人がロシア人ユーリ・ガガーリン。
人類初の宇宙飛行士。
日本では、
「地球は青かった」
と言ったことになっている宇宙飛行士だ。

J・ドーラン、P・ビゾニー著、日暮雅道訳「ガガーリンー世界初の宇宙飛行士、伝説の裏側で」(河出書房新社)はガガーリンのバイオグラフィを中心に初期の宇宙飛行に関する様々な事故や政治、人間模様が描かれている興味溢れるノンフィクションだった。

ガガーリンを中心にロシアと一部アメリカの宇宙飛行の黎明期を描いている。
その内容は劇的だ。
初期の宇宙飛行がいかに危険で技術的に未熟であったのか。
そして政治がすべてにおいて、主導していたのか。
ということを改めて知ることのできた。

例えば、宇宙飛行を成し遂げた後のガガーリンの人生については、一般人の私たちはあまり知ることがなかった。
国との約束で、初の宇宙飛行についても詳しくは語らず、ただ歴史の人とのみとなり、フルシチョフに利用された、ブレジネフに疎まれ、たった36年で閉じた人生。
その生涯を知ることは一人の宇宙飛行士の人生を知ることにとどまらず、第二次世界大戦後に展開されった東西冷戦時代の大国の意地のようなものを今更ながら付きつけられた感じがして、歴史の罪深さを感じるのだ。

それにしても宇宙への冒険は多くの犠牲者を出したものだ。
今私たちは気象観測、テレビ中継、電話、ネットなどで宇宙開発技術の穏健を十二分に受けている。
地球軌道上には宇宙ステーションさえ浮かんでいて常に誰かがそこに滞在し、科学技術その他の発展に尽くしている。
しかし、そこへ行くために払った代償はスペースシャトルで亡くなった14人の宇宙飛行士や科学者、一般人も含めて決して少なくない。
宇宙へ行くのは、技術的に単なるロケットに頼ることはなくなった時代かも知れないが、まだまだ危険がつきまとっているのだ。

本書で取り上げられている最も印象的な事故はガガーリンの事故死ではなく、その数ヶ月前に起こったソユーズ1号の事故だと思う。
なぜなら、この事故には当時の宇宙開発に対する国家の、そして社会の、すべての歪みが詰め込まれていたからだ。
ソユーズ1号は未完成のまま打ち上げられ、船長のウラジミール・コマロフは自分が確実に死ぬことを知りながら宇宙へ旅だった。
それを阻止しようとできる限りの抵抗を試みたガガーリンの姿が胸を打つのだ。

ガガーリンによる人類初の宇宙有人飛行から50年をきっかけに翻訳された本書は宇宙のみならず、科学に興味ある人にとって必読の書であることは間違いない。

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