ピーチに乗っていて何が辛いかというと、窓側に座っていて外の景色が見えないことほど辛いことはない。
そのことが今回よく身をもってわかったのであった。
窓から地上が見えるうちはまだまだ狭いのは苦にならない。
また、雲に覆われたとしても、だいたい飛行機は雲の上を飛行するので雲の形が美しいと、それだけで退屈することはない。
視界の上は青空、眼下には雲のアートが広がる。
というのが、昼間に飛行機で移動するときの楽しみなのだ。
まして大阪から札幌へ向かう飛行機は飛ぶ高度も国際線と同じであり、巡航飛行中は揺れることもほとんどない。
ところが季節も関係するのだろうが、窓の外がキリのようなもので満たされ、雲も個性のないのっぺりとした姿に変わると、もう窓のない地下室と変わらない。
この時がそうだったのだ。
富山から北。
すなわち新潟県上空からは外の景色がもや~とした感じになり、楽しみがなくなってしまったのだ。
私はモノトーンの窓の外を見つめながら、なんなんや、これ。と心のなかで不満が充満した。
狭い座席は前方席の背もたれ裏の圧迫感と、機内販売が来ても何も買えない密集度が息苦しさを感じさせる。
そう、まるで満員の乗合バスの座席に座ってサンシェードを締めて外が見えない状態で空を飛んでいる、という感じなのだ。
2時間もの間、乗合バスの座席に座り続けることはまずない。
乗合バスというのはだいたい駅から家の近く、学校の近くまで10分か長くても20分間程度しか乗ることがない。
仕事場所の一つがある大阪大学の吹田キャンパスへ通うとき、私は地下鉄の千里中央駅から阪急バスを利用していて、これが渋滞なんかに巻き込まれると大学に着くまで結構時間がかかってしまうのだが、それでも30分以上は乗ったことがない。
東京ビッグサイトから東京駅まで都バスに乗った時は30分以上時間がかかったが、この時はレインボーブリッジを路線バスで渡るという大阪人の私にはめったに経験しないことがあり、それはそれで満足した。
乗合バスに5時間以上乗り続けた経験もあるが、あれはミャンマーという外国での経験だったので、別段苦痛という感じはなく、むしろ楽しいという時間なのであった。
この乗合バスの旅については別途詳しく述べなければならないだろうが、そんなこんなでピーチの立ち上がれない動けないは、かなりの忍耐を必要とするものであった。
つづく
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