久しぶりに井上ひさしの時代小説を購入。
一気に読み終えて感無量の連作小説が「東慶寺花だより」。
作者最晩年の名作であった。
私の読書遍歴は井上ひさしの作品から始まっている。
もともと読書嫌いだった私は1976年ごろ、中学2年生のときにFM大阪で放送されていた「音の本棚」というラジオドラマ番組の中で井上ひさし作「モッキンポット神父の後始末」という作品を耳にした。
これが井上ひさしを意識するきっかけとなった。
その後すぐにこの作者が幼少の時に毎日欠かさず見ていた人形劇「ひょっこりひょうたん島」の作者の一人であることを知り、大いに興味をもった。
そこで井上作品を読んでみようと手に取り始めたのが今に至る読書の始まりだった。
「青葉繁れる」
「てんぷくトリオコント集」
「四十一番の少年」
「ドン松五郎の生活」
など次々と井上ひさしの作品ばかり読んでいった。
ある時は涙し、ある時は笑い、そしてある時は恐ろしさに不気味な気持ちになったりして、井上ワールドを大いに楽しんだのであった。
「吉里吉里人」のような超長編は読んでいるうちにかなり疲れる作品ではあったが、「東京セブンローズ」では旧漢字の凄さを思い知ったり「國語元年」では方言の面白さを学んだりした。
晩年の井上ひさしは週刊金曜日は九条の会のようなちょっと常軌を逸したグループによりかかっていたところが些か笑えないところでもあった。
好きな作家が、偏向したわけのわかならい思想に毒されるのを見ているのは正直言って気分の良いものではなかったのだ。
今回、書店で見つけてなんとなく手に取った「東慶寺花だより」は、井上ひさしが描く時代小説の面白さを十二分に発揮しており、やはりこの作家の描く物語は40年の年月を経た今も私の心を鷲掴みにしていしまう魅力に溢れていることを痛感することになった。
東慶寺は鎌倉に実在するお寺で、江戸時代離縁をしたい女性の駆け込み寺だった。
その駆け込み寺の周りにこれも実在した御用宿の1つと東慶寺を舞台にいく人もの女性の人生を小さな物語として描いていて、それぞれが喜劇を見ているようで心が芯から温まってくる。
あるものは愛する亭主のために離縁を試みようとし、あるものは愛するものが守ろうとして離縁する。
男のエゴのために犠牲になる女性。
離縁を求める中年の男など。
多くの物語で彩られているのだ。
それはまるで御用宿から見渡す東慶寺の畑で風に揺れている菖蒲の花のように美しい。
「東慶寺花だより」
今年最後の読書の1冊は、粋で心優しい物語なのであった。
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